遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社

2020-06-08 21:06:01 | レビュー
 『小説BOC』創刊号から10号(2016年4月~2018年7月)に連載されたものに加筆修正を加え、2019年6月に単行本化された。著者の小説を読み継ぐ中で、その一冊として本書を手に取った。

 本書の末尾に、興味深い広告文が入っている。2019年に「螺旋プロジェクト」が企画されたという。「『海族』と『山族』の対立が、原始から未来への壮大な絵織物(タペストリー)になる」という意図のもとに、7人の作家が、原始から未来までの時間軸の区分に応じて物語を紡ぎだし、その物語がつながる瞬間があるという。どうつながるのかは知らない。なにせ、そんなプロジェクトとは無関係にこの小説を手にしたのだから。
 本書は、そのプロジェクトで言えば、「螺旋」年表において、「原始」に続く「古代」の時期を担当したことになる。螺旋プロジェクトは、この後「中世・近世」「明治」「昭和前期」「昭和後期」「平成」「近未来」「未来」と時間軸を区分し、物語が続くそうだ。こちらのプロジェクトにも興味が出て来た・・・・。
 本書の最初と最後に、最初は1ページ、最後は2ページ分の「海と山の伝承『螺旋』より」という別物語の一部が刷り込まれている。興味をそそられる部分でもある。

 さて、本書に戻ろう。読み切り短編連作という形式で書かれ、首(おびと)太上天皇(聖武天皇)の崩御に伴い、その遺詔を探して尋ね回るというプロセスから、聖武天皇を浮彫にしようとする小説というのが私の読後印象である。

 本書のタイトルは、最後の短編「藤原仲麻呂」において、仲麻呂が語る「首さまはかつての大王の如く、天日嗣に連なる非の打ちどころのなき統治者ではない。山の形を借りた海、日輪の真似をした哀れなる月人壮士じゃ」(p286)という一文に由来する。
 「月人壮士」という見慣れぬ言葉。調べてみると、「月人」とは、「月を擬人化していう称。月人男」(『大辞林』三省堂)だという。「月人男」は「月人」と同じ。
 この言葉、『万葉集』の歌・2010に詠み込まれている。
  夕星(ゆふづつ)も通ふ天道(あまぢ)をいつまでも仰ぎて待たむ月人壮士
 (宵の明星ももう往き来している天道、この天道を、いつまで振り仰いで彦星が川を
  渡るのを待っていればよいのか。月の舟の若者よ。)
     (『新版 万葉集 二 現代語訳付き』 伊藤博訳注 角川ソフィア文庫)
奈良時代にこの「月人壮士」という言葉は知られ使われていたということだろう。

 この作品は、「序」で始まり、10話の短編を連作として重ねて行き、「終」で完結する。いくつかの特徴がある。まずそれに触れておこう。
*「序」と「終」は、天平勝宝8歳(756年)5月2日、首太上天皇が崩御されたその日を照応する形で描写する。末尾に「それこそが朕の真実の詔だ」というフレーズが出てくる。
*「序」と「終」に挟まれた短編10話は、全て人物名がタイトルになっている。
*各短編は、タイトル名称の人物が独り語りをする独白文スタイルで一貫し綴られていく。その人物は遺詔について質問され、それに対して首さまに対する己の思いを語るという形。その語りを聞く側に読者が己を重ね合わせていくことになる。
*「螺旋」プロジェクトの中で「古代」という時空間を扱うという前提があるからと思うが、明確な象徴的対比構造が組み込まれている。天孫・瓊瓊杵尊の子孫にして、天照大神の末裔たる天皇の血統はこの国家そのものを体現する山の如き存在。一方、藤原氏はその山を囲む海、山をのみこもうとする海の如き存在として位置づけられる。
*首天皇が日嗣の天皇としての己の存在と、藤原宮子を母とし藤原氏の血を受け継ぐ存在であることとの間で、二律背反、相剋に懊悩する姿が明らかになる。

 それでは、簡略なストーリー展開のご紹介をしておこう。

 <序>
 天平勝宝8歳(756年)5月2日、首太上天皇崩御の状況を描く。春先の病臥から枕頭に詰めていたのは円方女王(まどかたのおおきみ)。彼女が崩御を通報する。中務卿仲麻呂が円方女王の傍に行き、末期に遺詔を残されたかと尋ねる。円方はご遺詔は5日前に賜ったではないかと反論する。仲麻呂が去ると、橘奈良麻呂が円方に近づく。首太上天皇の死が政争の始まりとなる。
 余談だが、手許の『続日本紀(中)全現代語訳』(宇治谷孟訳・講談社学術文庫)を読むと、巻第十八、孝謙天皇の天平勝宝8歳5月2日の条には、「この日、太上天皇が内裏の寝殿において崩御された。太上天皇は遺詔して、中務卿・従四位上の道祖王(ふなやどのおおきみ)を皇太子に任命した」と記録するのみである。
 この遺詔が5日前に出されたというのは、この作品のためのフィクションなのか・・・・。

 <その一 橘諸兄>
 橘諸兄は、中臣清麻呂の三男継麻呂と内道場で看病禅師を務める道鏡の二人を呼ぶ。諸兄は二人に聞かすように、己と首天皇との出会いから独り語りを始め、己の栄達の背景と当今の政治情勢にも触れる。そして、継麻呂と道鏡に、首さまの遺詔を探せと命じる。
 二人は然るべき人を訪ねて、遺詔の件を尋ね回らざるを得ぬ羽目になる。
 
 <その二 円方女王>
 継麻呂と道鏡はまず、首さま崩御の瞬間まで傍に仕えていた円方女王を訪ねる。円方は世に流布しているものとは別の遺詔なぞという事には答えられないと拒絶する。そして、宮仕えを始めた直後から首さまに仕えてきた過去を語り始め、首さまがどのような状況におられていたかを具体的に語る。叔母の氷高(元正天皇)より、首さまが古のどの大王にも劣らぬ全き天皇となれと常々言われてきたことに触れる。また、首さまの母・藤原宮子が出産後に精神に異常を来した真因にも触れる。そして、円方が思う首さまの人物像を語る。

 <その三 光明子>
 紫微中台の官人が光明子の命令を受け、円方女王の元に伺候した継麻呂と道鏡の二人を光明子の元に連れて行こうとする。だが継麻呂は官人を見るなり逃げてしまう。そのため道鏡一人が、光明子の面前に引き出される。道鏡から遺詔探しをしていることを聞き出すと、光明子は己が首さまの妃となり次の天皇を産むのだと教えられて育ったことや、後宮の状況と己の立場、藤原氏兄弟の思惑、首さまの行動などを話し始める。円方女王を嫌う理由も。そして、娘の阿倍を皇太子にし、さらに天皇にした背景も。
 光明子は道鏡に己の愚痴をぶちまけたことになる。聖武天皇の後宮の実態が描き出されて興味深い。

 <その四 栄訓>
 栄訓は、内道場禅師、元興寺の尾張和上・賢璟の従僧である。継麻呂が70を過ぎた老僧栄訓に話を聞く。従僧として賢璟の身近に仕え、首太上天皇の仏教に対する帰依の姿を眺めた己の感触を語る。東大寺・毘盧遮那仏の造立後、鑑真が戒師僧として来日した以降の首さまの帰依の状況、さらに亡き皇大夫人宮子に対する七七日の法会に至る経緯がつぶさに語られていく。そして、栄訓が受けとめた首さまの印象、本当の姿を独り言として付言する。
 聖武天皇の仏教帰依とは何か、その姿に一石が投じられていておもしろい。

 <その五 塩焼王>
 橘諸兄が首太上天皇崩御の後に続くが如く没した10日後、道鏡は光明子の紹介で塩焼王の元に伺候する。そして遺詔のことを尋ねる。塩焼王は大海人大王を祖父とし、妻が阿倍女帝の異母妹という立場の皇族である。塩焼王は光明子が亡き宮が何を考えていたかを知りたいのだろうと推測し、道鏡に独り語りをする。
 塩焼王は弟の道祖王との間での子供のころの思いでを語ることから始める。そして、馬酔木の茂みの奥で見つけたもの、素木で拵えられた巻き貝の彫り物について語る。さらに、成人後、首天皇の二度の行幸において道祖王の助けを得つつ担った大役の話とその裏話を語る。塩焼王は首さまの真意を知ったという。
 遺詔の話は直接には出てこないが、それに繋がる聖武天皇の一面がまた一つ見えて来る。

 <その六 中臣継麻呂>
 屋敷に押しかけ、奥まで上がり込んだ道鏡に対し、継麻呂は橘諸兄の没した現在、遺詔探しを金輪際する気はないと激高して語る。彼は、中臣家の存続という立場から、遺詔探し継続の危険性を感じ取る。継麻呂は中臣氏の立場と過去の政争を語る。その一環で少年の頃、母に連れられ長屋王の妻であり病床にある吉備内親王を見舞った時の鮮烈な記憶を語る。それは長屋王の乱につながる話でもあった。
 継麻呂は道鏡に藤原氏は恐ろしいと言う。己の記憶との関連でこう言う。「古くよりこの国をしろしめす皇統が山であれば、それをひたひたと侵す藤原氏は海。いわばあの噂を広めた者たちはみな、知らず知らずのうちにその海の手伝いをしていたわけだ」(p188)と。
 継麻呂は最後に言う。最近長屋王が亡くなった直前の気配を感じるのだと。
 
 <その七 道鏡>
 継麻呂の話を聴いた道鏡が、宮城で宿直をしていて気づいた、阿倍女帝と藤原中務卿との様子についての妙な気配のことを独り語りする。そして、天平17年5月の初めに内道場に出仕した頃のことから回想していく。良弁の勧めで玄昉の従僧として道鏡が内道場に出仕した。その当時、玄昉は首さまの母・宮子の寵愛を得て仕えていた。玄昉の指示で、経典を首天皇に届ける役目を道鏡が担った時、道鏡は首さまに語りかけられる機会を持つ。その時、道鏡は首さまの言葉から誰にも明かせぬ孤独を感じ取った。
 ここでもまた、聖武天皇の一面が描かれている。

 <その八 佐伯今毛人(さえきのいまえみし)>
 佐伯今毛人は造東大寺司長官である。衛門府の武官が東大寺に乗り込んでくる。首さまの遺詔が東大寺に安置されているという風聞が阿倍女帝の耳に入り、遺詔探しに遣わされたというのだ。今毛人は藤原中司卿が遺詔の有無を後宮じゅうで探す一方、橘諸兄の指示を受けた者たちも遺詔探しをしていることを風の噂で聞き知っていた。
 今毛人は遺詔の安置をキッパリと否定する。そして、衛門府の衛士を相手に、己が20歳そこそこの頃から東大寺の造営に携わり15年になることと、若い頃の回想を独り語りする。
 紫香楽の宮においても、東大寺においても、大仏造営の作事場で毎夜付け火や妨げの行為が働かれた背景を語る。今毛人が造寺司に赴任したばかりの頃不寝番を行い、不審者として猟師を捕まえた。その猟師は少女だった。その少女との話し合いから、今毛人は山の民のことを知る。先祖代々、ほうぼうの山を渡り狩を行う猟師にとり、この地に突然都が定められ、寺が造営されることは、不条理以外の何物でもない。猟師は野山で猟をすることにより、里の民、農業をする人々との共存関係にあるということ。猟をすることで、田畑が荒らされることを防ぐ役割にもなっていることを知る。今毛人は春日山での猟を暗黙に認め、金光明寺(=東大寺)の寺地での猟を禁ずると言い、少女を放つ。
 首天皇が橘諸兄を連れて、紫香楽宮への行幸の途次に、今光明寺の建築状況を見たさに思わぬ時刻に立ち寄られた時の顛末を語る。その時に一度だけ首天皇を垣間見た印象を付け加える。ここでもまた、聖武天皇の一面が語られる。

 <その九 再び、光明子>
 道鏡と継麻呂が光明子の元に伺候する。それは橘奈良麻呂の乱が制圧され、道祖王が東宮を追い出された翌日である。この政争の内情を光明子の視点から独り語りする。光明子は首さまが道祖王を皇太子に定めた真意を推測し、一方おのが娘の阿倍女帝が天皇には相応しくないと見切る考えを述べていく。さらに首さまのたった一人の息子である安積皇子が早逝した状況を回想する。そこには恭仁京から難波京への遷都という首天皇の行為が遠因となった事情があった。光明子はそこに、阿倍が帝位を憎む原因があると言う。そして、塩焼王の見つけた貝型の彫り物が登場してくる。
 歴史書が記録しない陰の部分が描き出されていく。歴史小説としてのおもしろさがここにある。

 <その十 藤原仲麻呂>
 光明子の推挽という形で継麻呂と道鏡は、阿倍女帝への目通りを願い出る。だが、仲麻呂が応対する形になり、仲麻呂の独り語りとなる。仲麻呂は二人が橘諸兄の命で遺詔を探していたことを知っていたし、己の配下も遺詔を探していたと明言した上で、今では遺詔が最初からなかったと判断すると語る。さらにそう考える理由を語る。
 17歳の秋に5歳だった阿倍に仕える舎人として宮城に出仕した時のことから回想を始め、首さまが女王ばかりに執着する姿に気づいたという。そして、長屋王の変を語り、その時に池の端で目撃した首さまの姿について語る。その時の首さまの内奥を二人に語ったのである。娘の阿倍について首さまが語った呻吟も語る。最後に、仲麻呂は首さまについての己の見方を語る。

 <終>
 序に照応する形で、5月2日に戻る。そして、崩御間際の首太上天皇をクローズアップする。

 この小説、短編それぞれが独り語りとして独立し完結している。その一方で、リレー形式のように、独り語りが次の人物に引き継がれていく。実質9人の人物が、首さまと称された聖武天皇とはどのような人だったのかを様々な視点から見つめ語っていく。
 大いなる矛盾の極みとしてのその存在を描き上げていく。そこが読ませどころと言える。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に登場する人物に関連してネット検索してみた。一覧にしておいたい。
橘諸兄  :ウィキペディア
橘諸兄とは?わかりやすく紹介!【玄昉・吉備真備の活躍と藤原仲麻呂との対立】
     :「まなれきドットコム」
大中臣継麻呂 :ウィキペディア
道鏡  :ウィキペディア
道鏡  :「コトバンク」
円方女王 :ウィキペディア
円方女王 :「千人万首」
光明皇后  :ウィキペディア
光明皇后  :「コトバンク」
二章 聖武天皇と光明皇后  :「明治維新等の記録」
孝謙天皇  :ウィキペディア
孝謙天皇  :「ジャパンナレッジ」
賢憬    :ウィキペディア
塩焼王   :ウィキペディア
塩焼王   :「コトバンク」
長屋王   :ウィキペディア
吉備内親王 :ウィキペディア
道祖王   :ウィキペディア
橘奈良麻呂の変  :「コトバンク」
藤原仲麻呂 :「コトバンク」
藤原仲麻呂 :ウィキペディア
聖武天皇 :ウィキペディア
聖武天皇 :「コトバンク」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『秋萩の散る』  徳間書店
『関越えの夜 東海道浮世がたり』  徳間文庫
『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録』  徳間書店
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』  徳間書店
『夢も定かに』  中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』  淡交社
『名残の花』  新潮社
『落花』   中央公論新社
『龍華記』  KADOKAWA
『火定』  PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』  集英社文庫
『腐れ梅』  集英社
『若冲』  文藝春秋
『弧鷹の天』  徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』  徳間書店