遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『パレートの誤算』  柚月裕子  祥伝社

2017-08-17 18:03:23 | レビュー
 社会派ミステリーと呼べる領域の作品と言える。
 小説のテーマは、社会福祉の一環として存在する生活保護臂の受給にまつわる社会的断面の問題事象を生活保護受給者を扱うケースワーカーが殺害された事件の解決プロセスを通して浮彫にする、生活保護費受給者の実態を客観的に捕らえ直すというところにあると思う。前者は新聞報道に現れる負の局面につながり、後者は社会的弱者である生活受給者層の存在に対する適切な認識をするための素描というところである。読者への情報提示という位置づけになると思う。巻末近くに、こんな文が登場人物の思いとして記されている。「弱者と位置付ける定義は、国、条件だけでなく、個人の見識によっても変わってくる非常に難しい問題だ。・・・・・その困難さを理解してくれている人もいるが、まだ認知していない人が多くいることも事実だ。福祉の必要性、問題点を知ることから、理解がはじまるのではないだろうか」(p332-333)と。
 「終章」の中で、「はっぴー・はーと」という創刊雑誌に載っているある学生の寄稿文のタイトルが「パレートの誤算」だとして書き込まれていく。本書のタイトルはここから来ている。上記のテーマで言えば、後者につながる。一方で、テーマの前者に相当する中でも「働き蟻の法則」として、異なる意味づけで使用されている。「パレートの法則」をどう考えるかという点でも、興味深いタイトルだ。
 
 舞台は、津川市という瀬戸内海に面した港町で人口20万人規模。古くは年貢米の積み出し港として賑わい、造船業が盛んだった時代がある。そして、津川市役所福祉保健部社会福祉課が関わるストーリー展開となる。同課の主な登場人物は以下のとおり。
  課長 猪又孝雄  定年まで2年。見た目には無難にやり過ごしたいと思う管理職。
  課長補佐 倉田友則  50代前半。猪又の5歳下。
  主任 山川亨   同課に在籍8年目。人望のある有能なケースワーカー。
           担当生保者世帯は百を超え、社会福祉課の仕事を熟知する。
  課員 小野寺淳一 異動してきて3カ月。ケースワーカーの仕事を嫌っている。
     西田美央  新卒で市役所勤務4年。当初から同課に所属。
     牧野聡美  臨時職員として採用されて1年目。希望職場ではなかった。

 冒頭は、生活保護費を窓口支給する対象163世帯分の生活保護費の現金を事前に封筒詰めする作業場面から始まる。津川市では生活保護受給者は、およそ2000人、約9割は口座振替。生活受給者層の存在とその状況がここでは津川市という社会の雛形を通して描き込まれていく。社会福祉の一環としての生活保護費支給の持つ意義、その活用実態の局面が、社会福祉課と生活保護費受給者との直接の関係の中で、鮮やかに浮彫りになっていく。
 そこには、生活保護費を受給しながらその状況から脱して自立を目指す大半の人々の存在の陰に、生活受給費に群がる一群の人々の存在という負の社会的現象、ネガアティブ局面が切り出されていく。貧困ビジネスというダークな次元で暗躍する人々の存在。
 臨時職員の聡美は、小野寺と組んで、ケースワーカー見習いとして、生活保護費受給者の対象世帯を分担することを始めるよう、課長から指示を受ける。ケースワーカーの仕事、受給者世帯訪問という作業を毛嫌いする小野寺は、そのことを聡美に言いつつも、仕事として割り切って形通りの作業をこなそうとする。一方、ベテラン山川の信条とケースワーカーとしての活動に敬意を払う聡美は、希望の仕事ではなかったが、与えられた課題に正面から取り組んでいこうとする。
 この聡美と小野寺が、殺人事件の解明のために、自ら社会福祉課職員として、何ができるかを考え、行動するというストーリー展開がメインとなる。
 彼らが事件の解明に挑む推理プロセスで、殺人事件の真因究明に対する心の揺らぎと行動の選択が読ませどころとなる。それは同時に、彼ら自身の社会福祉に対する考え方と取り組み姿勢が変容していくプロセスとしても描かれていて、もう一つの読ませどころとなっている。
 
 この小説は、ベテランの山川がケースワーカーとして、生活保護費受給者世帯の巡回訪問に出たことから、状況が具体的に動き出す。同時に、聡美と小野寺たちも、自分たちの担当となった生保受給者宅への巡回訪問に出かける。聡美と小野寺は5時近くに社会福祉課に戻ったのだが、山川はまだ戻っていなかった。課長の指示を受け、聡美が山川に携帯電話で連絡を取ろうとした矢先、消防自動車のサイレンのけたたましい音が聞こえる。課長が確認をとると、大きな火事の火元は北町の成田にある北町中村アパートだとわかる。そこは、山川が担当する生活保護費受給者の住むアパートだった。山川はその地区の巡回訪問に出かけていたのだ。聡美が携帯をかけても山川に繋がらない。小野寺は火元の場所に行く許可を課長から得る。聡美も同行する。

 アパートの焼け跡から遺体が発見されていた。その遺体の身元を確認できるのは時計だけだという。時計には、ブライトリングというブランド品のロゴが読み取れ、時計の裏側にはT.Yというイニシャルが彫られていた。トオル・ヤマカワ!
 その後の遺体確認により、山川と確定され、しかも司法解剖の結果、放火殺人の被害者となったことがわかる。
 事件の翌日、社会福祉課に刑事たちが事情聴取にやって来る。若林刑事(警部補)が、主な登場人物の一人になっていく。若林は、山川が身につけていた時計は、ブライトリングのナビタイマー1461で、定価は94万5000円のものだという。それはシリアルナンバーが入った限定品。市役所の職員が高級時計を身に着けていたことから、若林は殺害された原因が彼自身にあるのではないかと疑いの目を向ける。生活保護費不正受給という問題が絡んでいるのか・・・・・・・。聡美には、山川が不正受給に関与していたとは到底思えない。
 若林は聡美へ事情聴取の際に、金田良太について知っているかと聡美に質問する。アパートの住人の一人で、いまだに連絡がとれないという。そして、アパートの住人は全員、生活保護受給者だったと。つまり、金田も受給者の一人だったのだ。聡美にはその名前で思い当たる人間が居た。後で調べてみると、同一人物だとわかる。
 
 聡美は小野寺と一緒に、社会福祉課の立場から、山川が担当していた生保受給者全員について、課内にある受給申請の記録について調査を始める。一方、ケースワーカーとして山川が記録してきていた内容も読み込んでいく。小野寺は当初反発していたが、若林刑事との連携も徐々に深まっていく。一方で、猪又課長は山川が殺害されたこと自体は警察の捜査に任せて、後任の手配もしているので、自分たちの担当分に専念しろと命じる。
 勿論、聡美と小野寺は、社会福祉課の職員という観点で、山川が関わってきた生活保護受給者のことに、そのまま無関係でいる気持ちになれず、山川が殺害された理由を探る行動を密かに続ける。いくつかの生活保護受給者たちに共通するある事実を発見することになる。
 聡美が事件解明に深入りすることにより、窮地に陥る羽目にもなっていく・・・・・。

 この作品はいくつかの特徴がある。上記と重複する部分もあるがまとめておきたい。
1. 社会福祉の一環としての生活保護費の存在とその実態が、生活保護受給者世帯のケーススタディ風に、点描されていく。生活保護費受給を得ながら、自立を図ろうと努力する人々、生活保護費を宛てにするだけの人々など、両面の事例が書き込まれている。
2. 若林刑事の立場と、聡美の立場が真逆の対極に位置するところから、事件解明が始まるというアプローチによる構成のおもしろさ。
  若林の観点:「大卒で市役所に15年も勤めている正規職員の山川なら、妻とふたりの子供を養っていけるくらいは余裕でもらっていたはずだ。しかし、高級時計をいくつも買えるほどの収入かと問われたら肯くことはできない」「生活保護か・・・・働き蜂の法則だな。・・・・つまるところ、どんなに一生懸命やったって、堕落者はいなくならないってことだ」 p70
  聡美の観点:ベテランのケースワーカーであり、社会福祉課の仕事に信条を持ち、取り組んでいる人。尊敬できる上司であり、見習うべきモデルである。「山川さんは人から好かれることはあっても、恨まれることなんてありません。思いやりがあって優しくて。誰かが仕事で悩んでいると、さり気なく相談に乗ってくれるような人です。(p67)
3. 貧困ビジネスの存在。その手口がこのストーリーに関わってくる。
  そこに、山川の死がどう関わっているのか、その構想の展開が読ませどころとなる。  「死者は語らず」とよく言われるが、このストーリーでは、死者・山川が間接的に様々な媒体を介して、語ることになる。その声を捕らえるのが聡美と小野寺ということになる。
4. 聡美・小野寺の推理と行動がストーリー展開の主役であり、若林刑事を中心とした警察の捜査は、脇役的存在として描かれる。若林が聡美に情報提供する形をとり、また聡美と小野寺も、適切に発見した情報を若林に伝えていくという連携がおもしろい。事件捜査の立場と社会福祉課の職員が担当領域の事実解明に取り組むという立場のコラボレーションである。
5. 市役所の社会福祉課という組織。行政的な視点での管理者感覚の一局面がさりげなく描き込まれていく。ありがちだなと思わせる局面である。
6. 聡美と小野寺がこの事件の解明プロセスを通じて、社会福祉の領域に携わるということの認識と自覚において、成長を遂げていくという側面をパラレルに描き込んでく。山川の信条と行動の継承者が生まれるというハッピーエンドが読後の後味として心地よい。

 山川が放火殺人事件の被害者となった背景、そのカラクリがどうなっていたのか、それは本書でお楽しみいただきたい。意外な展開となっていくところがこの作品の構想として興味深いところである。

 ご一読ありがとうございます。

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この作品に関連して、関心の波紋から検索して得た情報を一覧にしておきたい。
パレートの法則 ~ 80:20の法則  :{NAVERまとめ」
パレートの法則を図と例で解説!経営や営業、勉強で使うには :「ビジネス心理学」
働かない働きアリに学ぶ  :「PARAFT」
極度のニートっぷりを発揮する怠け蟻から学ぶこと :「NAVERまとめ」
生活保護制度 :「厚生労働省」  
   生活扶助基準額の算出方法
生活保護費の計算方法を初心者向けに解説!あなたはいくらもらえる? :「ファイグー」
生活保護費3.7兆円の半分は医療費 医療制度の歪みが生む長期入院の見直しこそ急務
          :「DIAMOND 男の健康」
生活保護費負担金(事業費ベース)実績額の推移
生活保護の現状と生活保護費の将来見通し  :「財務総合政策研究所」
貧困と生活保護(43) 生活保護費は自治体財政を圧迫しているか? :「ヨミドクター」
生活保護法  法律条文
生活保護法  :「コトバンク」
貧困者を食い物にする貧困ビジネスのエグい実態  :「NAVERまとめ」
貧困ビジネスとは?問題点と仕組み、陥らない為の対策について :「転職チャレンジ!」
生活保護法違反による不動産業者の再逮捕について  :「大阪市」
医療扶助の適正化 ~疑義のある医療機関への調査~ :「大阪市」

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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社




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