遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『いのちの樹  The Tree of Life』 内藤順司 主婦の友社

2016-05-07 14:11:57 | レビュー
 この本は写真集である。カラー写真とモノクロ写真がその特徴を生かされて絶妙に織り交ぜられている。写真集は、絹・グラン・母と子・手の記憶・宝・灰の魔法・伝統・纏(まとう)という8セクションで構成されている。その見出しは、日本語、英語、私には読めないが多分カンボジア語の3ヵ国語で表記されている。要所要所に添えられた文は日本語と英語のバイリンガルで記されている。そのためだろう、本書の背表紙には日本語で著者名が記され、表紙には冒頭のカバー写真の通り、PHOTOGRAPHS JUNJI NAITO と英文表記となっている。

 親指と人指し指で絹糸をつまむ深い皺いっぱいの左手に光があたった写真が表紙に使われている。この写真がこの写真集を象徴している。この左手は「手の記憶」の象徴でもあるのだ。

 サブ・タイトルは「IKTT 森本喜久男 カンボジア伝統織物の世界」となっている。IKTTは、Institute for Khmer Traditional Txtiles の略称、つまりクメール伝統織物研究所である。その代表が森本喜久男氏。表紙に惹かれてこの写真集を手にし、初めて、同郷・京都生まれというこの人物を知った。
 本書は、コインの表はカンボジア伝統織物の世界の復興、コインの裏は森本喜久男の生き様を写真に結晶させた作品集といえる。数葉の写真を別にして、森本の生き様はカンボジアの人々と現地の風景写真、それらに添えられた文を通して表出されている。
 復興と再生というストーリーのある写真集だ。その復興と再生の仕掛人が森本喜久男氏だと言える。IKTTはカンボジア国のシェムリアップ州アンコールトム郡に拠点があるという。

 カンボジアは1970年代、ポルポト政権下で70万~300万人が虐殺されたと言われる。内戦で大地は荒れ、人々の生活は奪われた。「疲弊していく国の中で、伝統的なカンボジア絹織物も途絶えかけていた。」
 カンボジア絹織物との出会いが京都の友禅職人として工房を開いていた森本氏をタイ・カンボジアの現地での30年に及ぶ織物の調査に導いたという。
 それが、1996年にカンボジア現地NPOとして、プノンペン郊外でのIKTT設立、2000年にIKTTのシェムリアップ移転、2003年からの「伝統の森・再生計画」着手という経緯になったという。

 「手の記憶」に次の文が載っている。
 ”伝承された絣布の文様、それは織り手の記憶のなかにある。
  そのために必要な図案や設計図などのテキストはいっさいない。
  祖母から母へ、母から子へ。  
  伝えられてきた手の記憶。”
それが内戦の中で途絶えかけたのだ。このカンボジア伝統織物の復興、「その腕に見合った仕事とそれに見合った対価を提供したい」、その想いが森本氏の活動の原点にあるという。
 
 カンボジアの伝統的織物はカンボジアの大地の自然の恵みの賜である。内戦で大地が荒れた結果、人々の生活と伝統の継承が危機に陥って行ったのである。
 蚕を飼い、生糸を紡ぎ出す。染料は全て自然の大地、森からの恵み、採集による。自然の染料は化学薬品には馴染まないという。自然の色を扱う時、絶対にバナナの灰でなければならないそうだ。そこには「灰の魔法」がある。
 伝統織物の復興には、大地の再生、つまり、森の再生が不可欠なのだ。伝統の森の再生である。そこに人々の生活の手段と場が創出され、初めて手の記憶に基づく伝統織物の世界も復興し、未来に継承されることに繋がって行く。

 蚕から糸を引き出す年輪を刻んだ手の作業、畑仕事、準備作業、機織作業などの織物の工程シーンの写真、カンボジアの自然、森に隠れる古代遺跡などの写真が織りなされていく。
 仏像の施無畏印の手のシルエット写真から始まり、仏像が開いた掌を重ねる印相の写真で終わる。その間に、冒頭のセクションで写真が編集されている。
 私はその中にある子どもたちの写真に特に惹かれる。澄みきった瞳、その笑顔がすごく素敵だ。「グラン」は女の子の名前。流れ着いたIKTT伝統の森で輝く心を取り戻した少女。その輝きが2枚の写真に凝縮されている。「母と子」の冒頭にある赤ちゃんの寝顔、実にいい。これらはモノクロ写真だ。
 一方、森の木の葉の様々な色づきがカラー写真で撮られている。自然の生み出す芸術である。なんともいえない色合いの微妙さが写真におさめられている。
 森の再生と人々の生活の再生は一体なのだということを感じることができる。
 最後の「纏」には、自然の染料で染められ、手の記憶で織りあげられた様々な色合いと図柄の伝統織物が写真として切り取られている。素朴だが飽きることなく愛着を持てそうな織柄である。

 本書の冒頭に、この写真集を上梓する契機となった経緯を著者が記している。その中の一文を引用しておきたい。

 「この写真集は、それから数度の訪問を重ね今や私の人生の師であり
  良き兄貴とも呼ぶべき森本喜久男氏が自然の根底から物を見つめ直し実現させた
  究極の美しい布を創生する環境、暮らし、人々の手の記憶を描いたものである。」

 "This photo collection portrays the environment that creates the supreme
  beauty of background, the daily life and culture of these people. The more
  I visited there, I began to realize, as my mentor and soulmate Mr. Kikuo
  MORIMOTO did, a reexamination of the underlying nature supporting life."

「伝統」の冒頭に添えられた文から、次の2行を最後に抽出しておこう。これは森本喜久男氏の想いなのだろう。

   伝統は守ってはいけない。・・・ 伝統というのは今の私たちが創っていくものだ。

 そして、写真家内藤順司は、末尾のメッセージの中にこんな一文を記す。

   種から森をつくり、絹絣の根源的な美しさを生み出す。 

 森本氏との出会いから生まれたこの写真集は、この一文のプロセスの結晶でもあるといえる。手にとって写真を味わっていただきたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

少し調べて見た関連事項を一覧にしておきたい。

IKTT.org クメール伝統織物研究所ポータル
IKTT Japan News ホームページ
  IKTT(クメール伝統織物研究所)とは
Kikuo Morimoto - Institute for Khmer Traditional Textiles (IKTT)  :YouTube
IKTTクメール伝統織物研究所 (Institute For Khmer Traditional Textiles):「JTB」

内藤順司公式サイト

カンボジア  :ウィキペディア
カンボジア王国  :「外務省」
ポル・ポト  :ウィキペディア
ポル=ポト/ポル=ポト政権 世界史用語解説  :「世界史の窓」
ポル・ポトの大虐殺  :「大飢饉と大殺戮の恐怖」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿