遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『村上海賊の娘』 和田竜  新潮社

2014-08-02 14:15:49 | レビュー
 戦国戦物語痛快エンターテインメントである。劇画タッチの戦闘描写、キャラクターが鮮明な登場人物のメリハリが実に面白い。戦闘シーンにCG手法をふんだんに取り入れた映画にするとダイナミックでヴァーチャル感覚のあるおもしろいものになるのではないだろうか。史実の要は押さえたストーリー展開になっているので、浮ついただけの映画作品になることはないだろう。

 この小説の読後印象として、3つの観点-(1)天正4年(1576)、石山本願寺(/大坂本願寺)の戦いとは何だったのか。(2)家の存続とは何か。(3)中世の海賊とは何か。-である。
 
 第1の観点では、天正4年(1576)という時代が切り出されている。歴史書では石山本願寺、この小説では大坂本願寺と記される摂津石山(大坂)の本願寺に対する織田信長の攻囲戦がテーマとなっている。「石山合戦」最後のステージのはじまりとも言える。
 石山合戦は1570~1580にかけての10年にわたる信長と一向宗門徒との戦だった。一向宗の門主・顕如を頂点とする大坂本願寺という布教拠点を、天下統一後の政治経済の観点から中心拠点としたいが為に、摂津石山の地の明け渡しを要求する執拗な信長との10年に及ぶ戦い。信長による包囲網の徹底構築による最後のステージに入る段階での戦いがテーマになっている。
 それは『信長公記』巻九、天正4年の項で、「原田備中、御津寺へ取出し討死の事」(=5月3日の木津砦の戦闘。楼岸の戦闘での原田直政の討死)、「御後巻再三御合戦の事」(=5月7日、信長自身による住吉口からの攻撃)、「西国より大船を催し木津浦の船軍歴々討死の事」(=7月15日の第1次木津川口の船戦)と記録されている箇所にあたる。
 陸戦と海戦がどのように行われたのか。そこに人々はどのような思念・情念で加わらざるをえなかったのか。史実の要所を押さえた中で、著者の想像力が躍動する。
 宗教という視点では、親鸞が抱き語った思念と、蓮如の布教活動以降、巨大教団化した一向宗本願寺における宗教心・信仰という局面と教団組織運営の政治的局面の絡まった教団としての考えとの間に生まれている差異が興味深い。

 第2の観点は、戦国武将のそれぞれが如何に己の「家」の維持存続を計ろうとしたか。家の維持存続を図るための方策を如何にとるか。その考えをどう行動に移すかという視点である。この小説の中では、毛利家の発想と戦略、村上海賊の3拠点である能島村上家、来島村上家、因島村上家のあり方の違い、泉州侍三十六家の考え方、信長傘下の侍達の考え方の違いである。その考え方の違いが合戦における行動のしかた、戦略と戦術の対処法の違いとして描き込まれていく。何の為の戦なのかというテーマとなっている。

 第3の観点は、戦国時代における海賊の実態である。略奪行為を主体とした海賊集団が、戦国時代の時点でどのように変容していたかということがよくわかる。略奪行為がなくなったわけではないが、略奪行為中心から、海上交通での権益として帆別銭という通行料をとり、上乗りにより安全に海上交通ができるように計らうという。地域毎に海賊が領域を棲み分けていたという実態がおもしろい。そして海賊間で自然に合意事項が形成されて共存を図っていたようだ。戦国時代の天下統一の機運の中で、流通経済が広域化し、合戦の地域拡大の中で、海賊つまり水軍をいかに味方に引き入れるか。海賊側からみれば、自分達の存続のために一番有利なことは何かの模索、力関係の見極めでもある。
 この小説でいえば、村上三家においても生き方の違いが出てきている。村上三家の宗家とも言うべき村上武吉率いる能島村上家は、瀬戸内の大半を勢力下におさめ、いずこの戦国大名いにも属さず、独立不羈を維持し、帆別銭を軸に海上権益で生きている。村上吉充が率いる因島村上家は毛利家に臣従する立場に立ち、村上吉継ぐが率いる来島村上家は伊予守護家・河野家を主家としている。
 同じ海賊でも、児玉家は毛利家直属となり、警固衆(水軍)という立場となっている。この小説では気位が高く、色白の美丈夫である児玉就秀が警固衆の長であり、村上武吉が娘・景姫の輿入れ先としたいという条件を出し、毛利家に味方するという考えを打ち出していく。同様に、乃美宗勝の率いる乃美家は小早川隆景の警固衆となっている。
 一方、泉州の海賊である真鍋家は、陸侍を中心とする泉州侍三十六家の中では異色であるが、泉州を基盤にして、誰と手を結ぶのが自家存続に有利かを常に考える立場である。真鍋家はあくまで己の家を有利にしてくれる側につくという姿勢で時代の動きを捉えている。
 おもしろいのは、同じ海賊といえども、瀬戸内の海賊・村上家は焙烙という火薬玉を秘伝の武器として利用し、大坂南部の真鍋家は銛を武器として駆使するという違いがある点である。そして、互いが戦闘の場面で対立するまでは、相互にその特技を知らなかったということだ。

 さてこの小説はそんな3つの観点が経糸・緯糸として織り込まれながらストーリーが展開していくことになる。村上武吉の娘・景を設定し、史実の有名な合戦の中に組み込んで行ったところが劇画的なストーリー展開を生み出したおもしろさである。景は「悍婦にして醜女。嫁の貰い手がない当年20歳」という女である。「悍婦」というのは「気の荒い女。気性の強い女}(『大辞林』三省堂)のことである。乃美宗勝は、景姫が武吉の海賊らしい剛勇と荒々しさを引き継いだ女子と評している。序でに、武吉の長男・元吉(23歳)は怜悧さを受け継ぐが剛胆さに欠け、次男景親(19歳)は穏やかさだけを引き継ぐとも評する。
 なぜ、醜女なのか。著者は景姫をこんな女性として描いている。「寵臣から伸びた脚と腕は過剰なほどに長く、これもまた長い首には小さな頭が乗っていた。その均整の不具合は、思わず目を留めてしまうほどである。最も異様なのはその容貌であった。海風に逆巻く乱髪の下で見え隠れする貌は細く、鼻梁は鷹の嘴のごとく鋭く、そして高かった。その眼は眦が裂けたかと思うほど巨大で、眉は両の眼に迫り、眦とともに怒ったように吊り上がっている。口は大きく、唇は分厚く、不適に上がった口角は、鬼が微笑んだようであった」(上・p69-70)
 当時の一般的な日本人の美女観からすれば、この姿態・風貌はまさに醜女なのだろう。景姫は周囲から醜女と言われて育つのだ。しかし、この姿態・風貌って、相対的に言えばヨーロッパ的姿態・風貌なのではないのか? だから、景姫が大阪に行き、泉州侍たちや真鍋海賊に会うことにより、「別嬪さん」と評価されることに転換してしまう。人気の的になるのだ。貿易の町・堺の立地した泉州において、ヨーロッパから来航する南蛮人・紅毛人や絵画などは、見慣れたもの、受け入れられていたのだから。
 自分は醜女と思っていた景姫には、これはポジティブなカルチャーショックである。
 
 この景姫の視点を通して、史実の一端が観望されまた、その史実に景姫が関わっていくというおもしろいストーリー展開である。そして、最終的展開へ飛躍するキーフレーズは「鬼手が出る」である。

 この小説を起承転結風に眺めるなら、大凡次の構成でストーリー展開しているものと思った。個人的な読み方に過ぎないが・・・・・。

起)テーマ設定 : 大坂本願寺御影堂の場 
 一向宗・大坂本願寺門主顕如が下間瀬龍と雑賀党の鈴木孫市と語る場面。石山合戦の現状、毛利家への兵糧10万石申し入れ・搬入の依頼、さらに孫市の所存も語られる。序章はテーマ及び背景設定となっている。

承)どう受け止められるか?

 (起)安紀郡山城本丸の会議の場
 毛利家の輝元の元での重臣会議。大坂本願寺・顕如からの兵糧10万石所望にどう対応するかの会議。村上海賊を味方にするために、村上武吉への交渉役に、児玉就英と乃美宗勝が任命される。

 (承)景姫の海賊働きの場
 大坂本願寺に向かう安芸門徒の百姓や源爺、留吉との出会い。

 (転)武吉と毛利家使者との交渉の場
 武吉は景姫の児玉就英への輿入れを条件に提示する。武吉は毛利家の立場、小早川隆景の思惑を読み切っている。

 (結)景姫、大坂への上乗りの場
 源爺の話を聞き、泉州の堺に行くことに興味を示す。安芸門徒を大坂本願寺、木津砦に運んでやる。それが泉州海賊との出会い、関係の深まるきっかけとなる。行きがかり上、景姫は海賊船に乗っていた織田信長の家臣、太田の首を刎ねる。

転)どのように動き出すか?

  (起)天王寺砦の場
 信長側が築いた攻囲網の拠点である天王寺砦に、景姫は出かけることになる。太田の首を刎ねた申し開きをするという。これが泉州侍たちとの出会いとなり、真鍋海賊の若き当主・真鍋七五三兵衛との出会い、交流の契機となる。これが後々大きくストーリー展開に関わっていく。

 (承)5月3日の合戦の場
 木津砦、楼岸での門徒及び雑賀鉄砲衆と天王寺砦から出た織田方との局地戦の展開。
 景姫は木津砦に送り込んだ留吉・源爺や安芸門徒の活躍を思いながら、天王寺砦から現実の戦の場というものを観戦する立場で望む。景姫は戦の実態を理解していく。
 「進者往生極楽、退者無限地獄」という旗を目にして、景姫は怒りを発する。

 (転)5月7日の合戦の場
 景姫は信長を初めて遠望する。信長の戦ぶりを見聞する。それが、結果的に、鈴木孫市と出会い、約束事をする契機となる。

 (結)景姫、能島城に戻るの場
 景姫が思念にある戦と現実の戦の違いを知る。現実の戦に望めない己を自覚する。女としての生き方を選択する道を選ぶ。

結) その結果、どうなるのか?

 (起)毛利軍船、淡路島滞留の場
 大坂本願寺への兵糧10万石運搬・搬入の体勢で淡路島岩屋城周辺に滞留する。なぜか?そこには、小早川隆景の存念と戦略があった。この滞留が、村上海賊にとっては、その後の心理的爆発の伏線となっていく。

 (承)景姫、父の存念を知る場。景姫、立つ。
 兵糧運搬が成功裏に終わることを待ち望む景姫。だが、父が脳裏に描く戦略構想を知る。それが景姫の思念にある戦へのトリガーとなり、景姫は新たなアクションへと暴発する。

 (転)景姫、真鍋海賊・七五三兵衛との掛け合いの場
 毛利家の立場を押さえ、真鍋海賊との海戦を回避する道を探る。

 (結)第1次木津川合戦の場
 遂に「鬼手が出る」。それは何を意味する言葉だったか? それが明らかになる。それを引き出すための伏線がこれまでのストーリー展開だったとも言える。この点は、勿論史実資料にはない。著者の想像力を大いに楽しんで戴くとよい。
 壮絶な船上での戦いが描き出されていく。陸戦に共通する戦法、海戦でしかみられない戦法などが駆使されていく。一気に読ませる部分であり、劇画的タッチのダイナミックな描写は、読みごたえがある。
 史実の結論だけははっきりしている。この戦に勝利し、毛利方は兵糧を木津砦に運び込んだのである。



 ご一読ありがとうございます。


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本書関連の語句をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。

顕如 :ウィキペディア
本願寺 と本願寺顕如(光佐) と「一向一揆」 :「本願寺家部将名鑑」
下間頼廉  :ウィキペディア
闘うお坊さん 「下間頼廉」 後編  :「お寺さんぽ Ver.3」
下間氏   :「戦国大名探究」

第一次木津川口の戦い :ウィキペディア

村上水軍博物館 ホームページ
  能島村上氏
村上武吉  :ウィキペディア
村上元吉  :ウィキペディア
村上景親  :ウィキペディア

児玉就英  :ウィキペディア
乃美宗勝  :ウィキペディア

大山祗神社  :ウィキペディア

淡路岩屋城と菅氏、毛利氏の石山本願寺支援 :「淡路・菅水軍の歴史」
十六世紀末の淡路水軍・菅氏と豊臣秀吉。:「淡路・菅水軍の歴史」

真鍋島の歴史と習俗(伝承の記録)

安宅船  :ウィキペディア
戦国時代、安宅船と云う大型軍船があったそうですが、絵図などで見る限り船の上に...
  :「YAHOO!知恵袋」
関船   :ウィキペディア
小早   :ウィキペディア
2013因島水軍まつり海まつり小早レース【4】1部決勝  :Youtube
関船と小早  ミニ内航海運史  Ⅳ 水軍2

鈴木孫一  :ウィキペディア
鈴木重秀  :ウィキペディア
雑賀衆 と 雑賀孫市  :「雑賀衆武将名鑑」
伝説の人・雑賀孫一  :「戦国浪漫」
雑賀衆と石山本願寺  :「鉄炮と紀州の傭兵集団」
「紀州宇治住」の雑賀鉢 :「紀州雑賀 孫市城」

根来衆と津田監物   :「鉄炮と紀州の傭兵集団」




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こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『のぼうの城』  小学館文庫




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