遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『生存者ゼロ』  安生 正   宝島社

2014-06-20 23:51:58 | レビュー
 途方もない設定である。しかし、不可能なように見えるエリアサイズでの「生存者ゼロ」があり得ないことではないという迫力があり、実にリアル感に溢れている。
 その事象は、北海道・根室半島沖、厳寒の北太平洋、沖合21海里にある東亜石油の石油掘削プラットフォームTR102との連絡が途絶えたという事件から始まる。矢臼別演習場での日米合同雪中訓練を終えたばかりの廻田にTR102への出動命令がかかる。TR102からの応答がないためテロ攻撃の可能性が高いという理由による。レンジャー部隊を率いて廻田は現地に向かう。TR102での作戦時間として許されたのは30分。
 だが、廻田たちが現地で遭遇したのは、作業服があるからようやく人間とわかるくらいの肉塊。顔面の皮膚はすべて溶解し、解剖人形を思わせるように表情筋がどす黒くむき出しになった死体のみ。全員死亡。テロ攻撃ではなかった。全身が壊死したように痛んでいる。実見した廻田にとって、「これはウィルスや細菌によるものとしか思えない。二年前、ウガンダでの任務にそなえ、アフリカ地区の感染症については一通り学んだが、こんな症例は見たことがない」(p32)というものだった。何らかの感染症か?

 序章は全く違う土地から始まる。中部アフリカのガボン南西部ニャンガ州である。
 本作品のもう一人の主人公・富樫裕也が登場する。密林に田当てられた小屋を研究施設として、彼はここで新種の微生物を探す仕事をしている。日本の国立感染症研究所でのパートナーだった妻・由美子と3歳になる息子・祐介を伴いこの地に入植して半年経過していた。富樫は気鋭の感染症学者だが、ある事件のせいで日本を追われたのだ。だがこの地での新種微生物探索の作業として捕獲した猿から採血する際に、誤って由美子が注射針を自分の親指に刺してしまう。富樫が救援を求めるが、救助を待つ期間に妻が亡くなる。祐介を託された富樫はその地からやむなく脱出を謀る。その富樫は、結果的に息子・祐介もなくし、日本に帰国。筑波研究学園都市で己を苛みながら一研究者として生きている。
 その富樫が突然に護送される犯人かのごとく首相官邸からの指示で警官に引っ張られていくことになる。
 TR102の作業員の命を奪った原因究明を依頼されるのである。研究する場所は、国立感染症研究所村山庁舎。そこに居たのは鹿瀬細菌第一部長。かつてこの国立感染研究所で研究に関して確執のあった同僚だった。もと富樫の部屋だったところを鹿瀬は部長の執務室としておさまっている。富樫は3年ぶりに落ちぶれた感染学者としてみすぼらしく帰還してきたことになる。

 富樫は審議官に2つの条件を出し、原因究明の研究に着手する。
1.仕事を終えた暁には、ガボンの施設の再建と研究継続の支援と許可を得られること。
2.この研究所では自分の自由に一人で研究ができること。個室と机一つの準備。並びにBSL-4実験室1つの占有ができること。BSLとはバイオセキュリティ・レベルを意味する。
 富樫の研究がスタートすることは、鹿瀬細菌第一部長との関わりがいやでも再開されることになる。ふたたび過去の事件を踏まえた二人の確執が始まっていく。その中で富樫が事件とかかわった経緯も明らかになっていく。そして、鹿瀬の企みも・・・・。

 TR102の事件から30日後、廻田は感染症の疑いで入らされていた感染症の隔離病棟から解放される。優秀なスナイパーであった館山三等陸曹-TR102に出動した廻田の部下-は原隊復帰の前に宿泊先ホテルの最上階から飛び降り自殺を図っていた。一命を取り留めた館山を廻田は見舞う。館山の富士山を見たいという希望を叶えてやるために、廻田は館山を病院の屋上に連れて上がってやる。喉の渇きを訴えた館山のために廻田が水を入手に離れた隙に、館山は再度自殺を試み、死んでしまう。廻田にとっては、TR102への出動命令に館山を加えたことが、館山の死に対する責任、原罪意識となっていく。
 廻田は第一線のテロ対策部隊長から市ヶ谷の中央情報隊に異動の辞令を受ける。

 TR102事件から9ヶ月後、北海道標津群の川北町で突然恐怖の事象が勃発する。川北駐在所から中標津警察署地域課に着信が入る。北沢巡査部長が取った電話口に聞こえたのは「・・・た、助けて。・・・・助けて!」悲鳴が絶叫に変わり、途切れる。
 生存者ゼロの事態の始まりだった。
 帯広の第5旅団の宿舎に、年明けの雪中訓練の計画作成のために滞在していた廻田は、緊急事態発生、標津町まで飛べとの緊急命令を受ける。川北町の中心部でへりから観察した状況は、廻田がTR102で出会った光景と交錯するものだった。TR102の生存者ゼロの再現である。
 沖合21海里の絶海のプラットフォームから、なぜこの川北町につながるのか?

 TR102への緊急出動を体験し、川北町の現場も知っている廻田は、今後の防疫体制確立のために、急遽調査の担当者の命令を受けることになる。そして、廻田は富樫との交点が出来ていく。
 パンデミックが発生したのか? TR102事件の分析研究の報告書はお粗末なままだった。未だ3月時点から何も進歩していないままである。
 廻田は現地の現場調査に目指すことから着手する。川北町に入る入口で、廻田は立ち入りを拒否されて憤慨しているスタイルのよい若い女性に出会う。祖母の安否を確認のために東京から戻ってきたのだという。立入禁止処置に憤っているのだ。廻田が名前を尋ねると弓削亜紀と名乗った。祖母の名前は弓削佳代ということをおざなりに聞いて、廻田は町の中心部に向かう。
 この弓削亜紀と廻田はその後一緒にこの事件の解明に取り組むことになるとは思いも及ばないことだった。

 翌年1月24日、道東の町を壊滅させたパンデミックが、今度は足寄町で発生したのだ。
 
 パンデミックの状況はなぜか、周期性をもって西に広がっていく。廻田はその周期性の気づき始める。
 研究に取り組んでいた富樫は、妻と子の死に苛まれコカインを常用するようになっていた。ある段階で、富樫は鹿瀬細菌第一部長の仕掛けた罠にはまり、麻薬中毒患者専用の施設に収容されることになっていた。
 鹿瀬の研究活動には何ら進展は見られない。廻田は富樫との直接接触することに進んで行く。そこにあの弓削亜紀が参画してくることになる。
 原因解明のためには、原点回帰が必須と判断し、再びTR102のプラットフォームに立つことになる。再調査からの出発。だがそこから原因究明が進展する。パンデミックの正体は思わぬ原因にあった。

 パンデミックは、TR102-川北町-足寄町-夕張・北見沢へと移動し、遂に札幌近郊に侵入する形に進展する。第7師団、第11師団、そして第5旅団の一部を札幌防衛のために投入する方針が実行に移されるのだが・・・・・ 第5章は息詰まる急展開の描写となる。読ませどころである。だが、このパンデミックの正体に対して、自衛隊は無力だった・・・。
 どういう結末となるかが、楽しめる作品だ。奇抜なようで、すごく説得力がある。実におもしろい結末である。
 
 もう一つ興味深いのは、コカイン中毒者になっている富樫が口にする幻影的な神との出会いからの言葉である。「パウロの黙示録」その御使として審判する側に選ばれた者、「そこで選ばれし者は試される」という思いである。富樫は廻田に5つの鉢の予言的言辞を語る。この5つの鉢がある意味で、この作品の展開のコマ回しのような役割りを担っている。

 この作品の根底にある主張を最後に引用しておこう。多分、これが少なくともその一つだと思う一節だ。
「人を想う心、人を気遣う心、それこそがこの難局に立ち向かう拠り所だ。どんな武器も、どんな軍隊も、強く折れない心に勝るものはない、廻田もそうありたいと願う」(p295)

 本書には細菌学や地質学に関連した専門用語が噴出する。その意味は横に置いておき、用語については字面を読み飛ばすだけで読んでも十分楽しめる。これらの専門用語は本書に緊迫感を与える形になっている。勿論、専門用語の意味を深く理解した上で読むならば、本作品の奥行きが一層深くなるのかもしれないけれど。私はそこまでは読み込んではいない。まあ、多少は調べてみたが・・・・。

 終章の末尾は、廻田が富樫のノートの最後の頁を読むシーンで終わる。
 --これこそが人類の運命を決する。下弦の刻印の意味を知るべきだ--
この「下弦の刻印」・・・・何なのか? 本作品には続編が予定されているのではないか・・・・そんな予感を抱く最後のシーンである。
 
 
 ご一読ありがとうございます。


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本作品に出てくる用語とその関連についてネット検索した結果を一覧にしておきたい。

表情筋 :「Hand-clap」
膜様落屑 ← これが膜様落屑です :「Dr.たけるの小児科メモ(帰国編?)」
連鎖球菌 :ウィキペディア
カポジ肉腫 :ウィキペディア
カポジ肉腫について :「国立感染症研究所 感染病理部」
エボラ出血熱 :「国立感染症研究所」
ブルーリ潰瘍 :「国立感染症研究所」
コンゴ出血熱 → クリミア・コンゴ出血熱  :「国立感染症研究所」
ラッサ熱  :「国立感染症研究所」
細菌の種類(好気性細菌と嫌気性細菌、細胞壁による分類と形状による分類)
  :「カラダの教科書」 
芽胞体 ← 芽胞  :ウィキペディア
炭疽菌   :ウィキペディア
バシラス属  :ウィキペディア
グラム陽性菌  微生物学講義録  吉倉 廣 氏
膿痂疹 →  伝染性膿痂疹 <皮膚の病気> :「家庭の医学」
セレネース  :「goo辞書」
古生代  :ウィキペディア
ペルム紀 :ウィキペディア
ベンド紀 → エディアカラン  :ウィキペディア
三葉虫 :ウィキペディア
アンモナイト  :ウィキペディア
黄泉津大神  世界大百科事典内の黄泉津大神の言及 :「コトバンク」
イザナミ  :ウィキペディア


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