老いて楽しく

余生を楽しむ

般若心経を書く

2014-09-07 09:00:22 | 日記
写         経

 今から20年程前になろうか、定年退職した頃、これからは24時間自由に使える時間だと
思うと嬉しくなった、だかその
半面仕事一途に生きた来た人間が暇を持て余す事は重々予想
された、定年退職後一ヶ月くらいは呑気に自由を楽
しみ、その後趣味か好きな事 或いはアル
バイトでもと思っていた。


 だが仕事一本槍で過ごして来たので、趣味も好きな事もない、元来不器用な性質あまり得
意な事などない、その内何
か見つかるだろうと焦らず構えた、或る朝新聞に写経の事が載っ
ていた、それ迄社則に縛られ仕事に追われ、対人関係に気を使い、長年体も神経もすり減ら
して来たので、写経でも遣って心を落ち着かせるのも良いかと、新聞がヒントになって、新聞を
読み終わって、朝の落ち着いた時間に写経を始めた。


 もう長い事毛筆など持った事がない上に、ミミズがのたくったような、金釘流の字しか書けな
い、人に見せる物でもなし、まして売り物ではないので、上手下手は抜きにして、自分が落ち
着いて心静かに写経ができ精神修養にれば良いと思い始めた。


 達人 名人となると「弘法 筆を選ばず」と言うが、金釘流の下手はつい選んでしまう、文具屋
へ行って墨 硯 筆は極細と細筆 写経用紙一式を買い込んでくる、結構いい値がした、良い道
具に高い筆 綺麗な字が書けない訳はないと取り組むが、何せ久しぶりの毛筆、一字一字てい
ねいに書いていると字に勢いがないので曲がったり歪んだり震えたり、一枚書き終えたものは、
字が大きかったり小さかったり、手本の一行が書き切れなかったりと、これを眺めた自分の落
胆ぶりを御想像下さい。


 それでも何日掛ったのか30枚程書き終えた頃、第2の職場に就職が決まり、体にも余裕が
なくなり、写経も数年中断した。

 平成17年頃に亦写経を遣って見たくなり再開する、一回目は一字一字を書くので精いっぱい、
枚数を重ねる内にお経の字句など次を追うようになり、写経の楽しさを感じるようになる、そう
なると一回目とは全く違った感じで写経する様になる、何冊目かの写経用紙を買った時、ふり
かなが付いている般若心経が印刷されていて読める様になった、別の欄には心経の解説文も
有り、般若心経をぐっと身近なものにしてくれた、そうなると写経も楽しくなり枚数も進んだ。


 お寺に依っては法事のときに経文を渡され、般若心経を唱和させられるお寺も有る、お坊さん
と一緒に般若心経を唱和できるのは嬉しい事である。

 お経をあげられる事で、唯法事に参加しているだけでなく、仏さんに拠り深く供養が出来た
様な気もする。


 写経を人に勧めはしないが、自分で遣って見て、気持ちが落ち着きゆとりを生じさせてくれる
ようだ、若い頃は血気にはやって、他人といさかいを起こす事も有ったが、年を取ったせいもあ
るが、人との争いは起こさず、
何事も受け入れられる心を持てた様な気がする。

 此の写経を遣ったお陰で、非常に楽しい職業を勧められ働いた事が有る、何れ近々に此のブ
ログで紹介できると思う。

下は手本の般若心経ー1

 
般若心経手本ー2
 
般若心経解説文
 
般若心経の読み方
 

平成18年頃書いた般若心経 親類 知人の葬儀の折お棺の中に般若心経を入れて上げて
喜ばれ、少しでも供養が出来たと感じた。

 

硯 墨 筆立て 各種筆 筆に限らず道具類を見ると直ぐ買いたくなる、筆をこれだけ
買っても字が旨くなる訳でもなし、
その辺が凡人たる所以か。細筆で書いたら非常に
弱々しい字になってしまった

 
写経を進めていくうちに、文具屋へ行くと筆が欲しくなり買い込んでしまう、1本¥2,000以上
するものばかり、達人は筆を選ばないがそこは凡人の浅ましさ、良い筆なら良い字が書けると
思いこんでしまう、結果としては上記のような字である。
 

 真ん中の瓶は脱脂綿を丸めて入れてあり、墨汁をたっぷり吸わせてある、塔場の様な木へ
文字を書く時は大量に墨を使うので硯からでは間に合わない、そんな時にこの墨壺が大い
に役立つ。

 
 
 
 
 
 
 

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