2015年7月、海堂ワールドに新たな局面が現れた。読後に私が連想したのは変化拡大する三層構造の多面球体に一つの面が増殖したというイメージである。この作品を読んで、過去・現在・未来という三層の構造を持ち、多面で構成される球体に、新たな一面が増殖し、それが過去次元の局面と連接し、現在次元の他局面との柵の中に、さらに局面を広げて行き、全体のつながりがさらに濃密に交錯していくというイメージだった。多面体は面を増やし、球体を膨張させながら全体はどこかと相互に接点、接線を持ち、リンキングするネットワークとして広がって行くというイメージである。
海堂ワールドに親しんでいる人は、スカラムーシュという言葉から、銀縁眼鏡をかけ、頭にはヘッドフォンを欠かさない神出鬼没の人物、彦根新吾を直ぐに想い浮かべることだろう。この小説はまさに、あの彦根新吾が中核となって動くストーリーとなっている。
Scaramouch(スカラムーシュ)はフランス語の辞書を引くと、「古代イタリア喜劇の道化役」と説明されている(『コンサイス仏和辞典』三省堂)。さらに手許の英和辞典にも同じ綴りで、イタリア語からフランス語を経由して取り入れられた単語として載っている。「1.スカラムッチア(からいばりする臆病者) 2.ほら吹き;やくざ者」(『リーダーズ英和辞典』研究社)。フランス語では、lune が月を意味する単語だから、本書のタイトルに Moon が組み合わされているところをみると、英語としてスカラムーシュ・ムーンという言葉がタイトルとなったとみるとよいのだろう。
彦根新吾は虚を実に、実を虚に変換するというきわどい境界上で活躍する大ほら吹きの道化師的存在と他人には映る。人には大ほら吹きと思われるような壮大な構想力を持ち、巧みな話術で語りかけ、今ここに存在しない虚の構想を実体あるものに転換して行こうとする仕掛け人である。自ら財力と権力を担い、太陽のように自ら爆発し光を放つということはない。天空の月が他源泉(太陽)のエネルギー、光を受け止めそれを反射させて闇夜を光らせるように、無構想の闇の中に構想という光を照らして、見えざるものを見えるように働きかけていく役割を担う。太陽に相当する光源がなければ、光ることができない。
この小説で彦根新吾は、「浪速大学医学部 社会防衛特設講座 特任教授 彦根新吾」という名刺を駆使する人物として登場する。浪速の村雨府知事の参謀という位置づけにいる。そう、『ナニワ・モンスター』で開幕した新章に対し、その発展としての第2章が始まるのである。はや過去層の多面球体の一面となった『ナニワ・モンスター』にリンクしながら、現在層の多面球体上に、一つの面ができはじめるということになる。
つまり、『ナニワ・モンスター』で出て来た人々が、現在層のこの小説の中で勿論登場して蠢き出す。それは、たとえば、彦根新吾と対決する立場である警察庁の無声狂犬・斑鳩室長であり、スカラムーシュを嫌いながらも、その発想に組みする立場になる浪速診療所院長菊間洋一と元院長で洋一の父・菊間徳衛である。さらに、斑鳩室長との絡みでいえば、過去層の一局面となった『輝天炎上』、桜宮市に建設されたAiセンターの崩壊とも深いつながりがあるといえる。
この小説は、「序章 旅人の寓話」から始まる。高い城壁に囲まれたノルガ王国に辿り着いた旅人が死ぬ。その死は老医師が原因だとした裁き人の審判により、老医師は縛り首となる。オアシスに医師がいなくなる。冬に災いが到来しその王国が滅びると言う寓話。
序章に続くストーリーは4部構成となり、2009年5月26日から12月31日という期間の出来事を語る展開となって行く。こんな構成である。
第1部 ナナミエッグのヒロイン
第2部 スカラムーシュ・ギャロップ
第3部 エッグ・ドリーム
第4部 シロアリの饗宴 (+ 終章 グッドラック )
この作品の読後の第一印象は、オムニバス作品というスタイルをとっているということである。オムニバスは、「2.それぞれに独立したいくつかの短編をまとめ、全体として、一貫した作品にした映画」(『日本語大辞典』講談社)を意味する。つまり、第1部から第3部は、第4部に組み込まれる伏線的な場面が一部組み込まれていて、第4部に繋がる形になっている。しかし、主に第4部が過去層の一面に加わった『ナニワ・モンスター』と一番密接なストーリー展開上の関わりとなっている。極端に言えば、『ナニワ・モンスター』の続編は第4部だけを読んでもほぼ大凡のところはストーリーとして繋がって理解できると思うくらいだ。勿論、伏線部分について、多少の補足があればすぐに続編としてつなげられるといえそうだ。ただし第4部の奥行きを広げて楽しむには、第1部~第3部の物語が一貫したつながりとして読ませる中で、生きてくるという感じである。
たとえて言えば、ケーブルカーで山に登るより、山道を回り込みながら頂上を目指す方が、様々な角度での景色が広がり、楽しめるというようなものである。
第1部 ナナミエッグのヒロイン
ひとことで言えば、ワクチン製造のための有精卵1日10万個の生産・納入子会社設立ストーリーである。
舞台は北陸・加賀の宝善町にある養鶏ファーム『たまごのお城』。社長は名波龍造で、高品質の食卵として無精卵の生産に尽力する中小企業である。しかし、経営は厳しくなってきている状況にある。主な登場人物の一人は、跡取り娘で加賀大の大学院生であり、『たまごのお城』の広報を担当する名波まどかである。そこに、小学校以来の腐れ縁のある真砂拓也と鳩村誠一が関わって行く。真砂拓也は地元運送会社の草分け、真砂運送のドラ息子。工学部を卒業後、まどかと同じ大学院の野坂研究室の院生となっている。鳩村誠一は鳩村獣医院を継ぐために獣医学部に入学し、獣医の国家試験をめざしているが、野坂研究室に入り浸っている。
仕掛け人はスカラムーシュ・彦根先生。彦根先生が上記肩書の名刺を持って、『たまごのお城』をふいに訪ねて行く。ワクチン製造のための有精卵1日10万個の生産・納入という話を持ちかける。納入先は、四国の極楽寺にある浪速大学のワクチンセンターである。有精卵の納入には片道500kmの運搬という作業が必要になるという仕事だ。
高品質の食卵(無精卵)生産に一生を捧げる名波龍造の会社に持ち込まれた有精卵生産、それもワクチン生産のための卵造りという課題。出だしから拒絶反応を引き起こし、紆余曲折をはらむストーリーが始まっていく。分社化がどういう経緯の元でできるかというお話。独立した短編とみることもできるストーリーにまとまっている。
第4部との絡みは、彦根が村雨知事に報告する一言にある。「これで今冬、厚生労働省が画策していると想定される官製パニックを回避できます」。つまり、彦根の頭脳にある近未来予測と対策作りの構想に端を発しているという一点が結節点となっている。
第2部 スカラムーシュ・ギャロップ
中心の話は一転して、彦根新吾が己の構想を実現するために、つまり虚を実に変換する仕掛けの固めとして行動するプロセスを描く各地遍歴譚である。それは浪速から始まり、桜宮市、極北市、モナコ公国のモンテカルロ、ジュネーヴ、ベネチアへの遍歴となる。それは虚を実に転換するための軍資金づくりであり、己の構想の裏付けを確信するための旅物語でもある。
スタート地点の浪速はワクチンとの絡み。『ナニワ・モンスター』で活躍した医師・菊間父子が浪速の医師会の固め役として登場してくる。桜宮市には、ウエスギ・モーターズの上杉会長に面談し、軍資金確保のための仕掛け人として動くためにスカラムーシュは出向く。極北市には、その後の世界遍歴のための要の品を入手する為でもある。ここで、あの天城資金が登場してくるからおもしろい展開となる。
これを彦根新吾流構想の実現のための仕掛け作りストーリーとみれば、独立した短編と見ることができる。それだけちょっと飛んだエピソード展開となる。
第4部との絡みの伏線としては、東京地検特捜部の福本康夫副部長が登場し、福本副部長に斑鳩室長が呼び出されるシーンが組み込まれている。そして、斑鳩室長が、原田雨竜という得体のしれない人物を福本のご指名に応じて、捜査資料室から引っ張り出してくることになる。この雨竜がスカラムーシュに対抗するくせ者なのだ。
第3部 エッグ・ドリーム
これは第1部の続編的位置づけになる。分社化された会社「プチエッグ・ナナミ」が名波まどか社長の下で、1日10万個の有精卵納入を成功させるに至る波乱万丈のサクセス・ストーリーを描く短編となる。その実現に重要な役割を果たす形で、真砂運送から分社化されたプチエッグ・ナナミの依頼のみに対応する子会社ができ、拓也が社長となる。なかなかおもしろい展開となる。
この小説の中では一番短いストーリー展開。しかし、重要な人物が一人登場する。拓也の部下となる柴田さん。スカラムーシュ・彦根との深い因縁を持ち、また医師・菊間洋一とも関係している人物だったので、話が俄然面白みを加えることになる。
第4部との絡みで言えば、雨竜がプチエッグ・ナナミを攻撃対象にするという展開が組み込まれていく。
第4部 シロアリの饗宴
この小説の核心がこの第4部だ。9月29日(火曜)から12月24日(木)の期間のおける攻防戦が描かれる。
浪速府知事・村雨弘毅への支持率が高止まりした状況で、知事参謀の彦根が知事の座を投げ捨て、浪速市長選に立候補するという提案をする場面からストーリーが始まる。どこかで見聞したような・・・・。村雨陣営は騒然となる。スカラムーシュ・彦根の構想の虚が実に転換できるかどうか、その試金石でもあるこの提案からストーリーが展開していく。この第4部に、著者海堂の真骨頂が現れている。実におもしろい展開となる。
図式的に見ると、彦根の計を踏まえて日本三分を主唱する村雨陣営には要となる3人の人物が居る。まず参謀の彦根。虚を実に転換しようとするスカラムーシュ。厚生労働省前局長汚職事件を摘発し、公判に持ち込もうとしている浪速地検特捜部の鎌形(通称カマイタチ)。キャメルパニックを収束させた陰の功労者、喜国忠義。彼は浪速検疫所紀州出張所の検疫官だが、村雨の目指すカジノと医療による独立国家建設という日本三分の計の一端を支えるべく、村雨の股肱の臣となっている。
それに対抗するのが、東京を拠点とする官僚群だ。東京地検特捜部の福本副本部長を中心とする。省庁横断的組織防衛会議、別名ルーレット会議を主導していた斑鳩室長。福本が指名し、表に現れてきた原田雨竜。雨竜は財務省から警察庁に出向しているくせ者官僚。厚生労働省医療安全啓発室室長の八神直道。彼はインフルエンザ・ワクチンの不足を喧伝する役割を担う形で加担させられていく。
村雨の日本三分の計を阻止するために、東京の官僚による中央統制主導派が反撃を始める。おもしろいストーリー展開となっていく。
第4部の見出しだけ列挙してご紹介しておこう。
24 ナニワの蠢動、25 神輿の行方、26 雨竜、動く、27 日本独立党、28 カマイタチの退場、29 軍師対決、 30 決心、31 邂逅、32 暴虐、33 スプラッシュ・パーティ、という展開となる。スプラッシュが「splash」だと、「(水・泥などを)はね返す、はなかける、はねかけてよごす」という意味になる。「splosh」という名詞だと「ぶちまけた水(の音)」という意味合いがある。このパーティは、「日本独立党」結党パーティである。その創設者にして初代党首は村雨である。会場で意外な事態が発生する。
なかなかおもしろい展開となって終わる。スカラムーシュは、多分はやくもつぎの構想を思い描いているのではないか・・・・そんな気がする。スカラムーシュにとって、この期間の活躍も、一局面にすぎないのだろうと思われる。
この小説で実に興味深いのは、スカラムーシュと彦根が呼ばれ始めた由縁が明らかになることだ。そこに今は拓也の部下、一運転手となっている柴田が関係していた。彦根新吾を覆うベールが一枚はがされる。それが重要な要素として書き加えられている。
最後の最後が、今後の展開を期待させる。こんな文章が記されている。
シオンは彦根に寄り添う。
「お供します。どこへでも」
そしてささやく。
-- もう、離れない。
唇に微笑。その腕が細腰を抱き、華奢なシルエットはぴたりと寄り添う。
そこに締め括りとして6行の文章が続いて、この小説はエンディングとなる。海堂ワールドの一つの局面が閉じられた。あとは、この小説をお楽しみいただくことである。
ご一読ありがとうございます。
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「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
出版年次の新旧は前後しています。
『アクアマリンの神殿』 角川書店
『ガンコロリン』 新潮社
『カレイドスコープの箱庭』 宝島社
『スリジェセンター 1991』 講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』 宝島社
『玉村警部補の災難』 宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』 朝日新聞出版
海堂ワールドに親しんでいる人は、スカラムーシュという言葉から、銀縁眼鏡をかけ、頭にはヘッドフォンを欠かさない神出鬼没の人物、彦根新吾を直ぐに想い浮かべることだろう。この小説はまさに、あの彦根新吾が中核となって動くストーリーとなっている。
Scaramouch(スカラムーシュ)はフランス語の辞書を引くと、「古代イタリア喜劇の道化役」と説明されている(『コンサイス仏和辞典』三省堂)。さらに手許の英和辞典にも同じ綴りで、イタリア語からフランス語を経由して取り入れられた単語として載っている。「1.スカラムッチア(からいばりする臆病者) 2.ほら吹き;やくざ者」(『リーダーズ英和辞典』研究社)。フランス語では、lune が月を意味する単語だから、本書のタイトルに Moon が組み合わされているところをみると、英語としてスカラムーシュ・ムーンという言葉がタイトルとなったとみるとよいのだろう。
彦根新吾は虚を実に、実を虚に変換するというきわどい境界上で活躍する大ほら吹きの道化師的存在と他人には映る。人には大ほら吹きと思われるような壮大な構想力を持ち、巧みな話術で語りかけ、今ここに存在しない虚の構想を実体あるものに転換して行こうとする仕掛け人である。自ら財力と権力を担い、太陽のように自ら爆発し光を放つということはない。天空の月が他源泉(太陽)のエネルギー、光を受け止めそれを反射させて闇夜を光らせるように、無構想の闇の中に構想という光を照らして、見えざるものを見えるように働きかけていく役割を担う。太陽に相当する光源がなければ、光ることができない。
この小説で彦根新吾は、「浪速大学医学部 社会防衛特設講座 特任教授 彦根新吾」という名刺を駆使する人物として登場する。浪速の村雨府知事の参謀という位置づけにいる。そう、『ナニワ・モンスター』で開幕した新章に対し、その発展としての第2章が始まるのである。はや過去層の多面球体の一面となった『ナニワ・モンスター』にリンクしながら、現在層の多面球体上に、一つの面ができはじめるということになる。
つまり、『ナニワ・モンスター』で出て来た人々が、現在層のこの小説の中で勿論登場して蠢き出す。それは、たとえば、彦根新吾と対決する立場である警察庁の無声狂犬・斑鳩室長であり、スカラムーシュを嫌いながらも、その発想に組みする立場になる浪速診療所院長菊間洋一と元院長で洋一の父・菊間徳衛である。さらに、斑鳩室長との絡みでいえば、過去層の一局面となった『輝天炎上』、桜宮市に建設されたAiセンターの崩壊とも深いつながりがあるといえる。
この小説は、「序章 旅人の寓話」から始まる。高い城壁に囲まれたノルガ王国に辿り着いた旅人が死ぬ。その死は老医師が原因だとした裁き人の審判により、老医師は縛り首となる。オアシスに医師がいなくなる。冬に災いが到来しその王国が滅びると言う寓話。
序章に続くストーリーは4部構成となり、2009年5月26日から12月31日という期間の出来事を語る展開となって行く。こんな構成である。
第1部 ナナミエッグのヒロイン
第2部 スカラムーシュ・ギャロップ
第3部 エッグ・ドリーム
第4部 シロアリの饗宴 (+ 終章 グッドラック )
この作品の読後の第一印象は、オムニバス作品というスタイルをとっているということである。オムニバスは、「2.それぞれに独立したいくつかの短編をまとめ、全体として、一貫した作品にした映画」(『日本語大辞典』講談社)を意味する。つまり、第1部から第3部は、第4部に組み込まれる伏線的な場面が一部組み込まれていて、第4部に繋がる形になっている。しかし、主に第4部が過去層の一面に加わった『ナニワ・モンスター』と一番密接なストーリー展開上の関わりとなっている。極端に言えば、『ナニワ・モンスター』の続編は第4部だけを読んでもほぼ大凡のところはストーリーとして繋がって理解できると思うくらいだ。勿論、伏線部分について、多少の補足があればすぐに続編としてつなげられるといえそうだ。ただし第4部の奥行きを広げて楽しむには、第1部~第3部の物語が一貫したつながりとして読ませる中で、生きてくるという感じである。
たとえて言えば、ケーブルカーで山に登るより、山道を回り込みながら頂上を目指す方が、様々な角度での景色が広がり、楽しめるというようなものである。
第1部 ナナミエッグのヒロイン
ひとことで言えば、ワクチン製造のための有精卵1日10万個の生産・納入子会社設立ストーリーである。
舞台は北陸・加賀の宝善町にある養鶏ファーム『たまごのお城』。社長は名波龍造で、高品質の食卵として無精卵の生産に尽力する中小企業である。しかし、経営は厳しくなってきている状況にある。主な登場人物の一人は、跡取り娘で加賀大の大学院生であり、『たまごのお城』の広報を担当する名波まどかである。そこに、小学校以来の腐れ縁のある真砂拓也と鳩村誠一が関わって行く。真砂拓也は地元運送会社の草分け、真砂運送のドラ息子。工学部を卒業後、まどかと同じ大学院の野坂研究室の院生となっている。鳩村誠一は鳩村獣医院を継ぐために獣医学部に入学し、獣医の国家試験をめざしているが、野坂研究室に入り浸っている。
仕掛け人はスカラムーシュ・彦根先生。彦根先生が上記肩書の名刺を持って、『たまごのお城』をふいに訪ねて行く。ワクチン製造のための有精卵1日10万個の生産・納入という話を持ちかける。納入先は、四国の極楽寺にある浪速大学のワクチンセンターである。有精卵の納入には片道500kmの運搬という作業が必要になるという仕事だ。
高品質の食卵(無精卵)生産に一生を捧げる名波龍造の会社に持ち込まれた有精卵生産、それもワクチン生産のための卵造りという課題。出だしから拒絶反応を引き起こし、紆余曲折をはらむストーリーが始まっていく。分社化がどういう経緯の元でできるかというお話。独立した短編とみることもできるストーリーにまとまっている。
第4部との絡みは、彦根が村雨知事に報告する一言にある。「これで今冬、厚生労働省が画策していると想定される官製パニックを回避できます」。つまり、彦根の頭脳にある近未来予測と対策作りの構想に端を発しているという一点が結節点となっている。
第2部 スカラムーシュ・ギャロップ
中心の話は一転して、彦根新吾が己の構想を実現するために、つまり虚を実に変換する仕掛けの固めとして行動するプロセスを描く各地遍歴譚である。それは浪速から始まり、桜宮市、極北市、モナコ公国のモンテカルロ、ジュネーヴ、ベネチアへの遍歴となる。それは虚を実に転換するための軍資金づくりであり、己の構想の裏付けを確信するための旅物語でもある。
スタート地点の浪速はワクチンとの絡み。『ナニワ・モンスター』で活躍した医師・菊間父子が浪速の医師会の固め役として登場してくる。桜宮市には、ウエスギ・モーターズの上杉会長に面談し、軍資金確保のための仕掛け人として動くためにスカラムーシュは出向く。極北市には、その後の世界遍歴のための要の品を入手する為でもある。ここで、あの天城資金が登場してくるからおもしろい展開となる。
これを彦根新吾流構想の実現のための仕掛け作りストーリーとみれば、独立した短編と見ることができる。それだけちょっと飛んだエピソード展開となる。
第4部との絡みの伏線としては、東京地検特捜部の福本康夫副部長が登場し、福本副部長に斑鳩室長が呼び出されるシーンが組み込まれている。そして、斑鳩室長が、原田雨竜という得体のしれない人物を福本のご指名に応じて、捜査資料室から引っ張り出してくることになる。この雨竜がスカラムーシュに対抗するくせ者なのだ。
第3部 エッグ・ドリーム
これは第1部の続編的位置づけになる。分社化された会社「プチエッグ・ナナミ」が名波まどか社長の下で、1日10万個の有精卵納入を成功させるに至る波乱万丈のサクセス・ストーリーを描く短編となる。その実現に重要な役割を果たす形で、真砂運送から分社化されたプチエッグ・ナナミの依頼のみに対応する子会社ができ、拓也が社長となる。なかなかおもしろい展開となる。
この小説の中では一番短いストーリー展開。しかし、重要な人物が一人登場する。拓也の部下となる柴田さん。スカラムーシュ・彦根との深い因縁を持ち、また医師・菊間洋一とも関係している人物だったので、話が俄然面白みを加えることになる。
第4部との絡みで言えば、雨竜がプチエッグ・ナナミを攻撃対象にするという展開が組み込まれていく。
第4部 シロアリの饗宴
この小説の核心がこの第4部だ。9月29日(火曜)から12月24日(木)の期間のおける攻防戦が描かれる。
浪速府知事・村雨弘毅への支持率が高止まりした状況で、知事参謀の彦根が知事の座を投げ捨て、浪速市長選に立候補するという提案をする場面からストーリーが始まる。どこかで見聞したような・・・・。村雨陣営は騒然となる。スカラムーシュ・彦根の構想の虚が実に転換できるかどうか、その試金石でもあるこの提案からストーリーが展開していく。この第4部に、著者海堂の真骨頂が現れている。実におもしろい展開となる。
図式的に見ると、彦根の計を踏まえて日本三分を主唱する村雨陣営には要となる3人の人物が居る。まず参謀の彦根。虚を実に転換しようとするスカラムーシュ。厚生労働省前局長汚職事件を摘発し、公判に持ち込もうとしている浪速地検特捜部の鎌形(通称カマイタチ)。キャメルパニックを収束させた陰の功労者、喜国忠義。彼は浪速検疫所紀州出張所の検疫官だが、村雨の目指すカジノと医療による独立国家建設という日本三分の計の一端を支えるべく、村雨の股肱の臣となっている。
それに対抗するのが、東京を拠点とする官僚群だ。東京地検特捜部の福本副本部長を中心とする。省庁横断的組織防衛会議、別名ルーレット会議を主導していた斑鳩室長。福本が指名し、表に現れてきた原田雨竜。雨竜は財務省から警察庁に出向しているくせ者官僚。厚生労働省医療安全啓発室室長の八神直道。彼はインフルエンザ・ワクチンの不足を喧伝する役割を担う形で加担させられていく。
村雨の日本三分の計を阻止するために、東京の官僚による中央統制主導派が反撃を始める。おもしろいストーリー展開となっていく。
第4部の見出しだけ列挙してご紹介しておこう。
24 ナニワの蠢動、25 神輿の行方、26 雨竜、動く、27 日本独立党、28 カマイタチの退場、29 軍師対決、 30 決心、31 邂逅、32 暴虐、33 スプラッシュ・パーティ、という展開となる。スプラッシュが「splash」だと、「(水・泥などを)はね返す、はなかける、はねかけてよごす」という意味になる。「splosh」という名詞だと「ぶちまけた水(の音)」という意味合いがある。このパーティは、「日本独立党」結党パーティである。その創設者にして初代党首は村雨である。会場で意外な事態が発生する。
なかなかおもしろい展開となって終わる。スカラムーシュは、多分はやくもつぎの構想を思い描いているのではないか・・・・そんな気がする。スカラムーシュにとって、この期間の活躍も、一局面にすぎないのだろうと思われる。
この小説で実に興味深いのは、スカラムーシュと彦根が呼ばれ始めた由縁が明らかになることだ。そこに今は拓也の部下、一運転手となっている柴田が関係していた。彦根新吾を覆うベールが一枚はがされる。それが重要な要素として書き加えられている。
最後の最後が、今後の展開を期待させる。こんな文章が記されている。
シオンは彦根に寄り添う。
「お供します。どこへでも」
そしてささやく。
-- もう、離れない。
唇に微笑。その腕が細腰を抱き、華奢なシルエットはぴたりと寄り添う。
そこに締め括りとして6行の文章が続いて、この小説はエンディングとなる。海堂ワールドの一つの局面が閉じられた。あとは、この小説をお楽しみいただくことである。
ご一読ありがとうございます。
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「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
出版年次の新旧は前後しています。
『アクアマリンの神殿』 角川書店
『ガンコロリン』 新潮社
『カレイドスコープの箱庭』 宝島社
『スリジェセンター 1991』 講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』 宝島社
『玉村警部補の災難』 宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』 朝日新聞出版