遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『首都崩壊』 高嶋哲夫  幻冬舎

2014-08-30 14:16:31 | レビュー
 この作品は、奥書によるとダイヤモンド・オンラインに2012.3.12~8.31まで連載された「東京崩壊」がベースとなり、加筆・修正・改題されて出版されたようだ。
 東日本大震災の1年後に発表されている。内容はまさに直近未来小説。まさに現実に直近に発生する可能性を秘める東京直下型地震を想定した政治経済シュミレーション小説である。日本は日本一国として存立できない。東京圏が政治経済的に崩壊すれば、それは現在の日本の即崩壊となり、日本一国に留まらず、アメリカ合衆国を筆頭に関係諸国に即座に激震を及ぼし、世界経済崩壊のトリガーになる。東京直下型地震の発生がその主原因になる確率が非常に高いという現実をリアルにシュミレーションしている。
 日本経済の急激な凋落により、世界経済の崩壊への震源国にならないための方策は何か。日本がサバイバルしていくために成すべきことは何なのか? そんな直近未来シュミレーションがここにある。

 太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込んでいる東北地方太平洋海域を震源地とした地震が、巨大津波を起こし、地震と津波があの東日本大震災をもたらした。「想定外」とさかんに声高に弁明された福島第一原発爆発事故を引き起こした。その復旧と復興は未だ不十分この上ない現実である。あの地震による日本列島周辺のプレートの相互関係が大きく変化していることはしばしば報道されている。
 本作品の元のオンラインでの発表が終わり、この2014年2月に単行本が出版されるまでの中間で、例えば、朝日新聞の2013年3月19日の朝刊は、見開きの20面・21面全紙で「南海トラフ巨大地震(M9.1)の被害想定」を報道している。日本経済新聞は同日、同様に40面・41面の見開き全紙で報じている。内閣府の専門家作業部会の発表内容である。
この発表では、東京都について、次の被害想定となっている。死者数:1,500人、全壊建物:2400戸、停電12,000件、浸水面積14平方km、直後の避難者数:15,000人、1週間後の避難者数:20,000人である。「南海トラフ巨大地震による経済的被害の想定は220兆円を超えた」と報道している。東京都の直接被害額の想定は6,000億円だとする。
 朝日新聞には、2005年に想定された首都直下地震について少し触れている。東京湾北部でM7.3の地震発生が想定されて、死者・不明:13,000人、経済被害:106兆9000億円(GDP比21%)、うち建物倒壊などによる直接被害:67兆円という。
 この南海トラフと直下型地震の比較だけでも、東京圏で直下型地震が発生した場合のダメージ規模が何となくイメージできる。

 この作品の主人公は森崎真(しん)。ハーバードの大学院への留学から10日前に帰国してきた国土交通省のキャリア官僚である。彼はハーバードに留学していた時、アメリカで日本を眺めてみて、見えなかったものが見えてきた結果、「中央集権の崩壊」と「日本、遷都の歴史」という論文を書いていたのだ。ただ、それは異国の地にいたフリーな思考から生み出された思念だった。

 この作品に登場する主な人物をご紹介しつつ、読後印象をまとめておきたい。
 森崎が帰国した後の事の発端は、森崎の友人、前脇健一である。彼は東都大学理学部の准教授であり、地震研究所の地震学者である。その前脇が、森崎を訪れて研究結果を告げるのだ。東北地方太平洋沖地震の影響で、日本列島の下のプレートがかなりグシャグシャになり、東京直下型地震の起こる時期が早まったと言う。東京直下型地震の5年以内の発生確率が90%だと評価しているのだ。研究結果に対し、自信があっても、正規の論文発表手続きを重ねるなら気が遠くなるほど時間がかかる。地震の方が早く発生する可能性がある。どうすればいいのか、と前脇は森崎に相談を投げかけたのだ。そして論文内容の記録されたフラッシュメモリを前脇は森崎に手渡して帰宅する。

 森崎のハーバード大学時代の1年上の友人にロバート・マッカラムが居る。彼もアメリカの政府機関から派遣されていた学生だった。そのロバートが、成田に着いた後、突然に森崎の携帯電話に連絡を入れてくる。森崎のマンションですぐに会いたいという。
 彼はジョージタウン大学の国際経済研究所の報告書、表紙に「シークレット」の文字が押されたレポートを携えて来た。アメリカの国務長官が中国訪問の帰りに日本に立ち寄り総理と会う予定がある。ロバートは大統領特使として来たのであり、国務長官と総理の公式の面談前に、総理と極秘に面会し、そのシークレット・レポートを総理に直接手渡す任務なのだという。極秘の面会の通訳を突然森崎に依頼するのだ。森崎はそれを引き受けざるを得なくなる。
 そのシークレット・レポートとは、日本で百兆円を超す経済損失が出ると、世界経済にどんな影響が出るかという研究レポートだった。大統領直属のシンクタンク、英知の集団が書き上げたものであり、その信憑性は80%以上のものだという。その経済損失の原因が東京直下型地震であり、日本発の経済危機が世界に広がると、1929年の世界大恐慌の悪夢の再来になるという。世界恐慌の発端当事国に日本はなる。それへの速やかな対策を出して欲しいというのが、アメリカ大統領の要望なのだ。
 アメリカはシンクタンクを使い、様々な視点からの分析研究をしているという状況設定は、実にリアルである。そういうバックグラウンドが失敗も含まれているだろうが、状況対応の素早さに結びついているのだろう。この作品でいえば、想定へのリアリティを高める材料になっている。

 そこに現在は東京経済新聞の記者となり、日米を頻繁に往来している野田理沙が登場する。森崎の2歳上で、同じ大学の政治研究会に入っていた女性である。ハーバード大学に留学して修士号を取っている辣腕記者だ。アメリカの経済界、証券業界の動向や政治の動向にアンテナを張り、独自に取材活動をしている。ロバートが成田からアメリカに飛び立った直後、彼を見送った森崎に近づいてくる。世界的な経済学者を出迎えにたまたま来ていたという。理沙はロバートをどこかで見たことがあると・・・森崎にカマをかける。経済記者としての理沙とエリート官僚の一人である森崎の関わりが深まっていく。

 森崎は前脇の研究結果を、上司である国土交通省、総合政策局政策課・課長補佐の山根にデータファイルを見せてまずは報告するという手順を踏んでいる。
 その一方、個人的にロバートに極秘面会の通訳を頼まれた森崎は、休暇の届けを出して個人の立場で緊張する通訳をした訳だが、その直後には森崎の行動が省庁に伝わっていて、とんでもない波紋を起こし始めたのだ。特定の省の官僚であるという立場を別にできる訳がなかった。即座に、森崎の素性は明らかにされ、情報が流れているのである。上司が慌てるのは明らかだ。
 ロバートと総理の面会直後から、総理の周辺は慌ただしくなる。総理は国務長官の来日までには、シークレット・レポートを踏まえた、当事者・日本国の対策を立て、国務長官に考えを示すことを求められたのだから。総理には寝耳に水。入らぬお世話。内政干渉ではないかという憤懣も内心生じるが、感情的なだけで事が済むものではない。
 そして、総理の机上には、森脇准教授の地震予測の研究結果とロバートが手渡したシークレット・レポートが時を同じくして並んでしまう。ここから、能田総理の憤懣、いらだち、戸惑い、政治家的判断、苦悩と疲労、歴史に名を残したいという功名心が交錯していく。前脇准教授から直に地震予測の話を聞くという機会を設けるに至る。
 能田は世間がパニックを起こすのを恐れて、前脇の研究成果の発表を止めさせようという手練手管も試みる。前脇はその直後、突然研究所から消え、行方がつかめなくなる。
 結局、能田総理は「首都移転チーム」を発足させる指示を出す。

 まだ、重要な登場人物が居る。村津真一郎である。4年前に国交省を早期退職した人物。退職の直前3年間は「首都機能移転室」の室長だった人だ。国交省の秋山大臣は、村津が切れ者だが変わり者ととらえ、村津が3年間室長をしたが無駄な時間を過ごしたと思っているとの評価をしているのだ。
 秋山は、森崎に国交省内に立ち上げることなった首都移転チームに森崎を異動させることを告げた後、このチームのリーダーに村津を引っ張り出し就任させるために、森崎に依頼にいくよう指示するのだ。森崎が調べたかぎりでは、首都機能移転室は、実現の見込みのない構想をまとめ上げる閑職だったのだ。
 森崎は、自分が依頼に行く指示を受けたのは、村津にチームリーダー就任の要請をしたが、就任を断られたからではないかと推測する。
 森崎は日米2つの論文の説明をし、アメリカ側の話も伝えることを指示される。
 森崎が田舎に住む村津を訪ね、一通りの説明をすると、最後に村津は言う。「今朝総理大臣秘書官から電話があった。私の出した条件を呑むそうだ。それに、前の3年間を無駄にしたくないからな」と。
 ここから本格的なストーリー展開が加速していく。

 各省庁から、二十人の男女が首都移転チームに移る指示を受ける。選ばれたのは各省庁のエリート官僚である。それが村津の条件の一つだった。しかし、「首都機能移転室」の経緯を知るメンバーには、自分たちが閑職に回された、島流しにあったという被害者意識しかない。そんな不満からチームが発足していく。チーム形成そのものが最初から試練である。ここからの出発という点、村津の対応が実におもしろい。
 そのメンバーの一人に財務省から来た細川優美子が居る。森崎には親しい同僚である。このストーリーの展開の中では、森崎と行動を共にする機会が多く、また財務省の視点から、日本経済の状況、金融分野の状況を分析的に語り、森崎にも情報提供するという役割りを担っている。

 東京直下型地震を原因とする日本経済の危機状況を想定した前提で、その予測仮説の中で金融証券投資市場において、利益をむさぼろうとする諸組織がうごめき始める。直下型地震が発生したら、日本経済がどうなるか、まさにリアリティを感じさせるシュミレーションが描かれて行く。それが、日増しに発生してくる東京都下での地震とその発生による様々な一時的破綻やトラブル、復旧対応の遅さなどが描き出されながら、ミクロとマクロの状況、情勢が交錯していく。このあたり、上掲の「南海トラフ巨大地震(M9.1)の被害想定」というデータの羅列だけでは、ピンとこない全体像がイメージとして描きやすくなっていく。まさに机上シュミレーションである。直下型地震を原因とするインフラストラクチャの危機シュミレーションと政治経済及び社会状況の総合的なシュミレーションである。クライシスへのイメージが形成でき、事の重大性がひしひしとリアルに思え始める。
 首都移転チームがどのような形で具体的な展開をしていくのか。短期間で首都移転が可能なのか。過去の遷都がどういう意味を持っていたのか。遷都の結果、どうなったのか。中期未来を視野においた直近未来での首都移転問題の具体的検討についての必然性は、考えさせられる点がある。東京一局集中は現実的にも限界に来ているし、問題有りという思いが湧いてくる。首都移転と道州制問題の関連性という興味深い視点でも、おもしろい示唆を得ることができた。
 村津がどのような構想を抱いていて、どのように用意周到に伏線を巡らしてきていたかということが、徐々に明らかになっていくというストーリー展開もおもしろい。

 日本の直近未来を、このフィクションを素材にして考えることは、そのリアリティから有益な思考実験になると思う。一読の価値がある。東京スカイツリーの盛況も経済効果としては良いことだろう。しかし、東京スカイツリーや東京オリンピック誘致成功などのような事象だけに、目を奪われ心を惚けている時代ではないだろう。
 東日本大震災の復興が未だ進まず、プレートが不気味に動いている事実。巨大地震発生の確率が高まることへの対応が、日本経済の脆弱性と密接にリンクしていることを、真に想起していく必要がある。そんな思いを抱かせる作品だった。

 ご一読ありがとうございます。



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関心を抱いた点をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
首都機能移転  :ウィキペディア
時代の変化とともに変わる首都機能移転  越澤 明氏 北海道大学 大学院 教授
主な首都機能移転論の経緯  :「社会経済生産性本部」
「首都機能移転論のバージョンアップを」 八幡 和郎氏 評論家  :「国土交通省」
首都機能移転問題と「東京遷都」佐々木 克氏 京都大学 教授 :「国土交通省」
首都機能移転は実現するか ─結果よりプロセス重視で─   荒田英知氏
  PHP研究本部ジャーナル 1996年6月発行
震災復興と首都機能のリスク分散  日本の復興Part2  木下祐輔・清谷康平氏
 
南関東直下型地震 :ウィキペディア
相模トラフ    :ウィキペディア
相模トラフ沿いの自信活動の長期評価(第二版)について 
  2014.4.25公表  地震調査研究推進本部
南海トラフ巨大地震  :ウィキペディア
南海トラフ地震の被害想定  :「朝日新聞DIGITAL」
「首都圏にも津波が!?-南海トラフ巨大地震の被害想定」:「NHK 首都圏防災ナビ」
南海トラフ地震対策  :「内閣府 防災情報のページ」
中央防災会議  防災対策推進検討会議   :「内閣府 防災情報のページ」
 首都直下型地震対策検討ワーキンググループ  
 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ

東京に【首都直下型地震】が来た時の恐怖のシナリオ :「NAVERまとめ」



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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『原発クライシス』   集英社文庫
『風をつかまえて』   NHK出版