「禁忌(タブー)なき皇紀2681年の真実」という副題が付いている。本書の出版は2021年8月である。2021年が皇紀2681年という意味である。皇紀とは「神武天皇即位の年を元年とする、日本書紀の記述に基づく紀元。[皇紀元年は西暦紀元前660年]」(『新明解国語辞典 第5版』三省堂)と説明されている。たぶん今や死語に近い用語だろう。
では、なぜこの用語が副題に使われているのか?
著者は本書で、日本において「男色」の歴史は神話の時代、神武天皇の時代から既に存在した。日本の歴史において、各時代で変化はあるものの「男色」が受け入れられてきた事実があるということを読み解いている。「皇紀」の使用は、「神武天皇の時代」を象徴するためのインパクトを狙った使用にしかすぎない。
つまり、基本的に日本において、文字での記録が残る時代から「男色」が受け入れられてきている事実を指摘しているのだ。そして、日本の社会における「男色」の許容事実を様々な史料を典拠としながら語り継いでいく。「男色」、つまり「オカマ」という切り口で日本通史として読み解いていくのだから、異色でおもしろい。
著者はいわゆる学会に依拠する学者、研究者ではない。自分自身の問題として「男色」の歴史を調べてみた成果として、「オカマ」の立場で本書をまとめたという。そのせいか、文は読みやすい。実に真面目に読み解いたわかりやすい通史となっている。
著者は何者? 本書裏表紙に載るプロフィールを転記しご紹介しよう。
「1975年、広島市生まれ。吉備国際大学卒業後、一般企業、ニューハーフクラブ等に勤務。3歳頃から、自らの性別に違和感を覚える。自らの心の性別を公表できないことに悩み、LGBT問題の解決を図るために当初はLGBT活動家に賛同。しかし友人が活動家からの甘えで鬱になったことで、LGBT活動家に疑問を感じる。またLGBT活動家の主張が日本の歴史に即していないことから、オカマが日本の歴史の中でどう位置づけられていたかを調べ始める。活動家の問題点については小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル』、『新ゴーマニズム宣言スペシャル版正義論』等の影響を受け、歴史については倉山満氏の著作の影響を受ける。
『LGBTの前に人である』ということから、右の思想にも左の思想にも偏らないことがモットー。自身がオカマであることに誇りを持っている。」
また、冒頭の倉山氏による「推薦文」には、本著者にとり本書は処女作であるが、本著者がFacebookで365日、一日一話を語る形で「オカマの日本史」を連載していたという。連載記事の分量の10分の1位に素材を厳選凝縮して、出版物レベルに質を改善した成果が本書のようである。
本書の構成と私なりに理解したポイント並びに感想などを簡略にご紹介する。
<第1章 神話の時代の男色 -皇紀2681年の事始め>
アマテラスオオミカミは日本で最初に男装した。ヤマトタケルノミコトは日本で最初に女装した。男性の同性愛にことを「男色(なんしょく、だんしょく)」と称してきた。ヤマトタケルが日本で最初の男色を記録された人物。文献に基づき読み解いている。
文献史料をどこまで踏み込んで読み込めるか、その解釈が論点になるのかもしれない。
<第2章 平安仏教の男色 -なぜ男色が市民権を得たのか?>
記紀をはじめ古代の文献は古代日本人の性生活をおおらかに記述する。男色そのものは聖書の世界と比べて、罪ではなかった。江戸時代の井原西鶴の『男色大鑑』での発言を糸口に、平安時代での真偽を論じている。鑑真が将来した『四分律』中の「婬戒」、奈良興福寺・菩提院に伝わる『稚児観音縁起絵巻』、天台宗での「一稚児二山王」という言葉を読み解いていく。さらに、平安時代の貴族に男色があった事実を語る。藤原賴道の男色についての記録を例示する。
稚児の存在と男色の関係をどこかで読んだことはあるが、文化的に定着していったことがよくわかる。
<第3章 院政期の男色 -男色が歴史を動かす>
院政は側近と男色が支えたという読み解きかたが興味深い。側近の位置づけは歴史学者が語ることは当然だが、男色の側面を語ることはほぼないように思う。この側面での一歩踏み込みが、本書の特徴でもある。男性同士の友情について、民俗学者南方熊楠の名付けた「浄愛」(肉体関係を伴わない場合)と「不浄愛」(肉体関係を伴う場合)を区別して論じている。白河上皇のネットワークは「不浄愛」で構築されたと分析しているのが、興味深い。さらに、平清盛と崇徳天皇、藤原頼長、後白河天皇などの事例が採りあげられている。痴情・男色を絡めた観点で、保元の乱、平治の乱、源平合戦が読み解かれるのがおもしろい。
<第4章 鎌倉時代の男色 -男色文化の鎌倉へ>
源義経には男色の記録が無いこと。後鳥羽上皇にはマッチョな男色ネットワークがあったことを論じている。鎌倉時代中期の東大寺別当宗性の誓いの事例を引用紹介している。それも当時ではまじめな部類のお坊さんだと論じるているのだからますますおもしろい。
また、700年前に『稚児之草子』(京都醍醐寺蔵)というゲイポルノ的草子が書かれ秘蔵されてきた事実にも触れている。これは仁和寺のお坊さんと稚児のセックス物語という。男色研究の第一人者がその引用すらためらったという。どんな描写をしているのか・・・・。
<第5章 室町時代の男色 -庶民への男色文化の降下>
足利義満が猿楽集団の中から世阿弥を見出し、それが後の能への発展広がりを導くことになる。この義満が世阿弥を寵愛した裏に、男色が関わると読み解く。さらに、足利義持、足利義教、細川政元、細川高国、などの男色の事例を採りあげていく。それらが、時代の変転、乱につながっていると。
時代を動かすのは人であると喝破すれば、そこに男色がかかわっていても当然なのかもしれない。情念の根源の一つになるのだろうから。
<第6章 戦国時代の男色 -宣教師は男色をどう見たのか?>
聖書の世界から見れば、男色は厳禁だったのだから、宣教師たちが嫌悪感を示すのは当然のことだろう。著者は、書翰記録から彼らの受け止め方を明らかにする。一方で、大内義隆、織田信長、武田信玄、不破万作、徳川家康たち大名・武将の男色について、文献史料から読み解いていく。
その中で、石田三成と大谷吉継は「浄愛」の関係にあったと論じている。
<第7章 江戸時代の男色 -なぜ幕府や藩は衆道を禁止したのか?>
小早川秀秋、伊達正宗、徳川綱吉の男色についてから、話題が始まる。江戸時代には、男色が「衆道関係」へと「道」に進展しているという。衆道関係にあり「二心がない」という男色文化が、殉死を生み出して行ったとする。また、衆道の期間は前髪のある期間が大部分だという。江戸時代には、幕府も藩も殉死禁止令を発するようになっていく。著者はその経緯を明らかにしている。そこには切実な理由もあったと・・・・・・。
松尾芭蕉がかつては藤堂主計好忠(蝉吟子)と男色関係にあり、殉死禁止令により死に損ねた人の一例だというjことを本書で知った。
西郷と月照の心中事件の背景にも男色が絡んでいるようである。また、薩摩藩の外城制、兵児組、郷中という仕組みとストイックな女性蔑視の気風が、薩摩の男色を醸成していたという。こういう読み解き方もあるのかと思う。
薩摩と土佐には男色の記録が残るが、長州には男色の記録はほとんどないという。この点もおもしろいと思う。
<第8章 明治対象の男色 -なぜ男色はヘンタイとなったのか?>
この章で初めて知ったことを幾つか列挙しよう。
*1873年に鶏姦罪が施行され、それはお雇い外国人のフランス人法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの進言により1882年に廃止となった。鶏姦とは肛門性交のこと。
*1873年に各地方違式詿(かい)違条例が発布された。そこには異性装の罰則化が盛り込まれていた。
*明治の学生たちの間で男色がエスカレートしていた。鴎外の自伝小説に描写の一端がある。
*1913年クラフト=エビングの『変態性欲心理』が日本で刊行された。性欲学の導入。
変態という言葉は変態性欲に由来する。その一として男色は同性愛と呼ばれるようになる。
性欲学は欧米において、同性愛者を救うために用いられた。精神障害は減刑の対象。
つまり、日本において「同性愛=変態」という認識は所詮100年の歴史である。
<第9章 LGBTが市民権を得るまで -そして無知と軋轢>
L(Lesbian:レズビアン)G(Gay:ゲイ)B(Bisexual:バイセクシャル)T(Transgender:トランスジェンダー)が変態扱いされていた時代から、市民権を得た現在への変化、絶望が希望に代わる転換期において、逆境を乗り越えてきた先人について著者は語る。
釜ヶ崎のオカマ、ノガミの男娼、「青江」のママ(青江忠一)、「吉野」のママ(吉野寿雄)、美輪明宏などのことに触れていく。三島由紀夫自身も著名なゲイだという。
知らなかったのだが、新宿二丁目はいまやKGBTのメッカになっていると著者は言う。
この章の最後に、『新潮45』に掲載された発言3例をとりあげ、著者はLGBTをイデオロギーで語る虚しさに触れている。著者の主張は、LGBTはイデオロギーでは語れない。LGBTという存在として実存するということなのだろう。
著者は以下のように己の主張を投げかけている。
「男色が同性愛になり、変態となったのは、わずか100年です。そして、そのきっかけとなった性欲学は、その欧米のキリスト教社会における特殊性から生まれました。その特殊性を考慮せずにそのままストレートに導入したからこそ、日本の男色は同性愛となり変態となって地下に潜らざるを得なくなったのです。
各国には各国の事情があり風土があります。それを考慮せずに採り入れた結果が現在まで影響を与えているのです。」(p242)
「LGBTとは、男が女を愛する、そして女が男を愛するのと同様に、男が男を愛し、女が女を愛する、そして心が男女逆であるというだけの違いであって、違いがあるとすればたったそれだけの普通の人間なのです。それだけの違いなのに、差別や偏見や不利益が生ずるのであればそれを改善する必要があるのは当然のことであって、それ以上でもそれ以下でもありません。・・・・・人並みの権利を求めることまで、なぜ否定されなければならないのでしょうか。」(p245-246)
<はじめに>と<おわりに>は、著者自身の人生の振り返りとなっている。これらの文はそのまま全文をお読みいただくのが一番良いだろうと思う。
ご一読ありがとうございます。
では、なぜこの用語が副題に使われているのか?
著者は本書で、日本において「男色」の歴史は神話の時代、神武天皇の時代から既に存在した。日本の歴史において、各時代で変化はあるものの「男色」が受け入れられてきた事実があるということを読み解いている。「皇紀」の使用は、「神武天皇の時代」を象徴するためのインパクトを狙った使用にしかすぎない。
つまり、基本的に日本において、文字での記録が残る時代から「男色」が受け入れられてきている事実を指摘しているのだ。そして、日本の社会における「男色」の許容事実を様々な史料を典拠としながら語り継いでいく。「男色」、つまり「オカマ」という切り口で日本通史として読み解いていくのだから、異色でおもしろい。
著者はいわゆる学会に依拠する学者、研究者ではない。自分自身の問題として「男色」の歴史を調べてみた成果として、「オカマ」の立場で本書をまとめたという。そのせいか、文は読みやすい。実に真面目に読み解いたわかりやすい通史となっている。
著者は何者? 本書裏表紙に載るプロフィールを転記しご紹介しよう。
「1975年、広島市生まれ。吉備国際大学卒業後、一般企業、ニューハーフクラブ等に勤務。3歳頃から、自らの性別に違和感を覚える。自らの心の性別を公表できないことに悩み、LGBT問題の解決を図るために当初はLGBT活動家に賛同。しかし友人が活動家からの甘えで鬱になったことで、LGBT活動家に疑問を感じる。またLGBT活動家の主張が日本の歴史に即していないことから、オカマが日本の歴史の中でどう位置づけられていたかを調べ始める。活動家の問題点については小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル』、『新ゴーマニズム宣言スペシャル版正義論』等の影響を受け、歴史については倉山満氏の著作の影響を受ける。
『LGBTの前に人である』ということから、右の思想にも左の思想にも偏らないことがモットー。自身がオカマであることに誇りを持っている。」
また、冒頭の倉山氏による「推薦文」には、本著者にとり本書は処女作であるが、本著者がFacebookで365日、一日一話を語る形で「オカマの日本史」を連載していたという。連載記事の分量の10分の1位に素材を厳選凝縮して、出版物レベルに質を改善した成果が本書のようである。
本書の構成と私なりに理解したポイント並びに感想などを簡略にご紹介する。
<第1章 神話の時代の男色 -皇紀2681年の事始め>
アマテラスオオミカミは日本で最初に男装した。ヤマトタケルノミコトは日本で最初に女装した。男性の同性愛にことを「男色(なんしょく、だんしょく)」と称してきた。ヤマトタケルが日本で最初の男色を記録された人物。文献に基づき読み解いている。
文献史料をどこまで踏み込んで読み込めるか、その解釈が論点になるのかもしれない。
<第2章 平安仏教の男色 -なぜ男色が市民権を得たのか?>
記紀をはじめ古代の文献は古代日本人の性生活をおおらかに記述する。男色そのものは聖書の世界と比べて、罪ではなかった。江戸時代の井原西鶴の『男色大鑑』での発言を糸口に、平安時代での真偽を論じている。鑑真が将来した『四分律』中の「婬戒」、奈良興福寺・菩提院に伝わる『稚児観音縁起絵巻』、天台宗での「一稚児二山王」という言葉を読み解いていく。さらに、平安時代の貴族に男色があった事実を語る。藤原賴道の男色についての記録を例示する。
稚児の存在と男色の関係をどこかで読んだことはあるが、文化的に定着していったことがよくわかる。
<第3章 院政期の男色 -男色が歴史を動かす>
院政は側近と男色が支えたという読み解きかたが興味深い。側近の位置づけは歴史学者が語ることは当然だが、男色の側面を語ることはほぼないように思う。この側面での一歩踏み込みが、本書の特徴でもある。男性同士の友情について、民俗学者南方熊楠の名付けた「浄愛」(肉体関係を伴わない場合)と「不浄愛」(肉体関係を伴う場合)を区別して論じている。白河上皇のネットワークは「不浄愛」で構築されたと分析しているのが、興味深い。さらに、平清盛と崇徳天皇、藤原頼長、後白河天皇などの事例が採りあげられている。痴情・男色を絡めた観点で、保元の乱、平治の乱、源平合戦が読み解かれるのがおもしろい。
<第4章 鎌倉時代の男色 -男色文化の鎌倉へ>
源義経には男色の記録が無いこと。後鳥羽上皇にはマッチョな男色ネットワークがあったことを論じている。鎌倉時代中期の東大寺別当宗性の誓いの事例を引用紹介している。それも当時ではまじめな部類のお坊さんだと論じるているのだからますますおもしろい。
また、700年前に『稚児之草子』(京都醍醐寺蔵)というゲイポルノ的草子が書かれ秘蔵されてきた事実にも触れている。これは仁和寺のお坊さんと稚児のセックス物語という。男色研究の第一人者がその引用すらためらったという。どんな描写をしているのか・・・・。
<第5章 室町時代の男色 -庶民への男色文化の降下>
足利義満が猿楽集団の中から世阿弥を見出し、それが後の能への発展広がりを導くことになる。この義満が世阿弥を寵愛した裏に、男色が関わると読み解く。さらに、足利義持、足利義教、細川政元、細川高国、などの男色の事例を採りあげていく。それらが、時代の変転、乱につながっていると。
時代を動かすのは人であると喝破すれば、そこに男色がかかわっていても当然なのかもしれない。情念の根源の一つになるのだろうから。
<第6章 戦国時代の男色 -宣教師は男色をどう見たのか?>
聖書の世界から見れば、男色は厳禁だったのだから、宣教師たちが嫌悪感を示すのは当然のことだろう。著者は、書翰記録から彼らの受け止め方を明らかにする。一方で、大内義隆、織田信長、武田信玄、不破万作、徳川家康たち大名・武将の男色について、文献史料から読み解いていく。
その中で、石田三成と大谷吉継は「浄愛」の関係にあったと論じている。
<第7章 江戸時代の男色 -なぜ幕府や藩は衆道を禁止したのか?>
小早川秀秋、伊達正宗、徳川綱吉の男色についてから、話題が始まる。江戸時代には、男色が「衆道関係」へと「道」に進展しているという。衆道関係にあり「二心がない」という男色文化が、殉死を生み出して行ったとする。また、衆道の期間は前髪のある期間が大部分だという。江戸時代には、幕府も藩も殉死禁止令を発するようになっていく。著者はその経緯を明らかにしている。そこには切実な理由もあったと・・・・・・。
松尾芭蕉がかつては藤堂主計好忠(蝉吟子)と男色関係にあり、殉死禁止令により死に損ねた人の一例だというjことを本書で知った。
西郷と月照の心中事件の背景にも男色が絡んでいるようである。また、薩摩藩の外城制、兵児組、郷中という仕組みとストイックな女性蔑視の気風が、薩摩の男色を醸成していたという。こういう読み解き方もあるのかと思う。
薩摩と土佐には男色の記録が残るが、長州には男色の記録はほとんどないという。この点もおもしろいと思う。
<第8章 明治対象の男色 -なぜ男色はヘンタイとなったのか?>
この章で初めて知ったことを幾つか列挙しよう。
*1873年に鶏姦罪が施行され、それはお雇い外国人のフランス人法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの進言により1882年に廃止となった。鶏姦とは肛門性交のこと。
*1873年に各地方違式詿(かい)違条例が発布された。そこには異性装の罰則化が盛り込まれていた。
*明治の学生たちの間で男色がエスカレートしていた。鴎外の自伝小説に描写の一端がある。
*1913年クラフト=エビングの『変態性欲心理』が日本で刊行された。性欲学の導入。
変態という言葉は変態性欲に由来する。その一として男色は同性愛と呼ばれるようになる。
性欲学は欧米において、同性愛者を救うために用いられた。精神障害は減刑の対象。
つまり、日本において「同性愛=変態」という認識は所詮100年の歴史である。
<第9章 LGBTが市民権を得るまで -そして無知と軋轢>
L(Lesbian:レズビアン)G(Gay:ゲイ)B(Bisexual:バイセクシャル)T(Transgender:トランスジェンダー)が変態扱いされていた時代から、市民権を得た現在への変化、絶望が希望に代わる転換期において、逆境を乗り越えてきた先人について著者は語る。
釜ヶ崎のオカマ、ノガミの男娼、「青江」のママ(青江忠一)、「吉野」のママ(吉野寿雄)、美輪明宏などのことに触れていく。三島由紀夫自身も著名なゲイだという。
知らなかったのだが、新宿二丁目はいまやKGBTのメッカになっていると著者は言う。
この章の最後に、『新潮45』に掲載された発言3例をとりあげ、著者はLGBTをイデオロギーで語る虚しさに触れている。著者の主張は、LGBTはイデオロギーでは語れない。LGBTという存在として実存するということなのだろう。
著者は以下のように己の主張を投げかけている。
「男色が同性愛になり、変態となったのは、わずか100年です。そして、そのきっかけとなった性欲学は、その欧米のキリスト教社会における特殊性から生まれました。その特殊性を考慮せずにそのままストレートに導入したからこそ、日本の男色は同性愛となり変態となって地下に潜らざるを得なくなったのです。
各国には各国の事情があり風土があります。それを考慮せずに採り入れた結果が現在まで影響を与えているのです。」(p242)
「LGBTとは、男が女を愛する、そして女が男を愛するのと同様に、男が男を愛し、女が女を愛する、そして心が男女逆であるというだけの違いであって、違いがあるとすればたったそれだけの普通の人間なのです。それだけの違いなのに、差別や偏見や不利益が生ずるのであればそれを改善する必要があるのは当然のことであって、それ以上でもそれ以下でもありません。・・・・・人並みの権利を求めることまで、なぜ否定されなければならないのでしょうか。」(p245-246)
<はじめに>と<おわりに>は、著者自身の人生の振り返りとなっている。これらの文はそのまま全文をお読みいただくのが一番良いだろうと思う。
ご一読ありがとうございます。