遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎』 NHK大阪「今城塚古墳」プロジェクト NHK出版

2013-08-12 21:40:54 | レビュー
         

 昨年から今年にかけて、史跡探訪で滋賀県高島市に所在の鴨稲荷山古墳や田中王塚古墳(被葬者は、継体天皇の父、彦主人王と伝えられる)を訪れる機会を得た。それ以来、謎の多いと言われる継体天皇に関心を抱き始めた。そして、この本が出版されていることを知った。2004年7月出版の本であるので、その後の考古学その他関連分野での研究はさらに進展していることだろう。しかし、関心を抱き始めた者にとっては入門書として読みやすい本である。

 その当時は関心がなかったので知らなかったのだが、この本は平成15年8月から始まったNHKスペシャル『史上初 大王稜・巨大はにわ群発掘』という番組をベースにその内容を書籍化したものである。そのため執筆者はNHK大阪「今城塚古墳」プロジェクトとなっている。つまり、大阪府高槻市郡家新町という今は住宅地となった地域に所在する今城塚古墳の発掘調査の過程、そこから発掘発見されたものを見つめ、検証推論していくと、ここが継体天皇の被葬地なのではないかというわけなのだ。そう断定できないところにまだまだ研究の余地を残す。結論は本書出版時点で、未来に託されている。夢がある。

 天皇陵や陵墓参考地に指定されると、宮内庁所管となり発掘調査はできない。最近少しずつ学者研究者の地道な要請努力の結果、立ち入り現地見聞調査が認められてきているようだがそれはまあ現段階では例外的な措置である。
 ではなぜ、この今城塚古墳は発掘調査が継続してなされてきているのか? 本書で知ったのだが、大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳が継体天皇陵と比定されて宮内庁の管理する陵墓となったので、今城塚古墳は宮内庁の管理外になり御陵として扱われなかったからなのだ。
 昭和30年代後半頃の名神高速道路の開通とともに、高槻市の宅地化が急速に進展するなかでこの古墳も手をこまねいていれば消滅するところだったようだ。だが、高槻市教育委員会の歴代の担当者を始め様々の人々の協力奮闘で、この今城塚古墳区域の土地が高槻市に順次買収され保存する努力が累積されてきたという。そして本書出版時点でいえば、平成15年までに7次に及ぶ調査が行われている。
 
 本書はこの継続的に累積されてきた発掘調査の成果を踏まえて、発掘された埴輪や発掘現場の状況、当古墳の築造推定年代から、ここが謎多い継体天皇の墓だろうという仮説に至るのだ。もちろんそれには周辺の古墳調査並びにこれまでの考古学調査研究からの成果・情報が有機的に関連づけられ、分析と考察が行われている。
 今までの規模確認調査から復元された今城塚古墳の形は、内濠・内堤・外濠という二重の濠に囲まれた前方後円墳である。全長350m、6世紀前半に作られた当時としては全国最大級の規模を誇る巨大古墳なのだ。現在は古墳公園として維持管理されているようだ。そして、この古墳を特徴づけている巨大はにわ群が、埴輪祭祀場と推定される場所に、現在は当時の様子を実物大で復元展示されているという。一見の価値がありそうである。
 本書では発掘された埴輪の断片や部分などの発見経緯、その復元、発見場所の形状からの現地復元推定などを丹念に追跡していく。埴輪祭祀場の復元イメージを、番組提供のためのビジュアル化としてCG化していった経緯が語られている。
 その復元にあたって、諸研究者の見解が対比的に取り上げられ、検討を加えながら、番組制作者としての見解をまとめている。テレビ番組放映が土台になっているので、本書はドキュメントタッチであり、わかりやすい説明で記されていて、考古学についての素人向きである。

 本書の構成とその感想をご紹介しよう。
 第1章 今城塚古墳発掘調査
  規模確認調査が始まった経緯、これまでの数名の調査関係者のインタビュー内容で、今城塚古墳への導入パートである。

 第2章 破片をつなぎ合わせ、埴輪を復元する
  埴輪の断片から古代人の姿をどのように蘇らせることが可能なのかを述べ、CGによる埴輪復元の試みを語る。今城塚古墳では、異例なつくりの埴輪が発掘されているという。

 第3章 大王の宮殿発見
  平成12年、栃木県富士山古墳から日本最大の家形埴輪が発見されたのだが、なんとその翌年、この今城塚古墳から別の家形埴輪が発見された。こちらが日本最大の大きさだと判明したそうだ。千木を飾る高床の家形埴輪で上から下まで170cmという大きさ。
  この家形埴輪が伊勢神宮の建物とおどろくほどの共通点を持っていると水野正好氏(奈良大学教授)が解説する。魅力的な仮説だ。

 第4章 今塚古墳の主
  継体天皇とは日本書紀』編纂以降の「漢風諡号」であり、当時存在したのは大王だという。「継体大王」、より実体的には「男大迹王」(おほどのおう)である。男大迹王の異例な経歴、今城塚古墳埴輪群の異例な配置、この古墳に潜む革新性と保守性などを紹介し、継体をめぐる人々の墓との関連を語る。ここに前掲の鴨稲荷山古墳の名称も出てきている。継体という人物紹介になっている。

 第5章 二つの継体稜
  ここでは、なぜ継体稜が2つになっているのかの経緯が詳しく語られる。天皇陵の基準となる考えや考古学者の定説・ものさしがわかっておもしろい章である。一瀬和夫氏作成の大型古墳編年図は巨大古墳の時代差が一目瞭然で素人には参考になる。

 第6章 埴輪祭祀場のオールスターキャスト
  発掘された埴輪群像の復元形が具体的に紹介されていて、埴輪の種類の多さに驚かされる。復元埴輪の写真がたくさん載っていて楽しい章だ。

 第7章 「王宮」の人々
  今城塚古墳で発掘された人物像埴輪について個別に解説している。埴輪断片の丹念なつなぎ合わせ修復・復元により、巫女集団が再現され、巫女中の巫女の埴輪までも作られていたというのは、大変興味深い。巫女のいでたちは邪馬台国の伝統を引くものという仮説が語られる。あぐらをかく男たちの埴輪も出土しているようだ。埴輪の持つ情報量がどんどん時代を見えさせるおもしろさ・・・・。
 
 第8章 馬がやってきた世紀
  「牧野」という地名は、当時の倭国の支配者たちが組織的に馬を飼育させていた土地を物語るのだという。馬の飼育には塩が必要であり、それが径5cmくらいの製塩土器の大量出土でわかるそうな。土器が生活と歴史を裏付けるおもしろさ。馬から「短甲」と「挂甲」の違いに話が及ぶ。

 第9章 初めて発見された規則的配列
  柵型埴輪の発見と、各種埴輪断片・破片の発見位置などから、埴輪群全体が持つ規則的な配置が徐々に解明されていく。ここには謎解きのおもしろさある。そして、CGで復元した状態が次々に提示されていく。読んでいて楽しい章だ。

 第10章 埴輪の規則性は何を意味しているか
  埴輪群の示す規則性が何を意味するのか。学者により仮説の立て方が異なるようだ。なぜそう考えるのか、という論理的な考察が語られていき、論点の違いが明瞭になっていくプロセスが興味深く、おもしろい。
  埴輪群の規則性が、王宮の存在という場の枠組みを共通認識としながら、意味することは見解が分かれていく。「王権継承儀礼説」(水野正好氏)、支配者にとっての理想的な「場面の集合」であるという説((若狭徹氏)、王宮そのものの再現をこそ強調する説(白石太一郎氏)が語られていく。さらに、絵巻物のように時間帯の分割説も出てくる(町田章氏)。実に知的好奇心を刺激する。
  そしてCGによる古代王宮再現。

 第11章 三つの棺
  この今城塚古墳は13世紀に盗掘され盗掘犯がつかまったという記録があるという。現在、石室の存在は確認できていないそうであるが、3種類の石棺材が発見されているそうだ。3つの石棺の存在は何を語るのか。謎の多いこの古墳、整備され公園化されているようだが、少なくとも一度探訪してみたいと思っている。

 本書を読み、ますます謎多い継体天皇に関心が湧いてきた。

ご一読ありがとうございます。

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今城塚古墳関連でネット検索したものをまとめておきたい。

【Full HD 1080p】 いましろ大王の杜 継体天皇陵 今城塚古墳 埴輪  :YouTube

いましろ大王の杜 案内チラシ pdfファイル
インターネット歴史館 (高槻市)ホームページ
  史跡 今城塚古墳とは 
     古墳各部の整備方針(拡大図)
  高槻市立埋蔵文化財調査センター

今城塚古墳 :ウィキペディア


   インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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