遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『鬼神の如く 黒田叛臣伝』  葉室 麟  新潮社

2016-02-09 09:21:40 | レビュー
 何ら予備知識を持たずにこの小説を読み始め、最後まで引きこまれて行った。
 読了してから少し調べてみて、遅まきながら初めて栗山大膳が実在の人物だったことと、これが世に「黒田騒動」として知られていることを知った次第。手許の学習参考書『新選日本史図表』(第一学習社)を開いてみると、「1633.3 黒田騒動」と明記されている。著者の『橘花抄』を以前に読んだとき、「黒田騒動」があったことは記されていた。しかし、そのときはさらりと読み過ごし、『橘花抄』のテーマである騒動の方に思いが行っており、後で最初の黒田騒動を掘り下げることはしなかった。
 本書を読み終えてから、少し調べて見ての話なのだが、別観点から言えば、かなり世に親炙し、手垢のついた出来事について、著者が断片的な事実記録の空隙に縦横の想像と創作を加えて、新たな「黒田騒動」をここに構成し直したと言える。
 後追いの形になるが、「黒田騒動」について過去に作品化されている様々なアプローチを少しずつ辿ってみようかという気がしてきた。少し時間を置いて、改めて史実レベルでの出来事(内幕)と著者の創作し描き出したリアル感溢れる黒田騒動との対比によるフィクション部分の考察しながらの再読も一つの方法として楽しめるかもしれない。

 調べてみた範囲のソースは、末尾をご覧いただきたい。少し触れておくと、あの森鴎外が『栗山大膳』と題する短編小説を書いている。海音寺潮五郎が『列藩騒動録 上』(講談社文庫)に「黒田騒動」を取り上げているようだ。1956年には名優・片岡千恵蔵主演のモノクロで「黒田騒動」(東映)が映画化されている。
 さらに遡れば、歌舞伎の演目の『黒白論織分博多(こくびゃくおりわけはかた)』(黒田騒動)として脚色されて取り上げられているようである。歌舞伎演目の「お家騒動」ものでは、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』『実録先代萩(じつろくせんだいはぎ)』ほか仙台藩六十二万石の伊達騒動をあつかったものが最も有名。私でも「伊達騒動」という言葉には少し馴染みがあった。黒田騒動は知らなかった。歌舞伎での黒田騒動の初演は嘉永5年8月江戸の中村座で、関西では大阪・中座で明治18年11月が初演だという。

 冒頭から脇道に逸れた。本題に入ろう。著者は栗山大膳像が胆力に優れ、深慮遠謀で、黒田藩の存続を確実にするという目的の為には、己が「叛臣」と呼ばれ遺棄されようと鬼神となってやり遂げるという人物像を描き上げていく。
 この小説のおもしろいところは、黒田騒動が黒田藩内での藩主・忠之と家老・栗山大膳の対立・確執によるお家騒動という視点に限定し、そこでの大膳の大芝居として描いているのではないところにある。著者は当時の九州における勢力関係と将軍・老中幕閣の思惑、黒田藩そのものの存続という三つ巴の構図を前提にして、栗山大膳と藩主忠之との確執の有り様を描く。さらにその確執自体も大膳の機略策謀に組み込まれたシナリオの一環である。大膳の腹中にある秘策成就のために、次々と策が重ねられ、手が打たれていく。大膳の指示、打つ手とその行動がどのように、どんな関係で繋がって行くのか、そのストーリー展開とそこに潜む意外性がおもしろい。

 登場人物と全体の構図を図式的にご紹介してみよう。
 まず冒頭で、太宰府天満宮の近くにある修験者の修行場・宝満山の中腹の坊に住む夢想権之助が登場する。彼は宮本武蔵と試合をして敗れ、そのリベンジを目指し、杖術を創案した武芸者である。彼はストーリーの要所要所で登場するが、その弟子で義理の兄妹である卓馬と舞がこのストーリーでは一つの要となっていく。当初、卓馬と舞は竹中采女正から間者として、栗山大膳の許に送り込まれるのである。だが、結果的には大膳の意を帯して行動していくことになるところがおもしろい。
 この夢想権之助、江戸時代初期に実在した武芸者。小説でのフィクションかと思っていたが、後で調べてみると実在していたという記録があるようだ。
 竹中采女正は、秀吉の軍師だった有名な竹中半兵衛の従弟を父とし、豊後府内二万石の藩主である。幕府の信任が厚く、寛永六年(1629)に長崎奉行に任じられ、幕府の九州探題として、目を光らせている。一方、幕府老中・土井利勝の意を受けて行動する。当時の幕府は豊臣秀吉と深い関わりのあった藩を徐々に機会を見つけて、あるいは理由を作って取りつぶす策を広げていた。一方、二代将軍秀忠から将軍を継承した家光は、キリシタン撲滅と絡む構想として、ルソン征伐を密かに夢見ていたのである。利勝は意に逆らわない形で黙っていることで家光に取り入っている。竹中采女正はその利勝の意を受けて動き、策謀家としての己の能力を自負する人物。黒田家の家臣と称する影山四郎兵衛という者から黒田忠之謀反の疑いありと誣告する書状が届いたことを契機に、黒田藩の内情を探索しようとする。その間者として卓馬と舞を送り込むのである。竹中家と黒田家の縁の深さから、黒田家を助けたいと言うが、肚の内は黒田家取りつぶしの功への先手になりたいという立場である。
 また、采女正は長崎奉行として、キリシタンの弾圧、峻烈な取り調べを強化している。穴吊りという拷問はこの采女正が始めたとされる。一方、土井利勝の意を受けて、密貿易を行い蓄財をしている。そこにはいずれの日かに家光の命によりルソン征伐を行うための資金蓄積と情報収集という建前がある。他の老中には寝耳に水というところ、蚊帳の外に置かれている。

 黒田家の隣国は豊前の細川家である。細川忠興と黒田長政は豊臣秀吉の家臣の頃から確執してきた間柄である。細川家は忠興から忠利に、黒田家は長政から忠之にそれぞれ家督が譲られたとはいえ、両者の仲の悪さは続いている。三斎と号する忠興は未だ健在であり、栗山大膳の許に間者を送り込んでいたのだ。黒田家を陥れる理由がつかめれば、細川家が九州で勢力を得られる契機になる。虎視眈々と陰の戦いは続いているのである。

 そして、黒田家の藩主・忠之である。我が儘勝手に振る舞い、驕奢に流れ、家臣の登用も気まぐれに行う。父・長政は忠之を廃嫡し弟の長興に家督を譲ることを考えたことがある位なのだ。だが、大膳が嫡子を替えるのは国が滅びる基になると諌言し、思いとどまらせ、結果的に忠之が家督を継いだ。忠之は、はじめ小姓として仕えた倉八十太夫を引き立てて重臣に登用する。十太夫は忠之の寵臣となり、忠之は藩政を十太夫に託していこうとする。幕府が諸大名に大船建造を禁止する意向示している最中に、忠之は大船建造を行うなどの振る舞いをしている。忠之と十太夫は栗山大膳の考えと対立する立ち位置になっていく。そして、確執の事態は大膳が家老職を辞すというところから進展し始める。

 寵臣の倉八十太夫は藩主忠之側である。忠之に忠誠を尽くしている。だが、栗山大膳が打ち出してくる策に対し、忠之が激怒しがちである状況を著者は幾度も描くが、寵臣としての十太夫を、怒りの火に油を注ぐような人物としては描いていない。栗山大膳という思慮深く機略にたけた人物が何を考えているのか、その意図をよく考える人物という立場で、忠之のブレーキ役として描いている。通説での人物像とかなり違う捉え方を著者は試みているようだ。このあたりが実に興味深い。
 こんな確執状況の中で、ストーリーが展開していく。

 竹中采女正から送り込まれた卓馬と舞を、細川家から送り込まれた間者を封じる役に使い、さらに己の手駒として采女正の許に逆に赴かせるという策を大膳は謀っていく。大膳の深慮遠謀から編み出される策は幾重にも絡まり合いながら、黒田藩の存続への一石としてうたれていく。その一石がどこでどう繋がって行くのか、このプロセスが読ませどころである。

 おもしろいのは細川家との縁で宮本武蔵が登場するが、ある意味でチョイ役的な役回りとして描き込まれているというおもしろさ。武蔵と卓馬・舞との対決、武蔵と夢想権之助の再対決なども織り交ぜられる。後半部で柳生宗矩も登場するが、ちょっと悪役的であるところも興味深い。
 さらに、大膳の遠謀の一環とも関わる形で、天草四郎も登場する。これは当時のキリシタンの人々が追い込まれていた状況の一端が描かれ、我々に問題を投げかける一方で、黒田藩の存在価値への伏線となっている点も興味深い。「叛臣」として藩を去る大膳が後々までも構想していた展望というところか。

 この小説の文脈で印象深く、かつ重要な意味を含むと私の感じる箇所をいくつかご紹介しておきたい。

*わたしが戦っているのは黒田の殿に非ず、竹中采女正様でもなく、まして江戸の将軍家ではない。・・・神君家康公だ。  p161
*いかにも左様でございます。そのためにわが家臣たちにも偽りを申して参った。p237
*これは驚きいったお言葉でござる。竹中半兵衛様や如水公なれば、謀るをよしとされ、謀られるは不覚であると仰せになられましょう。  p246
*まこと、殿と栗山様は喧嘩の絶えぬ兄弟のようでございますな。たがいに意地を張って誹り合われるが、心のうちではお互いを常に案じておられます。(← 十太夫の発言)p255
*ソウカモシレナイ。ダガア、一度、胸ニ宿ッタ神ノ教エハ消エルコトハナイ。イツカマタ甦ッテクル。イマハソレヨリモ、皆ガ生キルコトヲ考エルベキデハナイカ。トクニ子供タチダ。将来ガアル子供タチヲ、自ラノモノトナッテイナイ信仰デ死ナセテハイケナイ。 (← フェレイラ神父の発言) p275
*しかし、一揆が強くなるのは、ただひとつのわけがあればこそでござろう。
 怒りでござるよ。おのれを虐げ、ないがしろにするものへの怒りは誰の胸にもございましょう。ひとはひとであるかぎり、おのれを虐げる者への怒りを忘れませぬ。  p304

 この小説のエンディングは実に興趣がある。

 ご一読ありがとうございます。

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この小説に関連する事項をネットで調べてみた。一覧にしておきたい。

栗山大膳  :「コトバンク」
栗山利章  :ウィキペディア
黒田騒動  :「コトバンク」
黒田騒動  :「weblio辞書」
黒田騒動 アーカイヴ・ライブラリー :「福岡市」

夢想権之助 :ウィキペディア
流祖夢想権之助について  :「東京都杖道連盟公式ホームページ 神道夢想流杖術」
竹中采女正と江戸城記録 黒田城北氏 :「別府大学地域連携プログラム」
長崎年表 江戸時代<2>  :「長崎年表」

『栗山大膳』 森 鴎外  :「青空文庫」

黒田52万石を救った「栗山大膳」 :「福岡県朝倉市」
【岩手とのゆかり】黒田騒動と盛岡藩 :「岩手県」
開田山恩流寺  :「盛岡三十三観音」
福岡県の「志波」と岩手県の「志波、志和、斯波、紫波」の不思議な関係 吉田等明氏
タロット聖人伝  中浦ジュリアン  :「タアロット魔術室」
末次平蔵  :「コトバンク」
「背教者ジョアン末次平蔵とアントニオ村山当安の対立」桐生敏明氏:「徒然漫歩計」
キリシタン史 江戸初期の大迫害:「キリシタン千夜一夜」(たけちゃんのホームページ)

クリストヴァン・フェレイラ  :ウィキペディア
宮城(1)江戸揺るがせた伊達騒動 歌舞伎の人気演目に :「東京新聞」

関寺小町 :「観能手綴」
演目事典 田村 :「the 能 .com」
調伏曽我  :「宝生流謡曲名寄せのページ」
曲目解説 西行桜  :「銕仙会」

「鬼神の如く 黒田叛臣伝」の葉室 麟さん 著者との60分-interview-:「e-hon」 
「黒田騒動」が舞台の歴史長編を上梓 葉室麟氏に聞く :「日刊ゲンダイ」

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