遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『近江古代史への招待』 松浦俊和  京都新聞出版センター

2014-06-14 10:36:23 | レビュー
 ここ数年、滋賀県の史跡探訪を繰り返すうちに、近江古代史に少しずつ興味が深まってきている。それでこのタイトルにまず関心を抱くとともに、表紙の土偶が初見だったので一層興味を惹かれた。こんな土偶のことは全く知らなかったから。
 平成22年(2010)の2月、湖東の東近江市永源寺相谷(あいだに)町(旧神崎郡永源寺町)に広がる相谷熊原遺跡の発掘調査で出土したものだという。縄文時代の竪穴建物跡から発見された土偶。何と高さ3cmあまりで重さ14.6gのかわいらしい、ふっくらとした作りの土偶なのだ。「放射性炭素年代測定法」での分析結果も、縄文時代草創期(1万3000年余り前)と評価されたという。それと併せて、自立式の立体的な作りであることも驚きだったとのこと。滋賀県つまり近江は発掘調査が進めば、ますますおもしろくなりそうな地域だ。

 古代史の資料となると、どうしても学術用語が増えその領域の知識がない素人には理解しづらい。ある程度慣れていくと抵抗感が少なくなるけれど。この本は・・・と思いながら読み始めたら、結構読みやすく、カラー写真が一つのセクションで必ず数枚掲載されているのでモノクロ写真と比べたら同じ考古学的遺物であっても目を引く程度が違い、文字説明だけの堅さが一層低減される。
 
 本書が読みやすく、わかりやすい文章で書かれていて、一気に通読できるのにはいくつか理由がある。
 第1は、本書が京都新聞滋賀版に、週1回の連載で近江の古代史を紹介するという目的で書かれたものであることによる。2009年4月からの1年間51回の連載をまとめた本である。静かな古代史ブームが継続し、発掘調査現場の説明会には多くの人が集まる状況が出てきているけれど、それでも新聞購読者数からすれば、一握りの人々だろう。一般読者が読みやすく感じる工夫を加えていかなければ、連載が成り立たないはず。読者の反響がやはり連載の後押しをしていたのではないか。

 第2は、「古代史への招待」という目的に沿った結果だろうが、本書の構成が古代史通史の概観という展開になっているので、近江という地域を時間軸で確認しながらそのイメージを膨らませ、重層的に理解を積み上げ、広げ、様々な関連性を見いだしていけるからだろう。
 本書の構成はこんな章立てになっている。
 第1章 琵琶湖の湖底遺跡に挑む
  琵琶湖の漁師の網に掛り多く土器が引き揚げられたことから始まった葛籠尾崎湖底遺跡の発見を、地元出身で水中考古学の普及推進に尽力した小江慶雄(おえよしお)氏との関わりの中で紹介している。そして、それを現在の滋賀県立大学による最新技術での継続的な調査研究の紹介並びに、新たな発見事例へと展開させていく。このあたり、一般読者には過去の話ではなく、現在の身近な話につなげているので、興味を引くことになる。
 第2章 縄文-湖辺の縄文人のくらし
  縄文時代における気候の温暖化がなぜわかるのか? 近江八景の一つに「粟津青嵐」その粟津湖底遺跡の発見を材料に、貝塚、ムラの共同作業でのゴミ捨て場から何がわかるか。捨てられていたその遺物(植物、動物など)から、当時の気候がわかるのだという展開がおもしろい。なるほど・・・・である。たかがゴミ! ではないのだ。たとえば貝殻の断面に残る成長線を分析すれば、どんな水温状態で採集され、捨てられたのかがわかるそうな。また、この遺跡から成人の頭骨-20歳前後の女性?-や淡水真珠が6個出土したいう。滋賀県下の各地遺跡から丸木舟が30例あまり出土しているようである。それも「スマート型」「がっしり型」など数種あり、大半がスゴ材だがヤマザクラなどもあるとか。
  丸木舟を実際に復元し、1990年に湖上での航行実験をしたそうだ。こういうことがあると、古代が現代に結びつきおもしろい。その結果は? 本書p35-36をご参照!
 この章のp414-42に冒頭の土偶が出てくるのである。もう一つ、p39に掲載の「筑摩佃遺跡出土の土偶」もおもしろい。これは河童型土偶と呼ばれているそうだ。東近江市正楽寺遺跡で発見された土面片からの復元されたマスク(p44)もおもしろい。どんなシーンでどのように使ったのか? 想像の翼が羽ばたく。これはすべて私には初見だったので、一層関心を抱く。
 第3章 弥生-争いと祭り-
 弥生時代に入ると、少し予備知識のある局面もあり、興味深く読めた。断片的知識を統合し、総合化していく形でこの章を読み進められて、大いに参考になった。関西圏で近江が重要な役割を担うベースができつつあったことが納得できる。次ぎの項目が写真を提示しながら順次紹介されていく。
 巨大環濠集落の出現(守山市の下之郷遺跡、伊勢遺跡)
 ココヤシ人面容器:熱帯アジア産椰子の実を利用した容器がなぜ湖東に?
 形状・大小様々な木偶の出土-形代、墓の祭りのあり様。烏丸崎遺跡・湯ノ部遺跡他
 木製琴の発見:守山市服部遺跡出土の木製琴で具体的に解説。これ復元されている!
 24個の銅鐸(大岩山で)の大発見。国内最大銅鐸あり。下釣遺跡からは最小銅鐸!
今後、何が出てくるか? 
 第4章 弥生から古墳へ -前方後円墳の時代-
 近江の最初の古墳はどれか? から始まり、どこでどういう古墳が発掘調査され、何が出てきているかが平易に写真入りで解説されている。
 東近江市と蒲生郡竜王町との境にある雪野山古墳。名前だけは聞き知っていたが、そこから発見された5枚の銅鏡が重要な意味を持っていそうだ。今後の研究に期待したいところ。また、何といってもやはり、高島市の鴨稲荷山古墳を始めとする古墳群の説明が圧巻である。継体天皇のふるさと・高島のことが簡潔に説明されている。
 また近江からは様々な形の形象埴輪が出土しているようだ。全体像がつかめて興味深い。特に栗東市新開4号墳で発見された船形埴輪は驚きである。P90に写真が掲載されている。琵琶湖で実際に使われていたのか? ロマンが広がる。
 第5章 渡来人の活躍-渡来人と近江-
 6世紀に入った近江は渡来人の集住実態を的確に捉えていかないと、近江の位置づけが適切に理解できないようだ。巨大群集墳の存在実態、そこからの出土品、古代の文書史料から読み取れる氏族名称などから、渡来人の活躍が色濃く見えてくる。
 第6章 都、飛鳥から大津へ-大津京の時代-
 天智天皇の大津遷都の理由考察から始め、大津宮の発掘の最近事情までふれた上で、いくつか興味深いことに触れている。大津宮発掘と関わり、大津宮内裏正殿復元図が掲載されているので、一層イメージが湧きやすい。一度、崇福寺跡を訪れたことがあるが、塔跡から舎利容器が発見されていて、それが国宝に指定されているというのを、本書で知った。南滋賀廃寺から特異なサソリ紋瓦の出土、山ノ神遺跡(大津市一里山三丁目)からは巨大な鴟尾が出土しているということも、私には初見である。興味深い。鴟尾は2002年に発掘調査で見つかったという。そのころは考古学分野にあまり関心がなかったのだろう。マスメディアで見聞した記憶がない。天智天皇と蒲生野にも触れられていて、蒲生郡での新都造営の気持ちがあったのでは・・・・という見方をおもしろいと思う。
 第7章 壬申の乱-都、再び飛鳥へ-
 壬申の乱では田橋の戦いが最後になりました。この後、大津京の戦後処理がどうなったか。史料に明確に記されていない点を考古学的視点で考察した結果、リサイクル発想の適用が考えられているのをおもしろいと思う。田の唐橋発掘調査の要点が解説されいる。何度か田唐橋を訪れているので、これもまた興味深い。唐橋遺跡から無文銀銭が発見されているというのを初めて知った。富本銭との対比写真が興味深い。大友皇子の最後の地並びに御陵選定の経緯にも触れられている。義経伝説と同様に、大友皇子逃避伝説も各地にあるようだ。時代を隔てて同じ発想をするのは、これも日本文化の精神構造の一つだろうか。
 第8章 そして、奈良時代へ-近江の新たな展開-
 奈良時代になっての近江が違った形で重要な地域となる。近江国府の発掘調査の最新情報レベルでの総括がなされている。大津市神領の丘陵地に広がる近江国疔跡を歴史探訪しているので、改めて復習できる章だった。近江国疔跡と関連遺跡位置図(p168-169)と説明を読むと、近江の重要性が一層明瞭になってきて、一歩深入りしたくなる。
 第9章 聖武天皇の登場-東国巡幸と近江-
 聖武天皇の5年余に及ぶ東国巡幸において、近江の地が大きく関わっていたことが語られている。2002年に滋賀県立膳所高校の敷地内発掘調査で、「禾津頓宮(あわづのとんぐ)」跡が発見された。紫香楽宮については、甲賀市信楽町宮町にある宮町遺跡の発掘調査が進展するにつれ、ここが「紫香楽宮跡」の本命だろうと今考えられている。そのホットな要約解説がある。考古学は地道な発掘の継続調査の上に、物証を土台に緻密な論及が重ねられていく。謎が解明される一方で、新たな謎が見つかるというおもしろい世界。1993年の石山国分遺跡の発掘調査は、保良宮造営地との関連性に論及されている。膳所城下町遺跡は保良宮地との関連あるいは藤原仲麻呂の乱との関連が論議されているとか。
 おわりに-桓武天皇の即位-
 天智天皇の都「大津宮」が廃された後、その地は「古津」と称されるようになったという。天智天皇系の桓武天皇が即位し、平安京遷都を実行した翌月、あらためて滋賀郡の古津を大津と改称したという。それも延暦13年11月8日に詔を出すことによって。この書を読むまでこの点も全く意識していなかった。知るということはおもしろいことだ。著者は、桓武天皇の登場と平安京遷都が、近江国にとり、新しい時代の幕開けだとして、この古代史通観を締めくくっている。
 滋賀県下の名所旧跡を「観光」視点からさらに一歩「古代史」に足を踏み入れる導きとなる手軽な入門書である。近江国の歴史的な奥行きの深さに触れるテキストとして便利である。

 読みやすさの理由と思う第3点は、著者の経歴にあるように思う。
 本書巻末の著者略歴と「あとがき」を併読すると、著者は近年、大学の非常勤講師として活躍されているようだ。それ以前は、日本考古学を学んだ後、大津市教育委員会文化財保護課に入られ、文化財保護課長、そして大津市歴史博物館長という経歴の持ち主。文化財に関わる実務面からの仕事に長年携わってきた方のようだ。このことが、学者・研究者の姿勢とは少し異なるアプローチ、文体でわかりやすく書く感覚を養ってきたのではないか。文化財に親しんでもらうには・・・・という日頃の視点が、この連載の読みやすい書き方の根底にあるように思う。

 
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近江古代史に関連する情報源を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
滋賀県文化財学習シート  :「滋賀県」
 「史跡」分類の中に、茶臼山古墳・小茶臼山古墳、近江国庁跡附惣山遺跡・青江遺跡
 皇子山古墳、近江大津宮錦織遺跡、大岩山古墳群、稲荷山古墳他多数開示。pdfファイル
埋蔵文化財活用ブックレット :「滋賀県」
 ダウンロードできるブックレットの目次ページ
 史跡近江国府跡と中世関連の寺院、城跡などの資料を開示 pdfファイル
近江デジタル歴史街道  :「滋賀県立図書館」
遺跡現地説明会配布資料資料 :「滋賀県文化財協会」
 上御殿遺跡、吉身西遺跡、横山城遺跡、膳所城遺跡、金森西遺跡、堤ヶ谷遺跡
 塩津港遺跡、岩瀬谷古墳群、中沢遺跡、岡遺跡、長畑遺跡、天神畑遺跡
 など・・・他にも多数の配布資料を開示 pdfファイル
紀要 :「滋賀県文化財協会」
 第1号~第22号の紀要内容が開示されています。古代史関連論文満載。pdfファイル
 
湖底遺跡  琵琶湖のあらまし :「滋賀県」
琵琶湖湖底遺跡 :Youtube
粟津湖底遺跡の貝塚の断面剥ぎ取り 考古のおはなし :「京都国立博物館」
葛籠尾崎湖底遺跡  葛籠尾崎湖底遺跡跡資料館
葛籠尾崎湖底遺跡跡資料館
 「小江慶雄氏の足跡」というページもあります。

大津市歴史博物館  ホームページ
   大津の歴史事典  検索索引ページ(50音、分野、地区別)

 

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