1月13日寒中とはいえ移動性高気圧に覆われ、風もなく穏やかな柔らかい日差しを浴びながら、旧東海道の七福神巡りをして、好き年を願ってきた、てくてく良く歩き、家に帰った時 歩数計は19,876歩を差していた。今年も健康で良い年になるだろう。 |
鏡 開 き
1月11日は「鏡開き」の日である、以前は講道館や武術鍛錬道
場などが、大きな鏡餅を飾り、1月11日には鏡開きと云って、
お供えを切り汁粉にして皆で祝ったものである、近頃は新聞種に
もならぬほど廃れてしまった、最も近頃はお供えを飾る所も家庭も
少なくなった その風習も、少なくなったのだろう。
思い起こせば60数年前、我が家の両親が健在のころは、自家で
餅搗きをした、暮れの27日になると母親が、餅米2斗から2斗5升を
研いで4斗樽に浸しておく、翌朝5時頃から庭に竈を設置羽釜に3升
入り蒸篭を2段重ねにして蒸かす、6時頃には蒸け上がり搗き始める、
血気盛りの男兄弟4人交代で搗く、一番臼はお供えを20数個作る、こ
のお供え作りの手を抜くと平べったいだらしないお供えになってしまう、
お供えの底の部分に手のひらを上に向け、くるくるまわして、お供えの底
がすぼみ腰高に為り固まるまで回す、そうしないと父親の機嫌が悪い、
手を加えれば腰高の立派なお供えが完成する。
2番臼3番臼と白いのし餅を作り、あとは豆餅 海苔餅 瘤餅などを搗く
これは塩味を効かせて海鼠状に伸ばす、これも只海鼠状にしておいた
ら、べチャット平べったくなりだらしな海鼠餅になるこれも下の部分を手
で擦って底がすぼみ腰高になるまで形が崩れなくなるまで手を加える、
搗き手 手返しもおふくろに負担をかけぬよう交代でやる。
11時頃には2斗から2斗5升の餅は搗き終わる、臼を洗い かまどを整
理して火の始末、全て終わるのは昼過ぎになってしまう、餡コロ餅 き
なこ餅 からみ餅にして食べるのは自家で餅搗きの醍醐味である。
30日には餅切り作業がある、この餅切りも大変な作業になる、柔らか
くては包丁に粘って切れない、硬くなり過ぎると大変な力を要する、切る
タイミングが大切、餅切りをする時は大根を一本添えて置くと良い、包丁
がねばついたら大根をスッと切れば包丁のネバ付きが取れる、多分大根
が持つジアスターゼ消化促進材が包丁のネバ付きを取ってくれるのだ
ろう。
昔から24日 29日 大晦日には餅搗きとお飾りはしない、24と29
は死持ち 苦持ちに繋がり大晦日は一夜餅 一夜飾りと云い忌み嫌
われる、その理由は商人が晦日に集金して餅米お飾りを買い、
夜餅搗きをしお飾りを飾る、貧乏人のすることと云われ、
忌み嫌われたが、今は店の切り餅 配達される餅などいつ搗いた
ものか分らず、死持ち 苦持ち 一夜飾りなども死語になりつつある。
我が家も良く使う部屋にはお供えを飾る、このお供えは毎年霰に切り2
ヶ月程干す、乾燥が少ないと、揚げた時芯が残り食べられたもので
はない、根気よく芯まで干し上げよう。
松の内も終わり取り下げたお供え
大小4個
餅を切るのは洋風包丁より古風な和包丁(菜っ切り包丁が)が良い
切り上がった霰 家内が管理して2ヶ月くらい干すだろう、冬炬燵で揚げた霰も良いものだ