遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『光琳、富士を描く!』 小林 忠  小学館

2021-12-18 18:31:15 | レビュー
 偶然目にして手に取った。タイトルを読む前に、表紙の富士と波濤文様、大きな金色の落款に目がとまった。そして、本のタイトルを読む。副題に惹きつけられた。

  ”幻の名作『富士三壺図屏風』のすべて”

 尾形光琳は、俵屋宗達の画法と美意識に対して、時を隔てて私淑し、それを継承する絵師となる。後に「琳派」と称される流れの中で、宗達に次ぐ巨峰の一つになった。宗達・光琳に私淑する一群の絵師が連なって行く。
 手許にある平成初期出版の『新選日本史図表』(第一学習社)という学習参考書を見ると、「江戸初期の文化」のページに俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」が載り、「元禄文化」のページに尾形光琳筆「紅梅白梅図屏風」「燕子花図屏風」が載っている。
 京都文化博物館十周年記念特別展図録『京の絵師は百花繚乱』(1998年)を書架から引き出してきてその画家解説を再読すると、「天性のデザイン感覚をもとに近世の装飾絵画を大成させた。光琳作品は洗練された京の上層町衆の美意識の結晶と言える。元禄14年には、法橋に叙せられているが、この叙任は光琳が御伽衆として仕えた公家の二条綱平の推挙によると考えられている。」(中部記)と説明されている。
 同様に、琳派誕生400年記念特別展覧会が京都国立博物館で開催された時の図録『琳派 京を彩る』(2015年)を再見すると、展示品の「扇面貼交手筥」(奈良・大和文化館蔵)が載っていて、尾形光琳画として「懸子表面」に富士山を描いた扇面図が載っている。この展覧会に、本書で取り上げられている酒井抱一編『光琳百図』『光琳百図後編』も展示されてはいたが、その解説には『富士三壺図屏風』に関しては触れられていない。光琳の描く「富士」は上記の扇面の富士の絵だけだった。一方、図録には尾形光琳作「八橋蒔絵螺鈿硯箱」が載っていて、その「見込」の写真には、本書の図に通じる波濤文様が描かれている。
 
 前置きが長くなった。尾形光琳の作品は上記の展覧会を含め、今までに幾度も鑑賞しているが、富士を描いた『富士三壺図屏風』という大作を描いていたということを全く知らなかった。著者はこの屏風と出会い、見た瞬間に光琳作の真筆と確信するに至ったという。本書は『富士三壺図屏風』の描法を論じ、光琳作かどうかの真贋を検証し、真作であると結論づけるに至るプロセスを分かりやすく説明した書といえる。
 尾形光琳作、六曲一双『富士三壺図屏風』のカミングアウトである。

 著者は2015年3月にニューヨクで『富士三壺図屏風』に邂逅したと記す。そして、同年10月、ワシントンD.C.のフリーア美術館、アーサー・M・サックラー・ギャラリーで開催された”Sotatsu: Making Waves"と題する展覧会にて、伝尾形光琳作として初めて美術ファンの前に姿を見せたという。奇しくも上記「琳派 京を彩る」の展覧会と時を同じくしていたことがわかる。
 2020年8月にこの屏風が表具の修復を兼ね日本に里帰りしたそうだ。そして、著者は個人蔵のこの屏風について、交渉して、2020年11月、アーティゾン美術館で開催された「琳派と印象派」展での展示を実現させたという。これが日本での初お目見えとなった由。

 この本では六曲一双の屏風の全体図の紹介は当然であるが、屏風の要所要所の様々な部分図を多数掲載するとともに、原寸サイズの部分図を幾枚も掲載している。それらは美術ファンにとって、光琳の細部の描き方をじっくりと観察し堪能することができる利点となる。部分図について著者は丁寧な解説を綴っていく。

 本書の構成とその内容の簡単なご紹介をしてみたい。

<はじめに 光琳が描いた「富士」との衝撃的出会い>
 要点は上記の通り。p14に「これが、尾形光琳が描いた富士の名画です」として、六曲一双の屏風の全体像が載っている。

<序章 俵屋宗達から尾形光琳へ 『富士三壺図屏風』を生み出した琳派の系譜>
 ”「琳派」の特徴は、直接教えを受け伝える師承関係ではなく、会ったこともない先人への崇敬の念をもとに、「私淑」という独特の関係で継承されていることだ。”(p26)と著者は言う。光琳は「模写」を通して、宗達から画題と美意識を継承した。その実例が「風神雷神図屏風」である。これはp27に対比的に掲載されている。
 『富士三壺図屏風』を描く上での着想を、光琳は宗達の『松島図屏風』(フリーア美術館蔵)から得たと論じる。宗達の『松島図屏風』(六曲一双)を私は本書で初めて知った。光琳は宗達の『松島図屏風』の右隻をもとに、六曲一隻の『松島図屏風』(ボストン美術館)を描いている。この屏風も私は本書で知った。「松島図」という画題は琳派の絵師たちに受け継がれる。
 『松島図屏風』と『富士三壺図屏風』に光琳の秘められたメッセージがあると著者は言う。これが後の章を通じて、解明されることになる。

<一章 『富士三壺図屏風』の魅力を読み解く!>
 光琳はこの屏風の右隻に雪をいただいた富士を描き、左隻に宗達の『松島図屏風』の右隻に照応する海中にある3つの小島を描いている。そして、『富士三壺図屏風』の左隻に描かれた3つの小島が、松島ではなく、古来中国で神仙が住むといわれた東方の海にある3つの山「三壺」(方壺・蓬壺・瀛壺)であると論じて行く。
 右隻の霊峰富士を望む湾は静かに凪いだ波濤文様の海としてやまと絵風に描かれ、左隻の中国の霊山のある海は、漢画風で渦巻く荒々しい波濤文様の海として描かれている。こちらはまさに対照的でダイナミックな波である。
 著者はこの右隻と左隻のみごとな対比を読者にわかりやすく読み解いていく。そして屏風の部分部分をクローズアップし説明を加わえて行く。
 左隻は松島図をもとにしながら、まさに換骨奪胎された世界、三壺に変貌している。この左隻の波の荒々しさ、ダイナミックさと波しぶきの表現は、実に魅力的! 右隻の波と対比しながら眺めていると一層際立っていく・・・・。
 さらに、著者は三壺としての小島の描法が宗達の作品とは明らかにことなり、洋画的筆致の技法で描かれている点を指摘している。掲載の部分図をみていると、なるほどと頷ける。
 この屏風の鑑賞としては、この一章がメインと言えるだろう。

<二章 『富士三壺図屏風』の真贋を徹底検証する>
 著者は『富士三壺図屏風』が尾形光琳の真筆であるという論拠を5つの視点から検証していく。その検証方法を箇条書にしてみる。その内容は本書でご確認いただきたい。
 1. ふたつの『松島図屏風』との比較から見極める
 2. 光琳の他の名作との比較から見極める
 3. 署名と印章から見極める
 4. 『光琳百図後編』から見極める
 5. 文献、箱書きから見極める

 一点だけ触れておきたい。上記した特別展覧会「琳派 京を彩る」には、酒井抱一編『光琳百図後編』が展示されていた。だが、図録には『富士三壺図屏風』には触れられていなかった。本書を読んでわかったのは、酒井抱一はこの屏風を見ていたと思えるのだが、右隻と左隻を対のものとしてでなく、左隻を『松島図』として、『八橋図屏風』の次に掲載し、さらに『松島図』の次のページに、「富士」を「金地四尺五寸屏風極彩色」と説明し紹介しているだけという。つまり、『富士三壺図屏風』という名称は出て来ないそうだ。後の鈴木其一が屏風を収める大きな箱に箱書として「富士三壺 法橋光琳筆」と墨書し、この屏風の売買を仲介した時から、この名が付いたという。

<三章 『富士三壺図屏風』に込められた思想性に迫る 光琳はなぜ、富士を描いたのか>
 写真だけのページを除くと、5ページで著者の論点がまとめらている。著者は尾形光琳の中に、日本の文化を誇る精神性が芽ばえていたのだと論じている。宗達の松島図との対比を踏まえて、このまとめは興味深いと思う。

<あとがき 新たな作品との出会い”蛮勇”と「読画]>
 あとがきから、次の2つの文を引用してご紹介する。
*新出の重要な作品には、その良否を判断し、決断する”蛮勇”を必要とする。
*つくづく思う、アートは常に刺激的で、作者の作品に託した真意は思いがけなく深い。
 一つの作品を名画鑑賞としてその細部まで充分に楽しめ堪能できるアート本である。
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
尾形光琳  :「コトバンク」
尾形光琳  :ウィキペディア
尾形光琳  :「Salvastyle.com」
重要文化財 扇面貼交手筥 :「大和文華館」
  懸子の表面に描かれた「富獄図」も掲載されています。 
重要文化財 扇面貼交手筥 動画  近畿日本鉄道  
尾形光琳の生涯と主な有名作品 天才マルチアーティスト :「四季の美」
尾形光琳: 白楽天図屛風|琳派と印象派展・後期展示 :「クラシック音楽とアート」
  併せて、光琳の『松島図屏風』と宗達の『松島図屏風』が載っています。
光琳百図後編  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
  17~18と30~33コマ目が本書の説明に関連する絵図です。
特別展「琳派 ―俵屋宗達から田中一光へ―」山種美術館で、琳派の継承に迫る - 尾形光琳や鈴木其一も :「FASHION PRESS」
  尾形光琳《白楽天図》を掲載しています。
Sōtatsu: Making Waves YouTube :「NATIONAL MUSEUM of ART Smithonian」
Curator James Ulak on Sōtatsu: Making Waves  YouTube
Waves at Matsushima Tawaraya Sotatsu  :「Canon 綴 TSUZURI」
俵屋宗達  :ウィキペディア
酒井抱一  :ウィキペディア
鈴木其一  :ウィキペディア

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