遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『倭の正体 見える謎と、見えない事実』 姜吉云  三五館

2011-11-22 01:26:10 | レビュー
非常に刺激的で、興味深くかつおもしろい本だ。
「倭」とは何か、日本の古代史の解釈を大きく覆す見解で一杯という本である。比較言語学の観点及び中国の史書と古代の韓国の史料である『三国史記』を基盤にして、『日本書紀』の記述と比較し読み解いていく。
 私を含めて一般人が通念的に持っている知識(?)が次々に覆されるという点で、刺激的であり、こんな読み解き方ができるのか・・・・という点で大変おもしろい。

 奥書によれば、著者はソウル大学校文理科大学国語国文科を卒業され、文学博士で、比較言語学を研究する言語学者である。『三国史記』と『日本書記』のそれぞれに記載されている史実においてギャップがあるところを詳細に分析し、人名や地名などの読み方に比較言語学的な考察を加える。音韻学的な変容で朝鮮(駕洛国)の語彙と日本の語彙の関係性を分析し、その関連付けから朝鮮と日本の関係を解明していく。この解明プロセスと謎解きが非常に興味深い。

 ただ、音韻学的な変化が学問的体系的上、客観的で適正なのかどうかを判断出来ないので、言われるがままに読み進めていくことしかできないのが残念である。もしこの見解が第三者の専門家の立場から認められるなら、通説日本史の大幅な書き換えが必要になるのではないか。多くの古代史研究者の過去の論文成果はどうなるのだろうかという点が気になる。一方、この分析に諸専門家の賛否見解の論議していただきたいものだ。既になされているのだろうか。そうすれば、我々素人には、日本古代史に目を向けるのに一層役立つと思うが、如何だろう。

 本書で著者が主張されている主要な見解を箇条書きで要約してみる。
 これについて、あれっと思われたら、この本をまずは開いてみてほしい。
(私は、そういう風な読み方ができるのか・・・という位置に止まっている。とりあえず著者の見解を読み通したに過ぎない。だけど、おもしろい!)

*『日本書紀』の読み方のキーワードは「倭」にある。  p2
*「倭」はもともと加羅(伽耶)族全体をさす。5世紀末までの「倭」とは日本列島内の「倭」を指すのでなく、伽耶(=駕洛国、『日本書紀』では加羅)を指す。 p19-20
 伽耶と倭は同義語であり、その一部が日本列島に渡って日本の支配層を形成した。 p27
*「任那」とは伽耶諸国の盟主国をさす。正式の呼称は任那加羅で、直接には駕洛国を指す。  p54
*(著者の研究では)「文献に表れている加羅の宗主国の駕洛国語はみなドラヴィダ語と対応するのが確認された」(p59)加羅語はドラヴィダ語系である。 p61
 (→本書ではこの結論からはじまり、語彙について、ドラヴィダ語を基軸に音韻学的な変容を韓国語・日本語に関連づけていく。著者の独壇場であり、そんなものかと読み進めたにとどまる。また、ウィキペディアで「ドラヴィダ語族」を検索したが、私にはここでの説明と駕洛国が未だすんなりとはリンクしていない。)
*任那日本府が実在したとしても、大和倭が本国である任那加羅に置いた常設の連絡・協議機構である。占領地に置いた総督府のような統治機関ではない。 p66
*伽耶と大和倭は墓制上から同じであり、出土品もあまりにも似すぎる。そこから、少なくとも駕洛国(任那)と倭国の権力者は同族と断じるのが自然だろう。 p73
*西日本には、加羅・伽耶に由来する地名が新羅・百済・高句麗に比べ圧倒的に多い。人名の由来も同様である。  p74
*神功皇后は架空の人物で、彼女の三韓遠征は作り話であると考えるほかはない。 p88
*『日本書紀』は百済三書-『百済記』『百済新撰』『百済本紀』を底本にしている。百済が滅びた後の百済の亡命者たちの手によって書かれていて、百済と倭の関係を逆にするという変造があるから、百済の任那加羅支配も倭の指図として表されている。 p89
 駕洛国史をもとに百済史を織り交ぜて作りあげた史書である。  p114
*広開土好太王陵碑文の中の倭の実体は、任那加羅を中心とする加羅族の集団である。この中にはもちろん大和倭も少数ながら含まれていたかもしれない。  p111
*古代の天皇の読み解き
 崇神天皇の諡号から :駕洛国初代の金首露王をさす。
 神武天皇      :新羅の初代朴赫居世の弟
 応仁天皇の諡号から :駕洛国第五代の伊尸品王
 仁徳天皇の諡号から :駕洛国第六代の坐知王
 允恭天皇の諡号から :駕洛国第八代銍知王の成り代わり 
 雄略天皇の諡号から :駕洛国第七代金喜王の成り代わり
 欽明天皇      :駕洛国末王・仇衡王の成り代わり
  「駕洛国の実質的な末王である仇衡王が欽明天皇に成り代わったとなれば、駕洛国という本家が倭国に移ったのであるから、『日本書記』の編纂に当たって駕洛国の全史が織り込まれていくのも当然な流れであろう。」(p138)
 継体天皇      :百済の東城王の成り代わり。
 舒明天皇の諡号から :百済の威徳王の王世子「阿佐王子」の成り代わり
 香極天皇      :百済の武王の娘・宝公主
 孝徳天皇      :百済武王の王子で義慈王の弟の智積
 天智天皇      :百済の義慈王の王子翹岐(一名:勇王子)の成り代わり
 天武天皇      :大佐平智積王弟(=孝徳天皇)の息子の達率長福
*『日本書記』推古31(623)年7月条にある「天皇付庸」を天皇に属する小国と解釈するのは誤訳である。天皇が付庸する、つまり頼っている宗家という意味になる。 p148
*百済と倭国の間には敵対的関係が全然見当たらない。新羅や高句麗とは比較にならないくらい親密な関係にあった。 p169
*百済から日本に派遣された檐魯(タムロ)主であった王子や王弟は、倭国の実質的な統治者と言える。 p170

 「おわりに」で著者は「この本は日本の学者たちが試みたことのない本格的な比較言語学的方法による古代史の研究であり、成果を密かに自負するものです」と述べている。

 歴史の事実とは何なのだろうか?
 歴史の謎が解明されたのか、はたまたさらに一石が投じられて議論が一層紛糾することになるのか。著者の見解は、日本史専門家にどう受け止められているのだろうか。学会では無視されているのだろうか・・・・興味が広がり、深まる。

 最後に著者はこう記す。
 「私の願いと目的は、この本が古代の歴史的事実を正し、日韓の和解と和合の一助となればという点にあります。歴史的には兄弟同士なのですから、日韓が協力しながら激動の兆しを見せる東アジアと世界をリードしていってほしいと願うものです。」

 著者の見解を読み、日本の古代史に一層興味が深まっていく。


ご一読、ありがとうございます。

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語句を検索しだすときりがないのでとりあえず関心度の高いところで拾ってみたものをまとめました。

比較言語学 :ウィキペディア

音韻論  :ウィキペディア

ドラヴィダ語族 :ウィキペデイア

三国史記 :ウィキペディア

倭・倭人関連の中国文献 :ウィキペディア

倭国  :ウィキペディア

倭   :ウィキペディア

伽耶  :ウィキペデイア

伽耶  :朝鮮の歴史wiki

倭国と関係が深い 伽耶・任那・任那日本政府 :天の森総合サイト

任那  :ウィキペディア

百済  :ウィキペディア

天皇  :ウィキペディア

記紀系譜(神々の系譜・天皇の系譜)

皇室の系譜一覧 :ウィキペディア

天皇系図(pdfファイル):これ、首相官邸のホームページにある資料です。

継体天皇 :ウィキペデイア

足羽神社 継体天皇 ←こんな神社が福井県にあるのですね。



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