遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『万葉歌みじかものがたり 六』  中村 博   JDC

2016-02-18 11:57:41 | レビュー

 『万葉歌みじかものがたり』の第1巻から第5巻までの読後印象記をこのブログで記している。重なる印象部分があると思うが、お許し願いたい。著者は『万葉集』に収録された歌-4,500首余収録-の全訳にチャレンジしている。しかし、その訳出がユニークである点がおもしろく、かつ勉強にもなる。
 『万葉集』に収録されている歌の順番に訳を試みるのではなく、収録されている歌をある観点で整理統合し、「短編物語風の『短か』ものがたり」(p5)という形に歌を解釈して、歌をストーリーの形に編集し提示していく。基本的には、ある観点からの編年的なストーリーとなっている。この第6巻は、第4巻・第5巻からのシリーズの完結編ともいえる。
 すなわち、メインのテーマは大伴家持伝である。家持の歌を主軸として、その歌と関係する形で様々な人々の歌が相互に関係づけられ配置されていく。大伴家持の「青春編」(第4巻)、「越中編」(第5巻)に続く形となる。大伴家持が越中守を解かれ都へ戻って来た時点から残りの人生部分が時代背景の中で短編物語風に編年されていく。家持は政争の坩堝となっている都に立ち戻り、大伴一族の長という立場で処さねばならなくなる。

 そこで、この巻では「家持大夫(ますらお)編」と題されている。家持が越中から帰京するのは、天平勝宝3年(751)9月である。天平感宝元年(749)7月に聖武帝が退位され、皇太子の阿部内親王が孝謙天皇として即位。しかし政治は孝謙天皇の生母である光明皇太后中心となり、新たに『紫微中台』が組織化され、実質的権限は長官・藤原仲麻呂に委ねられているという政治的背景がある。帰京の時期は遣唐使派遣の話題で都が湧いている一方で、藤原仲麻呂・橘奈良麻呂の暗闘の時代となり、そこに橘諸兄も巻き込まれていく。政争の坩堝という状況が起こりつつある。
 家持は大伴一族の長としてその結束を高め、政争の中には巻き込まれずに距離を置き、自らの生きる道を懸命に探ろうとする。そういう社会的文脈の中で家持の歌と、家持に関わる人々の歌がどういう思いで詠まれたのかが綴られていく。それも身近な受け止め方ができる訳によって。
  著者は、「家持大夫編」を天平勝宝8年(756)5月の聖武太上天皇の崩御の時期を境として、その前年までを「(一)政争の都」とする。その後の時期を「(二)変そして因幡へ」とし、この完結編を二部構成にしている。

 聖武帝崩御の翌月、つまり6月17日に、家持は「族(やから)に諭す歌一首幷に短歌」と題し、歌を詠んでいる。家持の人生最後のステージを、第二部はこの歌から始める「みじかものがたり」にまとめられていく。この歌は『万葉集』の第20巻に4465~4467として収録されている歌である。4516首目が最後の歌なので、まさに万葉集の末尾近くが家持の人生の終盤として、取り上げられている。
 天平宝字元年(757)1月に、元左大臣橘諸兄が死去。5月には養老律令が施行される。橘諸兄の死去で仲麻呂は勢力を伸ばす。そしてこの年7月、橘奈良麻呂の乱が起こる。一方の仲麻呂は758年8月に右大臣となり、恵美押勝の名を賜るのだ。そして760年1月には太政大臣になる。だが、この年(760)の6月に光明皇太后が没する。淳仁天皇を擁する押勝に対し、孝謙上皇との間で確執が生まれている。そして764年の恵美押勝の乱へと政争は進展していくことになる。

 著者はこの政争の渦中で身を処す家持の詠んだ歌また家持と関わりのある人々の歌を、政争の流れと絡めながら、編集し連ねていく。歌の心情が汲み取られ、歌の解釈をリズムのある訳に反映させて行く。第一部での政争、第二部での政争は状況が大きく変化していく。橘奈良麻呂の乱があった翌年(758)6月に突然、家持は因幡国守を任ぜられる。そして、家持は山陰の任地に赴くのである。
 この大きな政争の時代の流れを語り、その渦中で家持の詠んだ歌、天皇も含め関係する人々の詠んだ歌が短編物語風に織りなされていく。
 
 みじかものがたりは、詩を語るような文体で語られ、織りなされる歌は全て韻文調で訳される。短歌は五七五七七の口調で訳出され、長歌は七五調で訳されている。さらにその訳の表現は「関西言葉で」と著者は記している。しかし、関西在住の私には、「大阪弁」で訳されているように思う。
 著者は「はじめに」でこう述べる。「何といっても、万葉時代の中心地は関西。関西言葉がスタンダードであったことに、疑いはない。関西風が『歌ごころ』を伝える最適手法だ。」(p5)と。

 この第6巻では大伴家持伝としての最後「大夫編」を二部構成にした後に、「支え歌人編」がまとめられている。本書全体でみれば、「家持大夫編」と「支え歌人編」の二部構成。実質的には3つのパートがあるという形式になっている。
 「支え歌人編」は、歴史書や歴史年表など、いわゆる歴史に名を残す人々ではないが、『万葉集』という歌集の中にその名を残した人々の歌が取り上げられて読みやすく編集されている。著者は「この人々が居ればこそ歴史は動いたのであり、万葉集伝わりの意味合いも増すのである」(p6)という視点に立ち、温かい眼でこれらの人々の人柄を浮き彫りにしていこうとしている。それは、一方で『万葉集』にはこんな側面の歌まで収録されていたのかと驚く部分、おもしろい新鮮さを味わえる。

 この本の訳の雰囲気を伝えるために、大伴家持の歌で知られていると思える歌を二例取りあげてご紹介しよう。著者は、韻文調での歌の訳出、そして現代仮名遣いにした歌の本文、という形で本書をまとめていく。
 ここでは、わかりやすい対比として手許にある折口信夫著『口譯萬葉集』(折口信夫全集、中央文庫)での口語訳を併せてご紹介する。そのため、著者の取り上げた歌の本文を先に出し、その後に著者の訳、折口信夫の口語訳を載せる。折口のも口語訳なので、訳出の雰囲気の違いの対比もよくわかり、本書シリーズに興味が湧くのではないかと思う。折口の訳出は、収録された歌の順番そのままで口語訳されている。

 「心悲しも」という見出しの見開きページ(p38-39)から抽出した歌二首。

本文: 春の野に 霞棚引き 心(うら)悲し この夕影に 鶯鳴くも  巻19 4290

著者訳: 春の野に 霞靡(なび)いて 鶯の 声沁(し)む宵や 沈む心に
  
折口訳: 春の野に霞が懸つて居る、此夕日のさして居る時分に、鶯が鳴いて居ることだ。(そして、何となく悲しい心持ちがすることだ。)


本文: 我やどの い笹群竹 吹く風の 音の幽(かそ)けき この夕(ゆうべ)かも
                                  巻19 4291
著者訳: 庭の小籔 風音(おと)も無(の)う 吹き抜ける
        この夕暮れの 寂(さみ)しさ何や
 
折口訳: 自分の屋敷の、少し許りのかたまった、竹を吹く風に立てる音が、微かに聞こえる、今日の夕暮れであることよ。

 著者の目的は、万葉集の歌をみじかものがたりとして、現代風の身近なものとして全訳することであるので、大伴家持伝も、歌の詠まれた範囲で完結している。『万葉集』の最後の歌(巻20、4516)は、因幡国で正月を迎えた家持が詠んだ歌で終わる。家持伝もここで終えられている。その歌とは、

著者訳: 新年と 立春(たつはる)重なり 雪までも 
          こんな好(え)えこと ますます積もれ
本文:  新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)
である。

 余談だが、そこで、ふと気になったのは、それでは家持は何時どこで亡くなったのか?ネット検索で調べてみると、延暦4年(785年)のようだ。
 783年に中納言に昇進し、785年には兼任していた陸奥按察使持節征東将軍の職務のために陸奥に赴いていたようである。一方で、遙任の官として在京のままという見方もあるという。そして、784年11月の長岡京遷都から1年も経たない785年9月に藤原種継が長岡京で暗殺される。この暗殺に家持関与が疑われ、追罰として家持の埋葬を許さず官籍除名という処罰が為されているのである。これで没年はほぼわかるが、死没地は陸奥の多賀城説と平城京説に別れているという。
 私は今まであまり意識していなかったことがある。大伴家持の歌は万葉集に473首(一説には479首)収録されていて、何と万葉集全体の1割以上に及ぶのである。そして、巻17~20という巻末4巻は、家持による歌日記とみえるような体裁になっているのである。大伴家持が万葉集の撰者・編纂者に擬せられていることが頷ける。

 最後に、「支え歌人編」を読んでの私の新発見に触れておきたい。万葉集はその時代の秀歌ばかりを選して収録したものではないということ。おもしろい歌も取り込んでいるのを発見とは大げさだが気づいた次第だ。たとえば、つぎのような歌まで収録されている。
著者の訳: 処罰を受けて 仕様無(しょうな)しに わしら一同 打ち揃い
        足止め喰とて 謹慎や 春の野山が 呼んでる云うに
本文: 大君の 命畏(みことかしこ)み 百磯城(ものしき)の 大宮人の
      玉桙(たまほこ)の 道にも出(い)でず
        (春日野遊び) 恋ふるこの頃     作者不詳 巻6・948

著者の訳: 双六の 賽(さい)の目見たら 一二外(いちにほか)
        五六もあって 三四もあるで
本文: 一二の目 のみにはあらず 五六三 四さえありけり 双六の賽 
         長意吉麻呂(ながのおこまろ)  巻16・3827

著者の訳: 香塗りの 塔近付くな 便所傍(かわやそば)
        屎(くそ)喰う鮒(ふな)を 喰うた女奴め
本文: 香塗れる 塔にな寄りそ 川隅(かわくま)
      屎鮒食(は)める 激臭(いた)き女奴   長意吉麻呂 巻16・3828
 ⇒ 与えられた歌題「香 塔 厠 屎 奴」を詠み込んだ遊び歌、戯れ歌のよう。

同様に、こんな歌も
著者の訳: 虎乗って 廃屋(ふるや)飛び越え 青淵で
        蛟竜(みずち)捕る様(よ)な 刀が欲しな
本文: 虎に乗り 古屋を越えて 青淵に 
      蛟龍(みずち)捕り来(こ)ん 剣太刀もが  境部王 巻16・3833
 ⇒ 「虎 古屋 青淵 蛟龍 - 恐い物づくし」

 こういう歌題読みの歌遊びがいくつも収録されている側面。『万葉集』って、おもしろい編纂なのだ。こんなのは、文学史や教科書などでは紹介すらないだろう。『万葉集』は決して高尚なばかりの文学書ではないのだ。
 また、家持が防人として派遣される人々の切ない思いを代弁するかのように数多くの歌を詠んでいることもこの第6巻で知った。何せ、手許に『万葉集』があれども、未だ通読はしていないので・・・・。物語風に気楽に読み進められるというお陰で、『万葉集』の新たな側面が見えて来た。
 『万葉集』は、まさに奈良時代の社会の縮図なのだということを・・・・・。

 本書の副題に「一億人のための万葉集」とある。まあ、ちょっと大げさなキャッチフレーズだが、万葉集を気軽に手に取り、お話風に読み進められ、かつ歴史の流れもかなり学べる点では、楽しめて肩の凝らない入門書と言える。手にとって、試しにパラパラ拾い読みしてみてほしい。

 ご一読ありがとうございます。

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関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
大伴家持  :ウィキペディア
大伴家持の生涯と万葉集  :「高岡市万葉歴史館」
大伴宿禰家持  :「波流能由伎 大伴家持の世界」
大伴氏 系図  :「波流能由伎 大伴家持の世界」
藤原仲麻呂   :ウィキペディア
藤原仲麻呂   :「コトバンク」
惠美押勝(藤原仲麻呂)の乱と、勝野の鬼江  :「びわ湖源流 ドットコム」
藤原仲麻呂の乱  :ウィキペディア
橘奈良麻呂  :ウィキペディア
橘奈良麻呂  :「コトバンク」
橘奈良麻呂の乱  :ウィキペディア
「反藤原勢力が丸ごと葬られた橘奈良麻呂の変」 関裕二氏 :「廣済堂よみものWeb」
橘諸兄 :「波流能由伎 大伴家持の世界」

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『万葉歌みじかものがたり』 第4巻・第5巻   JDC
   「家持青春編 (一)恋の遍歴 (二)内舎人青雲 あじま野悲恋編」
   「家持越中編 (一)友ありて (二)歌心湧出」
『万葉歌みじかものがたり 三』 JDC
   個人列伝編:高橋蟲麻呂、笠金村、山部赤人、坂上郎女
『万葉歌みじかものがたり 二』 JDC
   個人列伝編:柿本人麻呂、市黒人、大伴旅人、山上憶良
『万葉歌みじかものがたり 一』 JDC
   歴史編:記紀神話時代~平城京遷都まで



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2 コメント

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お礼とご案内 (中村 博)
2019-10-11 10:05:05
茲愉有人様
ありがとうございます。
「万葉歌みじかものがたり」の中村博です。
以前から拝見していましたが、改めてお礼を申し上げます。
深く読み込んでいただき、当方の意を十分に捉えていただいた適切な解説、傷み入ります。
病を得て休んでいましたが、ブログを再開しました。
これまでの著作を一挙公開しています。
『古典オリンピック』で検索ください。
厚かましいですが、著書をお読みいただき、紹介していただければ、これ以上の喜びはありません。
また、私のことが「大阪日日新聞」に掲載されました。
『中村博 Voice』で検索されると、その記事がご覧になれます。
併せてご笑覧ください。
取り急ぎお礼とご案内まで。
中村 博
返信する
ご案内ありがとうございます (茲愉有人)
2019-10-11 13:15:10
中村 博様

コメントをいただき、恐縮しております。
あわせて、ご案内いただきありがとうございます。

ご健康回復とのこと、何よりのことと存じます。
これからのますますのご活躍、祈念申し上げます。

アクセスして、著作一覧等拝見させていただきます。

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