遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『天使も怪物も眠る夜』  吉田篤弘  中央公論新社

2020-09-02 16:52:47 | レビュー
 2019年「螺旋プロジェクト」の一環作品ということで読んでみた。この作品は、このプロジェクトにおいては、「未来」を扱う作品となっている。近未来の先にある未来である。『小説BOC』の創刊号~10号(2016年4月~2018年7月)に連載されたものに加筆・修正され2019年7月に単行本化されている。

 2095年の東京は慢性的な「不眠の都」になっている。その東京の都心部を東西に分断し厚さおよそ1m、高さ約6mの<壁>ができている。<壁>が建てられたのは2071年、今や四半世紀を数える。<壁>は大昔に巨大な団地群があったエリアを二分化していた。当初は<壁>の存在が暴徒たちの戦場ともなった時期がある。そして、<壁>には数多くの地下道が作られた。今では廃墟となり、「手つかずのまま名前もわからない植物がはびこり、野性の匂いを放つジャングルに化けて」(p21)「バラ線地帯」と称されるエリアができている。なぜ<壁>が建設されたのかは曖昧なままにとどまるという。そんな社会的背景の中でこの物語がはじまる。

 人々は不眠に陥り、「面白くない小説」が睡眠導入アイテムとして重宝されている。そして、「面白い小説」はただちに睡眠妨害とみなされ発売禁止になる、焚書の対象にすらなっている。マユズミは「面白くない小説」を書く作家としてもてはやされ、ひと月に12冊もの新作を書く売れっ子作家となっていた。そのマユズミのもとに一冊の本が送られてくる。その本の著者は黛犀二郎(マユズミサイジロウ)著『眠り姫の寝台』で、版元はホノルル書房、2057年5月2日の刊行となっている。マユズミはその本に覚えがなかった。その刊行日はマユズミの生まれた日でもあった。その版元は21世紀を代表する出版社であり、データベースにはその本は登録されていず、調べてみて黛犀二郎という作家はマユズミ自身以外には存在しないことも分かった。送付されてきた封筒の裏には住所と差出人の名前が記されている。マユズミはこれを手がかりに、この本についての謎を探ろうとする。マユズミはその住所に訪ねて行く。

 記されていた住所と氏名は実在した。差出人はフタミナツメで、ルーフォックス・オルメス探偵事務所に属する探偵だった。不眠症の彼女は、この本のことを<クモリゾラ>という添い寝屋のドゥーブルの美冬から知った。そしてシモキタザワの行きつけの古書店に探してもらい現物を入手した。その本を読んだとき、現実に起こっている事象らしきものがそこには記されていた。まるで預言書のように。この本の謎を知りたくて、ナツメはマユズミにその本を送付した。
 ドゥーブルと言う名称は、まさに未来小説だからこその設定である。「ドゥーブルは男にして女、女性にして男性の体に改造された人為的な両性具有者」(p63)という。
 ナツメは、美冬から、<クモリゾラ>がまだ、<ダーク・ルーム>と称し、従業員がドゥーブルに統一される以前の時期に、その本に記されているのと同様に、美衣(ミイ)と言い<姫>と呼ばれていた少女がいなくなったということも聞かされていた。
 ナツメとマユズミが会うことから、一つの動きが生まれていく。

 ナツメにはシュウという名前の弟がいる。人々が不眠に悩む時代を反映する睡眠ビジネスの会社<ドリーム8>に務めている。シュウは上司の山岸から特命を受ける。不眠の時代の次には、いずれ睡眠の時代がやってくると予測し、安眠ではなく覚醒を促すタブレットの開発を命じられる。<壁>の東には、通称<タワー>と呼ばれる社屋を構えた巨大睡眠コンサルタント会社<ニモ>が存在する。そちらも覚醒藥開発を手がけている筈だから、シュウに極秘で開発せよと言う。シュウは社屋と離れた別館を拠点にし、<バブルガム課>所属という形で、覚醒タブレットのアイディア開発を期待された、そのコードネームを「王子」と称するように指示された。
 別館の近くに<ドリーム8>の社員だけが利用できる第三資料館がある。館長の谷口京子が資料探索についてシュウに全面協力をしていく。彼女の支援が大きな意味を持つようになる。彼女は、シュウにグリム兄弟が書いた童話『いばら姫』が<王子>と関係すると示唆する。『いばら姫』の別の呼び方が『眠れる森の美女』、又の名を『眠り姫』と言う。
 ある時点で、ナツメはシュウに連絡を取る。ナツメからの情報がシュウの行動の後押しとなり、連携プレイとなっていき、彼の行動に弾みが付いていく。
 
 上記3人とは別に、パラレルに様々な人物の行動が描かれて行く。それらが、一つの流れに集約されていくことになる。簡単にこれらの人々に触れておこう。
 トオル: 元は腹話術師。相棒の人形に逃げられ、<壁>に貼られたポスターのハンティングをしている。一度見た「眠り姫の寝台」というポスターを追い求めている。

 サル : コーヒー・バー<北北西に進路をとれ>の店主。モンキー・レンチ1本を腰にぶら下げバラ線地帯を探検する「冒険王」と呼ばれる。バラ線の「ほつれ」を熟知する。
 ホシナ: 音楽家。スキンヘッド・オーケストラのバンドマスターで作曲家。モビー・ディック(白鯨)と称されるピアノを購入。一方、長年探していた楽譜-100ページほどの古びた歌曲集-を入手する。肝心の見たい楽譜ページが開かない。それは8年ほど前に依頼を受け後に中断してしまった大きな仕事に関係していた。今はそれを地下鉄オペラの曲づくりに使おうとする。さらに、作曲の着想のために<ゴールデン・スランバー>という幻の酒を探す。
 <ゴールデン・スランバー>はこの小説でのキーワードにもなっていく。

 早瀬順平: 「眠り姫の寝台」というポスターの制作者。その経緯をトオルに語る。
 
 コドモ博士: 児玉博士と言い生物学者。「魂」と「剥製」の研究者でもある。<渋谷サード>にある幽霊ビルの一つに研究室をもつ。自分で開発した<虫の眼>という超小型滞空レンズを使用し、広大なバラ線地帯全域を観察している。動物失踪事件での動物がこの地帯に逃げ込んでいるという。動物たちの魂が白い霞のように立ちのぼっていると言う。

 五夜(ゴヤ): 特別調査機関<ガーデン>の二等調査員。バラ線地帯の警備を担当する。コドモ博士にも情報収集として接触していく。トオルやサルも調査の対象になる。

 タドコロ: 田所修。未来予測システム(SSS、略してS)の研究者。もと映画製作に関わっていた。今は<ニモ>で「もみ消し屋」をしている。『眠り姫の寝台』に関わりをもつ。

 他にも様々な人々が登場する。小説の冒頭は、2095年3月15日、午前2時15分に、日本のはるか東の沖合へ去った大型ハリケーンが、8万5000冊の本を積んだ輸送船を転覆させたとラジオが続報を伝える場面から始まる。「面白い本」を満載して日本に向かう輸送船だった。この8万5000冊の本がこのストーリーの最後の段階で、意外な形で日本に出現してくる。その奇抜な発想がおもしろい。ちょっと大げさすぎる展開のようにも思えるが・・・・・。

 この小説、グリムの『いばら姫』をモチーフに、それを換骨奪胎して一捻りし、未来の次元でストーリーを展開している。かつて存在した「ベルリンの壁」を連想させる「バラ線地帯」と『いばら姫』とを組み合わせた中から創作された感じである。『いばら姫』に現れる諸要素が、このストーリーの中の各所に様々な形に変換されてさりげなく伏線として織り込まれて行く。
 最初はばらばらな事象のそれぞれの描写から始まり、著者は何を描きたいのかとつい思うが、それが徐々に収斂、集約されていく。ある時点で相互関係が明瞭になっていくところが面白い。だが、この手法は途中で本書を投げ出させるリスクにもなりそうに感じる。その鬩ぎ合いがまたおもしろいのかもしれない。

 もう一つ、未来小説として様々な機器(?)等が描き込まれている。それが未来社会の雰囲気づくりにもなっている。その名称を列挙しておこう。どんな使われ方で描かれているかは本書を読み、楽しんでいただければよい。
 ミラー。エアー・トラック。フライング・レンズ。サーチ・カメラ。フローティング・プリント。3Dポインター。超高速<ブレイン・システム>。ID板の空中投影とフロート。スピード・ボイス。超小型滞空レンズ。半ボーグ。アンドロイド。ボイス・キャッチャー。バリアー・スーツ。スローダウン・ブラインド。タイム・マシーン・アクセス。スコーピオン。位相ID。網膜変成薬。未来売り。時間重量計。四次元ベルト。ブレイントーク。ネクスト。ニュース・カーテン。ボイス・アナウンサー。などである。

 最後に、田所が五夜に語る会話の一部を引用しておこう。
 「私はね、こう思っています。いまこの都には、得体のしれない怪物と、清らかな心を持った一人の天使が眠っていると。目覚めるのは一体どちらか。いや、われわれが目覚めさせるのは、はたしてどちらなのか。怪物が目を覚ませば天使は永遠の眠りにつき、天使が目覚めれば、怪物はきっと息絶える。さて、どちらか。そのすべては、われわれの手にかかっています。」(p327)

 さて、シュウが最後にとる行動はどのようなものか。そして、その結果は・・・・・。
 「螺旋プロジェクト」の結末が、このストーリーの最後に記されている。
 お楽しみに。

 ご一読ありがとうございます。

「螺旋」プロジェクトに関連する次の小説の読後印象をまとめています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ウナノハテノガタ』  大森兄弟  中央公論新社 
『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社
『もののふの国』  天野純希  中央公論新社
『蒼色の大地』  薬丸 岳   中央公論新社
『コイコワレ』  乾ルカ    中央公論新社


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