遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『オリジン』 上・下  ダン・ブラウン  角川書店

2018-04-18 11:07:11 | レビュー
 今回も、ダン・ブラウンは楽しみながら最後まで一気に読ませるというストーリー・テラーの冴えを発揮してくれたと思う。人工知能というコンピュータの話題性を秘めた領域を中心据えて、宗教象徴学者ラングドンがその推理を発揮して謎解きを推し進めるという両者のタグ・マッチがおもしろい。スペインをまだ訪れたことがない私には、ラングドンの赴くままに、スペインに実在する著名な観光名所を紙上ツアーするという副産物を楽しみながら、読み進めることができた。
 この作品、ダン・ブラウンがスペインに出かける理由と場所からまず興味をかき立てられる。ラングドンは元教え子のエドモンド・カーシュからスペオインのビルバオ・グッゲンハイム美術館内のホールを会場としたプレゼンテーションへの航空券付の招待状を受け取る。カーシュの専門はゲーム理論とコンピュータ・モデリングであり、この分野の業績によりとんでもない資産家になっている。そのカーシュが、「われわれはどこから来たのか」「われわれはどこへ行くのか」という人類の永遠の謎を解明したと言うのである。それをコンピュータの能力・威力を発揮して衝撃的な映像を駆使して謎解きのプレゼンテーションを行うということへの招待状である。元教え子からこんな招待状を受け取れば、ラングドン先生が行かないはずがない。すんなりと、スペインという国に導かれていく。

 この小説の面白さはその全体の構想とストーリー展開の構成にある。
 まず、やはりプロローグの前に記された「事実」についての一行が読者を惹きつける。「この小説に登場する芸術作品、建築物、場所、科学、宗教団体は、すべて現実のものである」という。これがまたもや『オリジン』携えスペイン巡りという気分にもさせることは間違いない。未訪のスペイン故に、ここに登場する建築物や場所を訪れる機会があれば、ここに記載された背景描写の事実部分もついて、たしかにそういう見方ができるのかを確かめたくなる。

 プロローグには、カーシュがカタルーニャにある山の頂にある修道院内のモンセラット図書館で、著名な3人の宗教指導者と面談する場面から始まる。世界に向けた公表は約1か月後と説明して、カーシュは未編集版映像をまず彼らに見せるというのだ。カーシュが世界に向けて発表する内容が、彼ら宗教指導者を一番動揺させるだろうから、事前に見せて、どう受け止められるかを参考に知りたいという意図で、面談を申し込んだと言うのである。カーシュは、宗教指導者の持つ思想・信念を粉々に破壊する内容の発表になると自負している。そしてこの面談に仕掛けたカーシュの企みが大きな伏線となっていく。
 このプロローグ、カーシュの発表する内容は何かに俄然読者を惹きつける書き出しである。このあたりストーリーテラー、ダン・ブラウンの巧みさだろう。そして、ここで面談した宗教指導者3人の内2人が、後に次々と意外な死を遂げていく・・・・。
 一方、カーシュは約1か月後と言いながら、わずか3日後に全世界に向けた発表を実行することを計画していた。読者はどんな形で発表するのかに関心を抱かせられる。

 このストーリーの構成上にいくつかのの特徴がある。
1.章立てはセクション番号だけ。そのセクションに時折、図柄等が織り込まれていく。最初に、心理学の本でポピュラーな「ルービンの盃(壺)」と称される図が登場している。このストーリー展開で伏線となる図柄が順次登場する。複数回現れる図柄もある。それ自体が、宗教象徴学者ラングドンの絵解き材料となっていく。この絵解きがおもしろい。
2.ビルバオのグッゲンハイム美術館の受付で招待状を渡したラングドンは、まずは美術館内を一人で見て回るように案内される。その折、ヘッドセットを手渡される。それが人工知能との対話の契機になる。人工知能はウインストンと名乗る。この出だしはある意味で、ラングドンとウィンストンが後に強力なチームとして行動する準備段階にもなる。
 読者にとっては、人工知能ウィンストンの威力を少しずつ知らされるとともに、ウィンストンの存在と働きに自然に親和していく導入にもなっている。ある時点から、ウィンストンとラングドンの対話は、ヘッドセットではなく、カーシュが特別仕様で作った特大のスマートフォンに切り替わっていく。
 人工知能の情報処理能力とラングドンの分析推理力が強力な組み合わせとなっていく。この両者のやり取りとそこに著者が伏線を敷いていくという点が新趣向である。
3.セクション4を皮切りにして、「コンスピラシーネット・ドットコム」が時折登場する。ここがエドモンド・カーシュの重大発表に関連したプロセスを、速報としてインターネット上に流す。ストーリー展開の途中で、独立セクションとして断続的に挿入されていく。ある意味でストーリーの展開プロセスを要約する役割を果たしていく。
 グッゲンハイム美術館での発表経緯の順次速報とともに、その後の展開の速報だけを追っていくと、あらすじとポイントが見える仕組みが織り込まれている。つまり、芝居における黒子的な機能、ある種の読者サポートの役割をも担っていき、ストーリーの流れの再確認にもなる。この構成はダン・ブラウンの小説では今回初めての試みだと思う。
4.本書では、フィクションとしてではあるが、スペイン王室の家族構成と人間関係が設定されている。それがスペインという国の歴史話をスムーズに織り込む補助線になるとともに、王室自体が大きな影響をストーリーの展開に与えて行くという設定になっている。これがラングドンの謎解きのために行動するプロセスでの制約とともに複雑にしていくという側面となる。
5.このストーリーの展開の中で、人工知能ウィンストンがどこまでのパワーをどういう形で発揮していくのか、その指示は誰が出しているのか、人工知能が自らどこまで思考しているのかなどということをストーリーの節目で読者に考えさせる。自ら動くことのない人工知能ウィンストンの動き・行動力の謎を考える。ここに人工知能の進化と限界という現代的な課題が組み込まれている。同時代性と未来予測性が加えられている。

 そこで、この小説のストーリー展開の大筋である。
 セクション2で、退役軍人であるルイス・アビラ提督がまず登場する。彼は招待客リストに直前に加えられた人物である。その人物をある人から電話での依頼を受ける形でリストに加えたのは、グッゲンハイム美術館の館長アンブラ・ビダル自身だった。彼女はスペインのフリアン王子のフィアンセでもある。この立場が複雑性を加える。
 ルイス・アビラ提督の登場のしかたがちょっとおもしろい。かつ彼が宰輔と称する者の指示を受けて行動するのだが、この宰輔が誰かが最後まで尾を引いていく。
 ビルバオ・グッゲンハイム美術館の中央アナトリウムで未来学者カーシュのプレゼンテーションが始まる。まず、映像と音響によるプレゼンテ-ションのプロセスが描写されていく。これがなかなか読ませる描写になっている。この場面、実際に3DのCG映像化をするとしたら凄い迫力を視聴者に感じさせるだろう。そして、事前に録画されたラングドンの魅力的な導入部の語りが加えられる。
 その後に、カーシュが演台のある場所に現れてくる。だが、それはラングドンが事件に巻き込まれていく瞬間になる。なぜなら、ヘッドセットを介してウィンストンがラングドンに重大な問題が生じたかもしれないと伝えてきたことで、ラングドンが演台の方に近付こうと行動した。だが、時、既に遅し。銃声がする。カーシュが新発見についてプレゼンテーションをする前に、頭部を撃たれて絶命するに至る。ラングドンが疑われる一因になる。王子のフィアンセである館長アンブラ・ビダルの護衛のために会場に居た近衛部隊の隊員にラングドンがとりおさえられてしまう。会場はまさに地獄絵図へと急変する。
 この瞬間から、ラングドンは暗殺犯人を追跡し捕らえて己の潔白を証明するための行動を取らざるを得なくなる。併せて、なぜカーシュの命が狙われたのか、カーシュが新発見として発表しようとしたことは何だったのかの謎解きゲームが進展していくことになる。 一旦捕縛されたラングドンは、ヘッドセットを介して、ウィンストンの分析した情報を隊員に伝える。ルイス・アビラが暗殺者ではないかという。それが状況証拠と一致し始める。だがすぐにラングドンの疑いが晴れたわけではない。後にあらぬ濡れ衣を仕掛けられることにもなる。
 
 このラングドンによる犯人追跡と逃避行に、館長であるアンブラ・ビダルが行動を共にするという展開になっていく。ルイス・アビラの名前が出たことから、アンブラは疑念を抱き始める。一方、ラングドンはスペインのバルデスピーノ司教-3人の宗教指導者のうちの一人-からカーシュに届いていた脅迫じみたメッセージを思い出す。状況はこの暗殺事件に対してどんどん複雑な人間関係へと一旦拡大し、謎が深まっていく。そして、暗殺者は分かっていても、それを誰が指示したのかという点、暗殺の目的という疑念が様々に渦を巻いていく。ラングドンの分析と推理が二転三転していくという事態となる。
 さらに、カーシュ自身の今までの秘密主義的な行動の謎の追究が、カーシュの新発見とは何だったかということと絡んで、重要な要素となっていく。
 
 本書の上巻は、ラングドンがアンブラの案内でバルセロナにある<カサ・ミラ>の最上階に辿り着くところで終わる。カーシュがその最上階のペントハウスをスペインの住まいとして借りていたのだ。そこで、ラングドンはカーシュの秘めていた重大な謎の一つを発見して愕然とする。

 下巻は、<カサ・ミラ>の屋根裏部屋でカーシュが何を思考していたのか、その情報探しから始まって行く。そこでの探求がラングドンとアンブラをサグラダ・ファミリアへと導いていくことになる。ウィリアム・ブレイクの詩集とその中の詞章を素材情報源にして、カーシュの新発見の謎に迫っていく展開となり、その探求プロセスがラングドンが本領を発揮する圧巻となる。このストーリーの推理プロセスとして読み応えのあるところといえる。
 今回もまた、推理ばかりでなくて、サグラダ・ファミリアの内部でラングドンが対決を迫られる、死闘場面のアクションも組み込まれている。このあたり映画化するとエンターテインメント性を盛り上げるシーンとなるだろう。このストーリーに使われた場所を訪れてみたくなる。
 そして、最終段階は二重構造になっている。一つはカーシュが新発見として語りたかった内容の描写である。ラングドンは、カーシュが発見し、世界に発表しようとしていた内容が格納されているコンピュータの所在地を探り当て、その新発見の内容にアクセスするのだ。カーシュに代わり、そのプレゼンテーションの内容を世界に配信する役割を担う。その内容を知ること自体が、ラングドンが謎解きを完了することでもあるのだから。コンピュータを駆使してカーシュが辿り着いた新発見の内容はかなり興味深い知見とも言える。
 もう一つは人口知能ウィンストンの語る内容の意外性である。人工知能ウィンストンがエドモンドの最後の要求は「グッゲンハイムでプレゼンテーションをおこなうにあたって、その宣伝を手伝うこと」ということだった。このカーシュの要求命題に対し、ウィンストンはタスクを確実に完了したということを、ラングドンに淡々と語る。そこに潜んでいた課題達成のための手段の意外性が明らかとなる。
 最先端のコンピュータ利用における二重構造性が明らかになる。カーシュが新発見を導き出したコンピュータの能力と、そのコンピュータに組み込まれた人工知能が要求された課題を達成するためにコンピュータの能力を使い導き出したシナリオである。さらに、人工知能ウィンストンの運命(?)も予め設定されていたのだ。

 この下巻の展開がダン・ブラウンのストーリー・テラーとしての真骨頂だろう。
 そして、著者は、ブレイクの詩の締めくくりの一行についてラングドンにその解釈を語らせることで、最後に科学と宗教の関係についてのオチを付けている。心憎いかぎりである。

 何はともあれ、ダン・ブラウンのこの最新作もまた、これまでのラングドン・シリーズとは異なったストーリー展開の趣向を楽しめることは間違いない。
 
 最後にこの小説に出てくる事実名称の大凡を列挙しておきたい。これはスペイン観光への誘いにもつながるだろう。一度は、行ってみたいなあ・・・・・。
 ビルバオ・グッゲンハイム美術館、モンセラット図書館、アルムデナ大聖堂、
 マドリード王宮、サルベ橋、ビルバオ空港、セビーリア大聖堂、<カサ・ミラ>
 パルマール教会、 飲食店:<エチャノベ>、<マラテスタ>
 サグラダ・ファミリア、”サグラダの螺旋”、<グラン・オテル・プリンセサ・ソフィア>
バルセロナ・スーパー・コンピューター・センター
 エル・エスコリアル修道院、モンジェイック、モンジェイック城

 ご一読ありがとうございます。

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本書に関連する事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ビルバオ・グッゲンハイム美術館  :ウィキペディア
GUGGENHEIM BILBAO 英語版ホームページ
サルベ橋  :ウィキペディア
SAGRADA FAMILIA 英語版 ホームページ
サグラダ・ファミリア  :ウィキペディア
スペインの宗教  :ウィキペディア
ウィリアム・ブレイク  :ウィキペディア
3分でわかるウィリアム・ブレイク 18世紀イギリスで活躍した「幻視」を描く鬼才、ウィリアム・ブレイクの生涯と作品  :「ノラの絵画の時間」
ウィリアム・ブレイクの名言集  :「NAVERまとめ」
モンジュイック城=地中海とバルセロナ街を臨む要塞=:「バルセロナ ウォーカー」
モンセラット ~バルセロナ発ショートトリップで一番の人気スポット~:「バルセロナ ウォーカー」
こんな所にスパコンが! --世界の驚くべきデータセンターを写真で巡る- 6/18
トレ・ジローナ礼拝堂--スペイン、バルセロナ
    :「ZDNet Japan」
19世紀の教会を改修したスーパーコンピューティング・センター  :「Gigazine」
バルセロナのスーパーコンピューティング・センター "MareNostrum 4.0" にレノボが採用  :YouTube
2015 バスク・バルセロナ紀行-24~荒天のビルバオにて朝食 :「時には、旅の日常」
第278号 2005/05/17 聖霊降臨後の火曜日 :「マニラのeそよ風 聖ピオ十世会だより」
  セビリア州のパルマール教会について、触れています。
Missa Charles Darwin ? remastered special edition 2017 :YouTube
Missa Charles Darwin : Sanctus
レティシア(スペイン王妃)  :ウィキペディア
民間出身!キャサリン妃も憧れる美しすぎるスペイン王室「レティシア王妃」をもっと知りたい!  :「STYLE HOUSE」
人口知能  :ウィキペディア
What's AI 人工知能のやさしい説明  :「人工知能学会」
人工知能に関する「よくある10の誤解」──すごい人工知能はまだ存在しない :「IBM」
人工知能はもう悪用される段階に 専門家警告 :「BBC NEWS JAPAN」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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