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遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『罪の轍』  奥田英朗  新潮社

2021-01-03 11:57:57 | レビュー
 新聞の広告を読み関心を抱き、この作家の作品で初めて手にしたのがこれ。
 「霧の向こう」という題で「小説新潮」(2016年10月号~2019年3月号)に連載された後、2019年8月に単行本化されている。

 北海道の礼文島で昆布漁に携わる漁師見習いの宇野寬治は、ある時点で記憶が甦らず脳に障害を抱えそれが身体症状に現れる時がある。一方、己の感情を遮断する術をいつしか会得もした。東京に行きたいという願望を抱く。そのための金がほしい。罪という意識が乏しいままに罪を重ね、その連鎖から罪で描く轍を残して行く。なぜ寬治のような罪人が生まれたのか。根源はそこにある。このストーリーはそれらのプロセスが描かれていく。

 場面は礼文島から始まる。学校を卒業し、稚内の工場に勤めたがうすのろと蔑まれる寬治は窃盗を重ね、少年刑務所にも入る。その後礼文島に戻るがここでも数件窃盗を犯す。さらに網元の一人、酒井寅吉の屋敷に入り窃盗することを漁師の赤井に唆され、金を得て寬治は東京に行きたい思いから実行した。島から漁船で脱出する手助けを赤井から得るが、騙されたことに気づく羽目になる。だが、生き延びることだけはできるという顛末が導入部となる。ここに寬治の生育環境の大凡が描かれている。

 そして、ストーリーの舞台は東京に移る。時代は昭和38年8月。東京オリンピックを控えて、新幹線の建設や都内の道路建設その他、建設ラッシュに湧き上がっている時代である。その当時の時代状況が背景描写としてリアルに織り込まれていく。
 ストーリーの表舞台の主な登場人物の一人は落合昌夫。警視庁刑事部捜査一課の刑事で五係に所属する。係長は宮下警部。先輩刑事の一人が仁井薫、通称”ニール”で通っている。落合の後輩で、一番若手が岩村という27歳の新米刑事である。
 南千住署管内で殺人事件が発生する。「荒川区元時計商殺人事件」捜査本部が立つ。昌夫の所属する五係がこの捜査本部に入ることになる。その前日、足立区の千住署管内で空き巣被害が2件立て続けに起こっていた。
 昌夫は南千住署の大場茂吉という古株の刑事と組み地取り捜査を始める。昌夫は、主婦から林野庁と書いた腕章を腕に巻いた男が路地をキョロキョロしながら歩いていたという目撃情報を得る。昌夫には林野庁という名称その場違いさにひっかかかりを覚える。それが後に寬治と結びついていく。昌夫は寬治の過去の事実捜査を任される事になっていく。

 このストーリー、東京オリンピック前の山谷(さんや)が一つの舞台となっていく。日本国籍を取得し帰化した朝鮮人親子が山谷で旅館(簡易宿泊所)と食堂を営業している。この界隈のヤクザの組長だった父は10年前に病死。母は警察に殺されたと主張し、警察を敵のように扱っている。その旅館は娘の町井ミキ子が実質的に運営しているに近い。だが、併せて彼女は税理士資格を取る勉強をしている。弟の明男は最近、浅草を根城とする東山会の盃をもらったやくざの下っ端である。その明男がたまたま寬治との間に友達関係ができたのだ。明男は寬治が莫迦で空き巣をしているという事実を知っていた。寬治を一度だけ、母親の旅館に泊まらせたことがあり、その折り姉ミキ子が寬治を知る機会ができた。大場刑事は山谷を熟知していて、ミキ子たちのこともよく知っていた。
 ミキ子の視点から、当時の山谷が客観的に見つめられる。当時の警察の対応状況も冷静に見つめていく。一方、寬治や弟明男に関しては、警察と彼等の間では黒子的な立場で対応していく。ミキ子の対警察対応感覚が興味深くかつおもしろい。
 明男は寬治から空き巣の経緯を聞いていた。寬治がこの時点でどこに居るかも知って居た。「荒川区元時計商殺人事件」について、寬治の話から明男は寬治が殺人容疑者として嵌められいることを危惧していた。

 10月6日の日曜日に午前7時頃に上野署管内で空き巣未遂事件が発生する。
 さらに、浅草署管内で児童誘拐事件が発生した。台東区浅草猿若町二丁目で家族経営の個人商店を営む豆腐屋「鈴木商店」の小学1年生で吉夫という子が誘拐されたのだ。自宅宛に50万円を要求する電話が阿掛かってきたと言う。
 また、日曜日の午後、浅草の駄菓子屋で、子供たちと一緒にいる宇野寬治の目撃情報があった。

 寬治が容疑者として浮上する事件が次々に現れてくる。誘拐事件に寬治がどのように関係しているのか、あるいは関係していないのか。事件捜査中の警察の失敗行動も重なり、事態が混迷していく。
 黒電話がまだ珍しく、無線機器の普及は未だであり、テープレコーダーも初期段階、事件捜査に自動車を使うのも希という時代背景の中での、電話を使った誘拐事件の状況が描き出されていく。捜査行動における時代差を感じる。

 少しネット検索で調べてみると、昭和30年代前半を中心に二輪車が普及し、乗用車は35年頃から全国的な普及が始まり40年代に発展していくという初期である。黒電話(600形自動式卓上電話機)の提供が開始されたのは1963(昭和38)年だという。日本で最初のテープレコーダー「G型」の完成したのが1950年1月、ソニーの前身である「日本通信工業」においてであり、オープンリール方式の大型機器である。初のカセットテープレコーダー「TC-100」が誕生したのは1966年という。

 この警察小説の時代設定がその捜査活動との絡みから考えて、興味深く実におもしろい。

 宇野寬治が「荒川区元時計商殺人事件」における強盗並びに殺人犯なのか。
 浅草署管内での児童誘拐事件に宇野寬治がどういう役割で関与しているのか。子供は生存しているのか。
 この事件の解明がストーリーの主流になり展開して行く。しかし、その中で宇野寬治の生育環境が明らかになり、また寬治が脳にある障害を持っようになった状況が明らかになるプロセスがサブストーリーとして、罪の連鎖の背景に絡んでいく。寬治が己の記憶障害を克服できた瞬をが転機とし、寬治は新たな決意と行動をとる。この最後のプロセスが追跡劇の読み応えに繋がっていく。

 宇野寬治という犯罪者を生み出した根源を考えさせるストーリーである。彼の犯罪をおぞましいと憎めども、寬治という存在に一抹のやるせない哀しみが残る。

 ご一読ありがありがとうございます。


本書を読み、時代背景に改めて関心を抱きいくつかの事項をネット検索してみた。上記のために参照したソースもある。一覧にしておきたい。
礼文島観光情報 ホームページ
礼文島  :ウィキペディア
ニシン漁の歴史  :「留萌水産物加工協同組合」
利尻昆布はどう作られる?漁師と利尻島民の夏の1日を追いかけてきました :「ポケマル」
ミツイシコンブ:こんぶ漁業(ミツイシコンブ) :「マリンネット北海道」
山谷(東京都) :ウィキペディア
山谷のドヤ街を考える~日本三大ドヤ街  :「知の冒険」
日韓基本条約  :「日本政治・国際関係データベース」
第1項 高度成長とモータリゼーション  :「トヨタ自動車75年史」
第二次世界大戦後の自動車産業(1945~1960年) :「GAZOO 自動車歴史館」
日本で電話が生まれて150年 黒電話や公衆電話など『電話の歴史』を振り返る:「TIME & APACE」
電話の普及 その背景にある技術とは  :「NTT東日本」
第2章 これだよ、我々のやるものは<日本初のテープレコーダー>  :「SONY」
第5章 コンパクトカセットの世界普及 :「SONY」
警察無線  :ウィキペディア
JZ Callsigns ;「History of Citizens Band Radio」
無線機歴史博物館 ホームページ

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