遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『忍び外伝』 乾 緑郎  朝日新聞出版

2011-12-04 20:22:24 | レビュー
 奇想天外な幻術世界という意匠の中に、入れ子構造の形で史実に伝奇的要素を絡めて作り上げられた物語、そしてその物語には複数の伝奇的衣装をまとわせている。この新奇性と奇抜な着想が第二回朝日時代小説大賞受賞につながったのかもしれない。
 そんな馬鹿なという空想的側面が絡んでいながら、史実を繋ぎ紡いでいく本筋の展開はしっかりしていて、惹きつけるところがある。伊賀流忍の本拠地が殲滅されることに対する攻防という点が、忍びの活躍の場面として異色で面白いところだ。

 入れ子構造の中央に納まっているのは、天正伊賀の乱である。
 太田牛一著『信長公記』巻十二に、「北畠中将殿御折檻状の事」という条が記されている。天正七年九月十七日、「北畠中将信雄、伊賀国へ御人数差し越され、御成敗のところに、一戦に及び、柘植三郎左衛門討死候なり」とある。独断で伊賀を攻め、敗退する。信長は、信雄に折檻状を送り「言語道断、曲事の次第に候。実に其の覚悟においては、親子の旧離許容すべからず候」と怒っている。これが第一次の乱。
 そして、二年後、巻十四に、天正九年九月、「伊賀国、三介殿仰せつけらるる事」として、信長の命令により伊賀殲滅を実行する記載がある。九月三日に、「三介信雄伊賀国へ発向」そして、甲賀口、信楽口、加太口、大和口に配された部将名が記述されている。他本によると総勢3万4000人余が伊賀攻略に投入されたという。信長は十月九日、伊賀国に発向し、「十月十七日、長光寺山に御鷹つかはされ候。伊賀国中切り納め、諸卒悉く帰陣なり」と。これが第二次の乱だ。

 百地丹波の下人だった石川文吾衛門が、本能寺の変後で天正伊賀の乱からは二年後、奈良興福寺南円堂の前に煙る栴檀香や沈香の匂いの中に、樒の香りを嗅いだ気がして、ある女の死を思い起こすことから話が始まる。この女と樒の香りが本書の一つのキーワードになっている。
 南円堂にて、文吾は仲間のお鈴と黒子丸と待ち合わせていたのだ。三人はお鈴にせがまれ猿沢の池で行われている地獄の語りを見物する。猿沢の池の幻術使いは、弾正久秀に招かれて幻術を披露したことがあるという果心居士。文吾が「子供だましだ」と呟いたせいで、果心居士の幻術にはめられることになる。

 空は墨を流したかのように黒く、地面は光を帯びて金色に輝く砂。砂漠の丘陵が果てなく続く。荒涼とした風景の中を歩く文吾は金砂の上に置かれた木臼と人の丈ほどの大きさの白兎に出会う。白兎は果心居士。そして、白兎の呪文が耳に入り込んでくるや、文吾の心は、幼少の頃の伊賀に彷徨い始める・・・・・

 百地丹波の下人になる経緯。そして忍の術を丹波から鍛えられ、丹波の後妻・お式に引き合わされる。丹波の命令はその目の前でお式を「抱け」。文吾の目を通しながら、天正伊賀一次の乱、二次の乱の顛末が文吾の働きを含めて語られていく。
 その渦中で、文吾はお鈴という小娘をくノ一に育てるという課題を押し付けられ、一方百地丹波とお式の関係の中に一層深く関わりをもたされていく。
 一次の乱の後、百地丹波は、文吾にお式を斬れと命ずる。下人の文吾は命令に服するのみ。お式を斬りに行く文吾は、お式との争闘の中で、お式の正体の半ばを知ることになる。お式の口からいくつかの謎めいた言葉が語られる。「窺見」「服部観世丸」「煙之末」「ときじくのかぐのこのみ(非時香菓)」・・・・筆者の描く世界に絡め取られる呪文の言葉でもある。

 史実の隙間を埋め天正伊賀の乱の争闘過程を紡ぎ出す語りの中に、なぜ信雄・信長が伊賀を殲滅しようとしたのか、その理由について著者の奇想が加わる。第二次の乱の最後は、筒井順慶の陣所に、大倉五郎次と名乗る申楽大夫が姿を現す。順慶には実は果心居士だと明かす。そしてこの大倉五郎次が柏原城にいる百地丹波に会い、調停の労を取る。大倉五郎次と応対した後、丹波が言う。「山中より樒の実を摘み取り、それを手に小波多の本陣に降伏に赴くべし」と。
 乱の外延に、南北朝の対立という衣装がふわりとかかっていて、そこに果心居士とお式の対立関係という衣装が重ねられていく。さらには、信長が光秀に己を討てと命じ、本能寺の変に連なるという衣装が天正伊賀の乱の結果として重ねられる。
 まさに伝奇的展開がエスカレートしていく。実におもしろい構成展開だ。
 このあたりに、著者の真骨頂があるのかもしれない。

 時空を超えて存在する果心居士。その正体は「観阿弥清次」だという。果心居士は最後に自らのことを語り、さらに文吾の出生の秘密を解き明かす。衝撃的な内容だ。
 幻惑の術から醒めた後の文吾と果心居士の対決。最後まで十分に楽しめる。

 「忍の字は、まったく意味の異なる二つの字から出来ている。刃と心。この二つが合わさって忍という字を形作っている。刃は技と捉えることが出来る。では、忍びの心とは、いったい何であろうか。」
 伊賀の有り様を見ながら、文吾は自問しつづける。これも、この小説での一枚の衣である。

 この物語、入れ子構造で奇抜な視点を絡ませていて、実に奇妙かつ巧妙でおもしろかった。
 コンピュターグラフィクスを縦横に使うと、楽しめる映像作品になる予感がする。



ご一読、ありがとうございます。

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ちょっと、関連語句をネット検索してみた。

伊賀流  :ウィキペディア
天正伊賀の乱の大枠が理解できます。

伊賀惣国一揆 ← 「惣国一揆成立とその意義」 川端泰幸氏(紀州惣国研究会)
右記資料に、「伊賀惣国一揆」の性格にも触れてあります。

伊賀惣国一揆と天正伊賀の乱 :「戦国浪漫」サイトから

観阿弥   :ウィキペディア

服部半蔵  :webilo辞典 江戸人物辞典

百地丹波  :ウィキペディア

藤林長門守 :ウィキペディア

織田信雄  :ウィキペディア

花山院   :ウィキペディア


丸山城   :ウィキペディア

千賀地氏城 :ウィキペディア


窺見  :weblio辞典



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