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先週近年希に見る大雪と思ったが、一週間後には各地で記録的大雪になった、甲府114㎝ 秩父98㎝ 熊谷68㎝は新記録、我が家の庭でも、前回の残雪のない所で計ったが、50㎝の物差しは簡単に潜ってしまった、スケールで計った処、68㎝あった。 前回 まれにみる大雪と投稿したが、前回投稿写真と今回の写真を比べて頂ければわかるが、雪の深さは前回の比ではない、御面倒でも前回投稿の写真と比べて見てください。 |
スケールの目盛りは68㎝を示している |
門柱の上で65㎝ 犬小屋の高さが1m近く有るがもう少しで埋まりそう |
雪掻きしている最中、ドーンという音と共に、前の家の車庫が一瞬にして潰れた |
ちょっと幻想的な雪景色が自然に撮れた、何の事はない寒さでレンズの回りが曇っただけの話 |
小生昭和36年正月に所沢に移り住み53年を経た、だが今回の積雪量は初めてである、
43年から51年迄所沢を離れた事が有る、その間は分からぬが、51年に現在地に家を建て、
既に38年を経ている、その間雪の多い年も有ったが、大体大雪と言っても20センチ少々の積雪、
年齢が若かったせいもあるが、雪掻きと言っても左程の労力ではなかった、
今回 列島南岸を低気圧が通過、1月末から3月初めに掛け、列島南岸を低気圧が通過する時は、
関東に雪を齎す気圧配置、今回は北からの1級寒波と急速に発達した爆弾低気圧が重なり、
太平洋岸に大雪を齎した、8日未明3時半に新聞を取りに行った時は、庭がうっすら白くなっていた、
8日は終日雪が降り続き 、午前中は小雪だったが、午後は本降りの雪、みる見る雪は積もる、
8日深更まで降り続き大変な積雪量、9日4時過ぎ新聞を取りにポスト迄長靴を履いても長靴に雪が入る、
門柱の上37㎝ 庭の或る部分は40㎝と近年希に見る大雪。
新聞を読み残し7時から雪掻きを始める、我が家の敷地が道路に面する分の半分を雪掻きする、
これで道を歩く人が滑るのを心配せずに歩ける、これをどの家庭も実行してくれる事が社会奉仕と思う、
だが最近は自分の家の前も雪掻きしない人が増えた、矍鑠とした親父、若い息子がいても遣らない、
住民お互い助け合う気持ちのない人が多くなり、翌朝それが凍ってしまうと暫く解けず、
滑って転倒する人が多い雪掻きをして歩き易い様、雪掻きをして道を確保する人は50%くらい、
人を想う心の無い、情けない社会になってしまった。
後は敷地内の玄関からポストが有る門までと、他に玄関から車庫までとを掻く
路を確保するのが、雪降りの後の必須行事、今回の大雪で7時から10時迄3時間を要した、
もう自分の体力の限界、もう大雪は降ってほしくない。
大雪と言えば思い出が有る、昭和20年3月10日の帝都大空襲の前、2月だった、
直ぐ上の兄が学友3人と静岡へ蜜柑を買いに行った、当日は雪が降るくらいで曇天、
B29も曇天では目標が見えず空襲はなかったが、どか雪が降って、都内で50㎝を越す大雪、
列車が遅れて、夜中になっても兄が帰宅せず、父母が大変心配したが、
何とか上野駅に辿り着き、上野から駒込千駄木町の家まで歩いて、雪達磨の様になって、
明け方蜜柑を大きなリュック一杯背負って帰って来た、此の時の積雪は小生の腰下迄有った。