去る5月20日さいたま市にある「埼玉県立歴史と民族の博物館」と「鉄道博物館」を訪れた。 |
この立派な塔婆群がすべてレプリカとは、興味半減。右端の大きい塔婆は日本1大きい |
左の写真は博物館に展示されている、日本一の青石板碑のレプリカ、右の写真は本物で、秩父 野上に実在する, 高さ5,37m |
出土した土器が陳列されている |
時代は下って青銅器などが使われるようになる、この頃銅鐸が多く作られた |
埼玉歴史と民族博物館にある青石板碑はレプリカだが、東村山市にある「徳蔵寺」には、埼玉県各地から集められた青石板碑の本物が数多く展示されている。 青石板碑とは、現在お墓に木製の卒塔婆を立てるが、戦国時代から戦乱が納まるまで、関東一円で立てられ、、関東一円に青石板碑が存在する理由は、秩父から産出される、「緑泥片岩」が板状に割り易く、加工もし易い為に普及した、今も古い由緒あるお寺には、近隣の板碑を集めて陳列されている、人口増加に伴い開拓され小川の橋などに利用され消えてしまった板碑も多くある。 |
東村山市にある「徳蔵寺」 この境内に板碑収納殿が有る |
国指定重文元弘板碑展示館 |
重要文化財 元弘の板碑、元弘3年新田の荘で兵を挙げた、新田 義貞が鎌倉軍と戦火を交え、戦死した武将等供養の為に建立、名前、年月日、建立者の名前が読取れ歴史的価値が高く国指定重要文化財に指定されている。 元は狭山丘陵八国山に有ったが、文化財保護の為徳蔵寺宝物殿に移された。上半分が欠落しているのは非常に残念だ。 |
これ等板碑は近隣に存在した板碑を陳列している、ここの陳列品はすべて本物、大変多くの板碑が陳列されている |
展示品の宝筐印塔、皆四角い、簡略に云えば供養塔で、四角の面に梵字がびっしり刻み込まれているのもある |
五輪塔早く言えば墓石である宝筐印塔との違いは丸い事、それ以上の事は説明文を拡大して読んでください |
今月初めに知人から西武球場招待券を2枚貰った、気心知れた仲の良い同級生にメールをした、この同級生、いい年をして活発に活動して居て空いた日が少ない、空いた日を問い合わせたら、21日(日)が空いていると云う、所沢駅構内にある「西武チケットセンター」へ入場券と交換に行く、窓口の女性が、本塁に近い所の上の段が有りますと云う、高齢人間 階段を昇り降りが辛い年齢、通路から3段下がった席と云う、上等々々、本塁に近い所の高い位置から球場全体を俯瞰出来る。 試合開始20分前に座席に着いた、西武 ソフトバンク其々キャラクターと応援ガールの応援合戦、こちらは階段を上り下りして、球場内の売店へ行くのも骨が折れるし、若者向きの食品が多く年寄りには向かない、席を動かないで済む様に、濁り酒720ml 鯖寿司 焼き鳥を持参試合開始前から酒盛りが始まる、 試合が佳境に入った5回くらいには程よく酩酊、いい気分で試合を観戦、西武も開幕以来勝率5割前後を行ったり来たり、あまり活気が無い。 昨日の試合は接戦のシーソーゲームで、西武1回に1点3回に3点を入れ4点リード、6回に5点取られ逆転され、その裏1点返し同点、8回ホームランで1点リード、9回表に1点返され亦同点、9回裏さよならホームランが出て西武が勝った、改めてみてみたら貯金5になって居た。 気が付いたら回り中皆熱烈な西武ファン、隣に座った若夫婦も熱狂的ファン、その場面場面で小旗を振ったり拍手を贈る、その拍手も各種ありそのリズムが違う、どの場面でどんな拍手を送るのか全く分からないが、拍手にもいろいろあるのだと勉強になった、7回裏の西武の攻撃に備え風船も購入していた。 5月と云うのに館林では35.4度の猛暑日、所沢も30度を越して暑いさなか、ドームの日影と周りの新緑を吹き渡る風が心地よかった 球場内の若い人達の歓声と熱気、我々老人も大変なパワーを貰った、若い熱気は素晴らしい、同級生と程よく酩酊して球場を後にした。 |
ソフトバンク応援ガール この写真以下は望遠を最大限延ばしたので、ブレ惚けがある、 |
ソフトバンク応援キャラクターハニーホーク |
西武応援のレオ |
ピッチャー力投 |
打者見送るストライクかボールか |
打者強振フアールボール |
ピンチに選手協議 |
その場面々々で拍手のリズムが違う、可也球場に通わないと理解できないと思う |
7回裏の西武攻撃に対して風船を用意 |
一斉に風船が飛んだ |
暑さにもめげず満席の球場 |
楽 し い 酒 |
過日有るサークル活動が有った、その会は4時に終わる、会の仲間のM氏から、終わった後一杯飲まないかと誘いがあった、このM氏10年ほど前に5~6人で飲んだきりだった、アルコール好きの小生 良いですねと賛同する、二人だけより仲間が多い方が話が弾む、時折酌み交わすS氏を誘う、ふたつ返事でいいねと云う。 M氏の言うのにサークル会場から徒歩10分程の所に、ハミレス ジョナサンが有り、4時から6時迄飲み物が半額との事、ノンベーには嬉しい話3人直行する。 初夏で新緑の季節、日は長くなり6時過ぎても明るい、日暮れ前から酒盛だ、3人皆80歳代である,食欲 物欲 金欲 108の煩悩を超越した人達、余り食欲のない皆さん一品料理を3点ばかり頼み、生ビールで乾杯、食欲はないが酒はよく飲む、中ジョッキ9杯、.ハイボール9杯、食欲は無いが、飲む方は健全だ、おつまみは少量だったかも知れないが、皆いい気持ちになる程飲んで、会計は一人1,300円。 追加料理を頼んで、持って来た店の女の人が、「年配の人が仲良くお酒を飲んで、楽しく話し合うのはとても素的」 「私も年を取ったら良い友達を作りたい」と云って呉れた、屈託のない人はいないが、欲 煩悩を離れた人が、ざっくばらんに楽しく話をしているのは、その温かみのある雰囲気を傍の人も感じてくれるのだろう、その女性店員の言葉が有りがたく嬉しかった。、 人は皆善性、誘ってくれた人もいい人、今後他の人誘って次が有るかもしれない楽しみに待とう。 年も取っているし、割引サービス時間も過ぎ、明るい内に帰宅する為、6時過ぎ解散。 S氏はタクシーを呼んで帰宅、M氏は徒歩で10分くらい、小生は自転車で8分程、M氏が自転車の小生を気遣ってくれたが、ハンドルのふらつきもなく安全帰宅した。 |
時折り呑む友 久しぶりに飲む友、亦楽しからずや、乾杯 |
料理は未だ届かないが、格安ビールはのど越しが良い |
食欲が減退した我等3人、単品料理、小皿におつまみ3品 |
一人がチーズを食べたいと云う、チーズとしてその物単品のオツマミはなく、チーズたっぷりのピザが有ると云う、結構ビールやハイボールに合う。 |
アルコールは進んだが、会計の時は少量ながら、おつまみが残ってしまった。 |
小手指50年の歩み |
現在の小手指駅南口周辺は各種店舗銀行もあり、その先はマンション群が林立して、大きな住宅圏を構成している、北口に目を転じれば、駅前ロータリーの前に超高層ツインタワーが有り、少し先には、地下1階地上4階の西友店が有り、駅前から延びる500m超の道路脇は各種商店が並び、一大商圏を形成、日々賑わいを呈している。 |
昭和44年小手指南口の山口地区の区画整理事業が始まる、狭山ケ丘方面を見渡しても建物は一軒もない |
昭和45年11月20日、平屋建て構内踏切の北口改札のみの小手指駅が開業 |
駅開設に伴い、駅前ロータリー用広場と行政道路まで、500m程歩道付の広い道路が整備された、近郷のサラリーマンが、駅前道路に車で来て放置、都内へ通勤、自転車も駅前ロータリーへ放置、その当時は商店も何もなく、余り障害にはならなかった。 だが後年商店が増えてきたころ、駐車 駐輪禁止になった。 |
中央上に小手指駅、その上方に公団住宅第.三団地が見え、駅左方向に行政道路までの道路が有るが、建物は何もない、駅左下は区画整理が完成して、整然とした道路が見られるが、建物は何もなし。 空撮 西武資料から転写 |
昭和51年小手指駅舎も橋上駅に改修され、南口改札も出来、南口も発展する、未だこのころは駅前に雑木林も広がって居た |
昭和56年西友小手指店が開店、当時の宣伝文句には、もう池袋のデパートへ行く必要はありません、と云っていた、地下1階地上4階確かに便利になった、この西友が出来る前から商店が軒を並べる様になり、小手指駅前も、買い物客でにぎわうようになっていた。 |
平成22年には北口前に、超高層ツインタワーの工事が始まり、発展に拍車が掛かる |
駅前にあった園芸店も閉鎖、平成26年にはイトーヨーカドーモ開店 |
平成28年電線地中化工事が始まり、空はスッキリ、歩道はカラーブロックを張り綺麗になった、駅から行政道路に向かって写す |
行政道路側から駅に向かって写す、空はスッキリ、ほんとにお洒落な街になった。 |