遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『江戸っ子は虫歯しらず? 江戸文化絵解き帳』 石川英輔  講談社

2014-04-16 00:49:37 | レビュー
 タイトルに目がとまり、おもしろそう・・・副題が「江戸文化絵解き帳」という。中をペラペラと眺めると、絵入りで数が多い。なるほど絵をベースにした江戸文化の雑学編的な説明か、気楽に江戸文化に触れるのには便利そう・・・・と、読んでみる気になった。
 同種本として、『江戸吉原図聚』(三谷一馬著・中公文庫)というのが手許にある。が、これは江戸新吉原という特異文化の絵解き本である。一方本書は、当時の全般的な江戸都市文化への入門書である。

 最後に「あとがき」を読んで、おもしろいタイトルの理由がわかった。本書は月刊誌『歯医者さんの待合室』に「大江戸拡大鏡」として連載(2004年1月号~2006年12月号)されたものがもとになっていたのだ。「江戸時代のご先祖がどういう生活をしていたか」を江戸時代の絵師の絵を当時の様々な出版物から抽出して、拡大鏡で眺めてみるように、わかりやすく絵解き記事にされたものだった。ということで、本書には259点の図版(と、記されている。カウントはしていない)が紹介されている。江戸文化だから江戸だけにではなく、当時の関西圏での刊行本も江戸の文化を説明する資料として使われていて、地域限定でなく江戸時代の日本の文化背景解説となっている。
 まずは、どんな出版物からの絵が利用されているのか、列挙してみよう。こういう解説本でなければ、専門的な研究者と好事家以外は、滅多に目にすることも無いような当時の出版物のタイトルが多く出てくる。
 『都名所図会』『摂津名所図会』『江戸名所図会』『淀川両岸一覧』『熱海温泉図彙』『江戸名所花暦』『東都歳時記』『名所江戸土産』『絵本三都名所一覧』『神事行灯』『江戸府内風俗往来』『庭訓往来』『俄紫田舎源氏』『教草女房形気』『北雪美談時代鏡』『薄俤幻日記』『花壇朝顔通』『都鄙秋興』『五十三次北斎道中画譜』『北斎漫画』『素人包丁』『和漢三才図会』『伊勢暦』『拳会角力図会』『女大学操箱』という具合である。引用図版の残りの出典は末尾にまとめておこう。
 「まえがき」に「私は、三十年にわたっって挿絵の多い本を集めてきたので、その絵を使って昔の生活のさまざまな面を見ていただこうと思っている。時代小説が好きな方や、江戸時代の人々の暮らしぶりに関心がある方なら十分に楽しんでくださるだろう」という記されている。この点、期待を裏切られることはなかった。

 本書は6章構成になっている。1章「季節の楽しみ」、2章「商売いろいろ」、3章「飲んで治して」、4章「命あるもの?」、5章「よく遊びよく学ぶ」、6章「飾る装う」、7章「旅からたびへ」である。この章立てでどんな切り口で説明されているかほぼおわかりいただけるだろう。
 本書表紙の絵は、第3章の「16 昔の歯みがき粉」に載っている絵である。朝の歯みがきの典型的スタイルがこれだとか。右手に持つのは房楊枝。左足許に歯みがき粉の袋。「江戸の町で愛用者が多かったのは、現在の千葉県館山市付近で産した『房州砂』を原料にした歯みがき剤」(p116)だったそうで、天然炭酸カルシウムの微粒子を分離して歯みがき粉の基剤にしていたそうな。「乾かした砂に竜脳、丁字、白檀などの香料で香りをつけた歯みがきを紙の袋に入れて売った」とか。1袋が4文。当時の一人前の大工の日当が500~600文だったという。
 食事後に楊枝をふだん使うことがあっても、その材料が何かを考えたことがない。本書を読んでなるほど! その字のとおりだったのだ。「楊柳の枝」つまり「ネコヤナギ(=カワヤナギ)」だそうだ。軟らかいヤナギ科の植物。歯をみがくのにその材料は桃の枝でもいいのだとか。
 房楊枝は一方の端がブラシ状になっている。江戸の後期には、美女が店頭で槌で叩いて砕いて製造販売している絵が多く残されているという。美女が叩いて作っているのを、男たちが買いに行くという構図である。いつの世も男は美人に引かれるのか・・・・。「焚きつけにするほど楊枝浅黄(あさぎ)買い」という川柳があるという。「浅黄」というのは参勤交代で江戸に出てきている田舎の下級武士をさす。(浅黄は彼らの着ている着物の裏の色のこと。)おもしろい。
 この16項の末尾に著者は記す。「本当に、『江戸っ子は虫歯しらず』になったかどうかについては、保証の限りではない!」と。この落ちもおもしろい。

 本書は江戸時代の庶民の実態を残された図版から帰納的に解き明かしていく。絵からこういう学び方もあるのか・・・というのが、新鮮だった。漠然と江戸の絵師がこんな絵を描いていたのか・・・と眺めるだけにとどめずに、一歩着眼点を持って数多の絵を渉猟すれば、江戸庶民の生活が生き生きと見えてくる! な~るほど、である。
 絵解きをしながら、著者は当時の景色が現在どう変化したか、また江戸と現在の生活パターンの対比もしている。ところどころに皮肉を交えながら・・・・その斜めの視点にも、再考すべきことがあり、参考になる。温故知新がここにもある。

 絵解きから、初めて知ったこと、面白い点、興味深い点をピックアップして混在で列挙し、ご紹介しておこう。より具体的には、本書の絵解きを直に楽しみ、現代人の行動の根っ子がやはり江戸文化の名残があることに気づくのもおもしろいと思う。時代が替わっても、同じことを・・・である。カギ括弧での引用以外は要約したものである。

*墨堤と王子の飛鳥山の桜は8代将軍吉宗が植樹させたもの。上野山での歌舞音曲・肉食禁止の代替として、庶民が気楽に花見ができるように、だったそうだ。 p14-15
*東京にある「川開き」の行事はもともと川施餓鬼というお盆の行事で宗教的な意味が濃かった。「『川開き』は陰暦5月28日から8月28日までの川の納涼期間、『川を開いている期間』の意味だった。」 p22
*花合わせの機会:厳しい身分制度のある社会だったが、一方、趣味の道では身分を越えた交流が行われていたのも事実である。 p34~38
*江戸には、墨引内(町奉行の管轄域)、朱引内(実質的な江戸の範囲)の2種類の境界があった。広い方の朱引内は、それでも現東京23区の面積の約27%でしかない。p46-47
*江戸の茶店もいろいろ。「水茶屋」は「純喫茶」相当。「料理茶屋(=色茶屋)」は料亭であり、時には芸者や遊女を呼んで遊興させる店。「掛茶屋(=腰掛茶屋)」は葦簀張りの茶店で、簡易純喫茶。せいぜい団子、餅ていど。「立場茶屋」は給仕の女性が居る軽食喫茶の類い。 p54~67
*江戸時代の買い物はほとんど「振り売り」の行商人から行っていた。食べ物はほぼすべて行商人から買えた。 p68~88
*「江戸時代の日本は、当時の世界でも出版大国だった」(p89)。貸本屋全盛の時代。大名も貸本を利用。貸本屋が本を背負って町中を歩き、流通させた。
*「江戸の就学率は農村部まで含めた江戸府内で、1850年前後の嘉永年間には85%に達していた。江戸市中では、ほぼ100%」だった。寺子屋での手習いは1対1の個別授業方式。寺子屋の教科書は各種「往来物」本を利用したようだ。 p89~100、p162~178
*江戸の医者は医師免許なし。医者も徒弟修業の経験主義。本道医(=内科医)の診察は問診・脈診・腹診と生薬の配合処方。「本道医は、僧侶のように頭を剃り上げているのが普通のスタイルだった。」 p102~106
*江戸は犬だらけの都市だった。伊勢参りをした犬がいたという。 p132~145
*「今のわれわれが江戸らしく感じるファッションや風習などができ上がっていったのは、文化文政期以降、つまり1800年代初頭から幕末期にかけてだ。江戸時代は多様性の時代だったから髪形も千変万化で、昔の風俗画をこまかく見ると実にさまざまな形がある。」 p211
*江戸時代の女性の絵に「お太鼓」結びの帯の絵は見当たらないとか。「通説によると、文化年間に江戸の亀戸天神の太鼓橋の渡り初めの時、深川の芸者衆いわゆる辰巳芸者の姐さんたちが工夫して結んだ野が今野お太鼓結びだそうだ。」  p225
*江戸時代の婚姻は「婚礼」と言った。「神前結婚を日本の伝統的な結婚式だと思っている人が多いが、こういう形式の結婚式が始まったのは明治33年(1900)からだ」p234 
*嫁入りのことを「輿入れ(こしいれ)」というのは、身分の高い女性が「輿(こし)」に乗って嫁入りしたから。形式的ながら武装した武士が警護して行った。 p235
*江戸慈大は、21世紀の日本なみに離婚が多かった、という。 p237
*江戸時代の駕籠は「先棒」と「後棒」の二人で舁く。舁く相手を「棒組」あるいは「相棒」という。刑事物語でつかう「相棒」の由来はここに。「お先棒をかつぐ」というのもこの駕籠の用語から。当時の駕籠賃は江戸市中1里(約4km)につき400文くらい。上記の大工の日当と対比してみるとよい。  p252~253
*宿駅で待機している馬(=駄賃馬)には公定料金が決められていた。 p254~255
*駄賃馬には本荷・乗掛下・から尻という利用区分で料金が異なった。「三宝荒神」という乗り方もあったとか。 p255~256
*江戸・京都間の徒歩旅行の必要平均日数は14泊15日くらいで、1両あれば往復できた。一人前の大工の月収が2両2分(2.5両)くらいの時代。旅籠には「浪花講」というしくみが工夫されたようだ。今の「JTB指定旅館」「国際観光旅館」表示の先祖。p259~262
*温泉場。「どうやら昔は混浴が普通だったようだ。」 p267

 こういう江戸文化の実情を、豊富な絵を提示して具体的に解き明かしていく語り口も平易で楽しく読める。こちらが注意深く観察すると、絵は文字で書き記せない様々な情報を開示してくれている。まさに「百聞は一見に如かず」、本書は絵解きを深める良きガイドである。
 江戸文化、一歩踏み込めば、好奇心をかきたてる世界が広がっている。

[引用図版のその他出典一覧]
『大和名所図会』『善光寺名所図会』『東海道名所図会』『伊勢参宮名所図会』『花洛名勝図会』『宇治川両岸一覧』『絵本吾妻抉』『江戸大節用』『江戸名所画本』『風俗金魚伝』『仮名保古一休草紙』『誠忠義臣略伝』『黄金水大尽盃』『咲替蕣(むくげ)日記』『商売往来』『百姓往来』『番匠往来』『江戸往来』『四季の花』『春色辰巳園』『三世相縁の諸車』『春色英対談語』『昔日新話』『春告鳥』『青楼之昼』『絵本江戸紫』『絵本満都鑑』『百人女郎品定』『絵本花葛蘿』『雪の朝』『朝皃水鏡』『人間万事虚誕計』『柳川画帖』『江戸東京風俗野史』『四時交加』『倶客竅学問』『料理通』『富嶽百景』『日本その日その日』『塵劫記』『拳独稽古』『諸国道中袖鏡』

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図版のソースをインターネットで得られるか? 試してみた結果を一覧にしておきたい。リサーチすればもっと発見できるだろう。本書を読んで、あなたもチャレンジしてみてください。

『花洛名勝図会』 東山之部. 巻1-4 :「古典籍総合データベース」
 祇園林夜桜  東山之部 一 49コマ
川崎 桜宮 『淀川両岸一覧』 :「淀川資料館」
『摂津名所図会』 [正,続篇] :「古典籍総合データベース」
 生田の花見 谷田部郡 上 9冊目 10コマ
『大和名所図会』 :「神奈川大学」
   吉野山の花見図は 34/52コマ
『東都歳時記』巻之1-4,附録  :「古典籍総合データベース」
   墨田川堤の花見図 2冊目 12コマ
『江戸名所図会』 :「絵双紙屋」
『絵本江戸土産』 :「古典籍閲覧ポータルデーターベース」
   墨田堤花盛 掛茶屋 
    諏訪台の掛茶屋 歌川広重画
『江戸府内 絵本風俗往来』上編 (復刻版):「近代デジタルライブラリー」
   伊勢参りの犬図 32/98コマ
『江戸府内 絵本風俗往来』中編 (復刻版):「近代デジタルライブラリー」
   裏長屋の夕涼み(35/133コマ)・朝顔(37/133コマ)
   共同で飼う犬の小屋作り図(67/133コマ)
 

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