遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『交通誘導員ヨレヨレ日記』 柏 耕一 発行:三五館亞シンシャ 発売:フォレスト出版

2021-07-04 10:04:43 | レビュー
 友人のブログ記事で本書の表紙が取り上げられていた。本のタイトルに興味を持ち、読んで見た。表紙の左上には、「当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます」というフレーズが。2019年7月に初版が出版されている。今は2021年7月。著者は今年75歳だろう。今も現役なのだろうか。

 表紙のイラストからすぐわかる! 道路工事の折に、通行止めや片側交通のために、炎天下であろうと大雨であろうと、現場から少し離れた道路際に立つ警備員の人たち。「交通誘導員」という正式名称があることを本書で初めて知った。
 著者によると、2017年末で交通誘導警備員は全国でおよそ55万人強いる警備員の主流(警備業法第2条の2号業務)で約40%を占めるという。

 著者は実体験談をルポライターの立場でまとめてみるために、この職業についたのではない。生活していくためにこの仕事を選択したという。だが、当初は本職がありこの仕事は生活費稼ぎの副業だったらしい。出版会社に勤務後、37年ほど前に編集プロダクションの会社を設立した。プロデユースしたダイエット本がヒットしたこともあったそうだが、合計約2,500万の税金未払いの状況に立ち至り、遂に会社清算をした。(「某月某日家宅捜査」)そんな経緯とともに交通誘導員としての仕事のウエイトが増し、出版編集・ライター業も続けているそうだ。
 著者は「まえがき」で、この仕事を社会の「最底辺の職業」と自嘲的に位置づけ、そこには高齢者を中心とする興味深い世界があると言う。勿論30代の若い人々もいる。著者自身、本書を書いた時点では2年半ほど断続的に警備の仕事をやり、そのうち2年近くは交通誘導の仕事に従事したそうだ。

 著者は「事実をして語らしめよ」というスタンス(p5)で、純然としたノンフィクションとして本書を書いている。
 「ヨレヨレ日記」という風に、「日記」というタイトルが付いているが、交通誘導員の日常を時系列の日記としてまとめたものではない。「某月某日******」という形で著者が遭遇した様々な実体験がコマごとに読みやすくまとめられ、体験談はテーマ別に分類してまとめてある。だから、著者の2年半の就業という時系列では相前後しあちこちに飛ぶことになるが、本書の趣旨から違和感はない。テーマは章立てになっている。
  第1章 交通誘導員の多難な日常
  第2章 交通誘導員の喜びと悲しみ、時々怒り
  第3章 どうしても好きになれない人
  第4章 できる警備員、できない警備員
いわば、この4章構成は、どこからでも読み始めることができる。まあ、章毎に読むのが一般的だろうが。
 
 読後の第一印象は、著者自身「まえがき」にもふれ、また本文中に「警備業界をつぶさに観察するとまさに社会の縮図」(p186)と記すとおりである。交通誘導員の間での人間関係、対社会との対人関係。この場合であれば、工事中の道路を利用する歩行者やドライバーとの対人接触関係である。社会のどの業界、組織であろうと、そこには人間関係が内在する。組織内の人間関係の実態、業界や組織が顧客とする人々、ステークホルダーとの人間関係の実態、つまり、人対人の対応局面で発生している状況は結局同じだなという思いを強くする。人間同士が関わり合う場に起こる力学は、○○業界という見た目の姿は違え、その裏面(内側)の本質は同じということなのだ。そして、社会は「持ちつ持たれつで成り立っている」(p186)側面があると。
 「某月某日」の著者の実体験エピソードをおもしろく読みながら、そんなことを再認識させられる。

 交通誘導員に従事するという著者の体験と意見、そのドキュメントを鏡にして、我が身の周辺状況、人間関係の有り様、実態を重ねてみると、「縮図」という感想がリアルになっていく。どの世界にも、同じような人がいて、似たような人間関係の構図が現れる・・・・と。

 本書で、著者は実体験エピソードを書きながら、次のように記している。
「ふだんはプライドという厄介なものを持てば警備員の仕事上、何のプラスにもならないだけである。」(p93)
「我慢できることはこらえて、与えられた警備員としての役割を全うすることが私の仕事なのだ。」(p93)
「警備員は作業員にストレスなく安全に仕事をしてもらうことが第一の心がけである。自分のプライドを充足させるために仕事をしているのではない。」(p95)
同僚の紺野さんの言として「ボクは警備業は忍耐業だと思っているけど」(p118)
 これって、どの業界でも共有できるエッセンスじゃないか。

 道路工事他の警備現場で、工事作業をする作業員やその監督者(親方)などとの接触体験、観察体験から、著者は要約する。
「さまざまな現場で仕事をしてきて思うのは、人柄のいい親方の下には粗暴な作業員はいないし、乱暴な言動をする親方の下には同じような作業員が多いことだ」(p153)と。

 著者は「できる警備員、できない警備員」の章で、こんな風に言う。
「できる警備員は全体の2割、できない警備員は1割、その他の7割が可もなく不可もなくというところか」(p180)著者自身は7割の1人と自己評価している。
 これって、ビジネス書に出てくる問題児タイプとまったく変わらない。よく、出来る人できない人の能力分布で2:6:2なんていう経験則を読んだ記憶もある。

 また、本書の各所でできない警備員のタイプ事例に触れている。その部分は本書を読んでいただくとして、その他にまとめて、次のタイプを実例をはさみながら列挙している。「注意力散漫な人」「無責任な人」「何も考えない人」「空気を読めない人」である。
 著者は次の点にも触れている。できる/できないの要素としてのコミュミケーション能力についてである。
「警備員はドライバーを言い負かすことが仕事ではない。あくまで協力をお願いする立場なのだ。そんなとき、コミュニケーション能力が試される。・・・・コミュニケーションという面では年の功もあるのだ。そんなところが警備業務の奥深さかもしれない。」(p179)

 一方、こういう一面も記す。これもまた、他業界で見聞できることではないだろうか。
「できない警備員や高齢者は会社や仲間に認められたいと思って仕事をしているわけではない。警備という仕事のピースの1つでいいと思っている。」(p186)
この文に続けて、「会社で足手まといの社員を排除したからといって生産性が急上昇するわけではなく、またその分できない社員がゾンビのように出てくる、と」(p186)記す。これも体験的に納得できる。特定の集団の特定時点での能力分布をとらえるなら、相対的にできないとみなされる人は常に存在するはずだから。

 日常的にあちこちで交通誘導員をしょっちゅう目にしながら、その業界の内情を知らないというのが現状。交通誘導員という職業の世界、一日いくらの稼ぎになるかという点も含めて、その悲喜こもごもの就業実態を覗いてみられる興味深い本だった。
 だが、それはこの人間社会の「鏡」の役割を果たすことにもなっている。本書を読むことは、読者自身の周辺環境、人間関係を考えることに繋がっていく。

 ご一読ありがとうございます。


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