老いて楽しく

余生を楽しむ

所沢 フェステバル

2019-10-30 10:44:38 | 日記
大盛況のフェステバル
 

所沢市には、明治44年に開設された、日本飛行場発祥の跡地に「所沢航空記念公園」がある、この公園で昭和55年に始まった「市民実行委員会」主催の「航空公園フェステバル」がある、初年度はPR不足もあり知名度も低く、出展店舗も少なく、祭り参加者も少なく低調だったが、年を追う毎に人気が出て、今年40周年を迎え、好天に恵まれ、朝から大変な賑わい。

小生も初回から一度も欠かさず参加、その年々の盛況ぶりをつぶさに見てきた、今は広い公園の敷地一杯、各種露店 所沢伝統のお囃子「重松流」(じゅうま流)祭り囃子 踊り 植木展示 地場野菜即売 カラオケ 自転車曲乗り 和太鼓連数連が競演とても盛大になった。

昨年39回の出店数450 協賛団体35 参加者35万人とある、今年は好天に恵まれ参加者はもっと増えたか、毎年盛大になり楽しい催しである。

 
 
好天に恵まれた第40回フェステバル、多くの露店が並び、開場早々から大勢の人で賑わう、この奥にも露店や催し物が多く出店している
 
魚沼産コシヒカリの升売り、今各地で旨い米が生産されている人気いまいち、コシヒカリ団子には人だかりが
 
新潟の笹団子自分では好きだ、ちまきも旨い、結構よく売れていた
 
佐渡の柿「おけさ柿」この柿は佐渡ケ島にしかなく甘みが強く、とても旨い柿だ
 
太いフランクフルト、焼き厚揚げどちらも旨いが、売れ行き悪いのか、鉄板の端へ避けられ、何故か売り子さんの目が暗い
 
ケバブ何処の料理インド?、時間が早かったので未だ手付かずの肉塊、どうやって食べるのか、食べた経験なし
 
所沢地ビール、午前中なので飲む気にもなれず、所沢駅東口エミオに店があり何時でも飲める
 
「銀だこ」のたこ焼き、以前所沢へ用足しに行くとダイエー地下でたこ焼きをお土産に買って帰った、ダイエーが9月30日で閉店たこ焼きが買えなくなった
 
石巻焼きそば、仙台味噌から揚げ、昭和50年代仙台に滞在頃は知らなかった食品、仙台と言えば昔は「とんちゃん焼き」今は「牛タン焼き」らしい、年々食品も進化する
 
抹茶いり鯛焼き余り珍しくもないが、色は奇麗だ
 
リンゴ詰め放題、大きなフジリンゴ袋の上に4個も乗せ溢れんばかり、腹で抑え両手で抱え込み、11~12個¥800、こうゆう買い物は女性が良い
 
お茶の詰め放題、近くの馴染みのお茶屋さんもいて、毎年買ってくる
 
何と言っても人気は「所沢団子」常時20人以上並び、焼くのが忙しい
 
生醤油の焼ける匂いが何とも香ばしい
 
時間を追って益々人が増え、大盛況
 

三日月

2019-10-26 15:47:23 | 日記
早朝の三日月も写真では、また違った印象になる
 

古き良き友が隣り街にいる、隣り町と言っても県名は違う、直線距離にすれば10km程しか離れていない友の所は晴れていたが、我が家辺は雲があり三日月は見えず。

今日早朝奇麗な三日月が見られ、写真愛好家の友、早速三日月を撮影、メールで送ってくれた、 奇麗な写真を撮った、自分のメールの中だけに保存しているのは勿体なくて、大勢に公開したくて、友に公開してもいいかメールを入れ、許可が出ぬ間に公開してしまった、著作権侵害だ、友からお叱りを受けたら、今度呑んだ時に謝り許しを乞おう。

 
輝く三日月の上に兎の餅つきが見える
 
次の瞬間下に薄雲が掛かり、また違った三日月となる
 

多くの災害に遭遇して

2019-10-21 11:51:34 | 日記
長い人生 いろいろ体験する
 
小生も長生きしているため、大きな災害に遭遇してきた。
昔から言う怖い物(今は死語になったか)「地震 雷 火事 親父」と言われてきた、何故か水害が入っていない。

「地震」は身の危険を感じる大きなものには、自分では遇っていない、東日本大震災は、関東も大きく揺れたが何の被害もなく、恐怖心はなかった、だが地震も大きな恐怖と大災害を及ぼす。

「雷」は昭和15年6月に大雷雨があり、大蔵省他官庁街が落雷により焼失した、稲妻と同時に轟く大雷鳴、小学初年の子供にはとても恐ろしく、父親の膝に顔を埋めていた、怖かった雷の体験。

「火事」昭和20年、年初からアメリカのB29の首都爆撃が始まり、3月10日の絨毯爆撃は凄まじかった、本郷区千駄木にいたが、焼夷弾攻撃でまわり中火の海、逃げ出す隙間なし、幸運にも我が町内焼け残り九死に一生を得た、死を感じるとか恐怖心はなかった、家族と一緒に終わればいいと思って居た。

「親父」我が父親 明治生まれで頑固で怖かった、だが其れは躾で、時にはデパートの食堂へ連れて行ってくれた、当時デパートで食事はうれしい事だった、今の父親はおやじの権威も薄れ、優しいお父さんで怖さはなくなった。

「水害」4大怖さの外に水害がある、戦後直ぐ山梨で大水害に遭遇した、生命の危険は感じなかったが、それは凄まじいものだった、近年大型台風が襲い、大きな水害が広がり、多くの犠牲者が有り、多くの泥で後始末が長期に亙る、水害を体験した者にはその苦労は分かる。

世に4大恐怖と言うが、水害を含め5つになるか、地震を除き総て体験した、生死を分ける様な出来事に遭遇した事は、人生に大きな教訓となっている。
 

水害後の厄介物

2019-10-15 09:39:40 | 日記
後に残った赤土
 
過去に巨大台風が水害を起こし大被害を齎した例は枚挙にいとまがない。
昭和9年9月「室戸台風」 昭和20年終戦の年の9月「枕崎台風」 昭和33年「狩野川台風」 昭和34年「伊勢湾台風」2年連続 昭和36年9月「第2室戸台風」そして今回、関東から東北にかけて各河川が氾濫、堤防決壊で膨大な範囲の水害が起きた、特筆される台風だと思う。

普段澄んだ清流は水はサラサラ、水に重みはない軽く流れているが、穏やかな清流も、豪雨により増水すると、その形相は一変、暴れ川になる、大雨が山肌を溶かし山の粘り気のある赤土を含むと、とても重い水になり、護岸の為の石垣 芝張りも簡単に破壊してしまう、川幅一杯に広がった濁流は、堤防の下を抉っている、自分の足元が無くなっているのだ、濁流を見に来ていた数人が、堤防が崩れアッと言う間に濁流の飲まれたのを目撃した、いい教訓になった。

昭和21年山梨県日川村に疎開していた、少し山際に行くと勝沼の葡萄卿、更に山へ入ると、武田勝頼が織田 徳川軍に滅ぼされた天目山があり、そこを源にした日川がある、川幅10m足らず、深かいところで膝上くらい、魚釣り 魚の手掴み、農業用水の為 堰停めたところで水泳を楽しむ穏やかな河川。

この天目山に3日3晩降り続いた雨が日川の堤防を決壊させ大洪水を起こした、今の様に情報網がない時、土手の見張りの人から、土手の何処が崩れ始めたと刻々伝達される、決壊個所の少し上の土地から決壊状況をつぶさに見た、土手が少し決壊そこから濁流がたちまち決壊個所を広げていく、その濁流が村内の甲州街道をすさまじい勢いで流れて、舗装していない国道の道を削りたちまち浸水区域が広がる。

上流で崩壊した家から流れ出たのか、風呂桶 家財 牛馬などもなども流れていく、勝沼から甲府盆地へ下る緩やかな傾斜地、平坦地へひたひたと浸水するのと違い、甲州街道を中心にかなりの勢いで流れ下る、川の水が引けば浸水もなくなった。

広い河原一杯増水した河川、堤防が決壊、村内へどっと流れ込む濁流、子供心に一つのドラマのように頭に記憶された、恐怖心は何もなかった。
 我が家も床上1mくらいの浸水、それなりの被害もあったが、壊滅的なものではなかった、浸水しない親類へ1晩世話になった。

只一番厄介なのは、山の粘り気のある赤土を含んだ水が引いた後、床下床上にこの土が残る、これが何とも厄介、水気を含み粘りのある赤土の排出だ、スコップにへばりつきなかなか離れない、水を含みとても重い、少し水気を抜くと今度はコチコチに硬くなる、地方によって呼び方は違うと思うが、山梨ではこの赤土を「かつら」と呼んでいた。

この「かつら」が田んぼ 畑へ堆積すると作物は実らない、田んぼへ溝を掘り「かつら」を底へ埋め黒土を上にする、この天地返しが大変な作業、今のように大型耕運機等なく、総て手作業大変な復興作業だった、中学生だった小生も、復興に寄与した。
 

巨大台風19号

2019-10-12 14:05:01 | 日記
生活防衛
 
今から60年程前になるか、昭和33年9月27日、巨大台風22号が三浦半島付近に上陸、猛威を振るい狩野川の大氾濫で大きな人的被害を及ぼし、関東を通過していった、この狩野川台風の猛威を記憶する人も少なくなった。

今は気象衛星から観測して、気象庁が的確な台風情報を把握して、刻々台風情報をテレビを通して教えてくれ、早めの対策ができる。
昭和33年当時は、アメリカの気象観測機が、南方洋上で気象観測、その情報をもとに気象庁が、大きさ進路を計算して情報を伝達していた、今から思えば隔世の感がある、戦後13年を経た頃、戦争の疲弊から脱却して、復興期に入る段階、気象観測も儘ならなかっだろう。

今回その大災害を齎した、狩野川台風に匹敵する巨大台風が今日東海か関東に上陸すると言う、交通機関も停止、スーパー食品店も店を閉じた。
思えば平成23年3月11日東日本大震災にがあり、東北太平洋岸は大きな津波被害を受けた、狩野川台風とは比較にならない大災害、国や県の支援もあり復興が進んだ。

その災害があった翌日12日、我が家周辺に何軒もあるスーパーマーケットから、食品 家庭用品が買い尽くされ棚は空っぽ、災害で物資が不足すると買い溜めした結果だ、だが2日後には総ての商品が棚を満たしていた。

昨日我が家の近くにあるスーパーへ行った、何時もは駐車場に3分の1くらいしか停まって居ないのが満車、自転車置き場も停める所なし、店に入ったら大変な混雑、今までに見たことがない、エッ今日は何と思った、混雑時レジは3本開けるが、6本全開で長蛇の列、明日強烈な台風19号が来るので、水 食品 家庭用品を買い集めに来たお客で、レジは長蛇の列、待つ時間がもったいないので何も買わずに帰った。
15号台風が千葉県を襲い、長期の停電 断水を見て、「備えあれば憂いなし」確かにその通りだが、我が家はなんの対策も講じなかった、高々数時間の強風と豪雨、甘く見るなと怒られそうだ。
 
商品が少なくなった陳列棚
 
明日には商品で埋め尽くされるだろう
 

先人達の偉業

2019-10-08 09:01:46 | 日記
青の洞門を見て
 
菊池 寛著「恩讐の彼方に」を子供の頃読んで、耶馬渓へ行って見たいと思っていた、鑿と槌だけの人力で岩盤を刳り貫いた「青の洞門」を見たかった、、数年前ある旅行社の「デラックス九州一周の旅」があり、耶馬渓が含まれていた。

山國川の畔に聳え立つ巨大岩盤の「競秀峰」を主峰として巨岩が屹立、この岩盤が旅人の行く手を阻み、旅人の最難所になっていた、この硬い岩肌に人的に削った細い道を、鎖に頼って次の道までを歩いた、年間何人もの人が足を踏み外し、山國川に転落命を落とした、今その岩肌に作られた道を遠望しても、昔の人はよくこんな道を歩いたと思えるが、その道しかなければ仕方がなかったのだろう。

諸国修行の「禅海和尚」が旅人の難儀を聞き、鑿と槌で硬い岩盤に穴掘りに挑んだ、初めは村人もあの硬い岩盤に隧道を掘るなんてできっこないと冷ややかに見ていたが、人の一念は「石に矢の立つ例あり、石に立つ矢の例あり」と戦時中の軍歌にもあった。
人間の一心は人の心を動かす、禅海和尚の熱心さに、村人も心を動かされ協力するようになったと言う。

30年の歳月を要したが、旅人は「樋田の刳貫き」(当時はこう呼ばれていたらしい)を利用して安全に旅をする事が出来るようになった、当時人は4文 牛馬は8文の料金を取られ、日本初の有料道路と言われている、人の一念の善行は後世まで語り継がれる。

今は青の洞門も車が通れるように改修されて、昔の儘の鑿跡の隧道はわずかに残されているのみと言う、ツアー旅行の為団体行動、表面だけしか見られなかったのが残念、だが先人達の努力の跡を見られて感動した。
 

洞門史跡の石碑 脇の洞門も近代加工され先人の苦労の鑿あとはわずかに残るのみ
 
耶馬渓の山國川のほとりにそそり立つ競秀峰他巨岩の景勝地
 
この険しい巨大岩盤の中腹に細い道を開削、旅人は危険を冒しても、この道を行かねば先に進めない
 
見下ろせば遥か下に山國川の流れ、一歩間違えば大事に至る
 
鎖を頼りに旅人は往来したのか、スリル満点などと言っていられない、危険極まりない道
 
改修され鑿跡もなくなり、道も舗装され面影薄れる青の洞門
 

楽しき仲間達

2019-10-02 10:31:49 | 日記
軽く一杯飲み楽しく語らう仲間達
 
所沢市に高齢者大学と言うのがあり、平成21年第33期生として入学した、160名10人づつ16班に編成され、小生8班に組み込まれた、一年間一般社会の事など各種講座を受講して、平成22年2月に高齢者大学を卒業した、社会的一般講座で話を聞き、年のせいもあるが人間の角が取れてた感もあった、いい講座だったと思う。

その組込まれた8班の人達が皆心根優しく、楽しい人達、卒業以来10年になるが、年に2~3回食事会を開き、軽く一杯やり食事を囲みお互いの健康を確かめ合い、各種話題を取り上げとても楽しい。
 自分の過去の栄光や孫や子の自慢話は一切出ない、これが出ると座は白ける、その辺は心得ている立派な人達。

その時の幹事の裁量で都心を散策し、銀座のふかひれ店(値段は庶民的)など有名店での食事、ある幹事は横浜中華街に連れて行って呉れる、班の皆様もそれなりに年を取り、経済的には皆ゆとりのある人だが、2千円~3千円くらいに設定、これが長続きする要因かも、唯 残念な事に男性一人亡くなり、女性一人高齢で出席できず、一番若い女性は多趣味で、各方面飛び歩き殆ど欠席。

今回小生に幹事役が回ってきた、遠い所の会場設定の為の下見やその他、動きまわるのが億劫になり、足も気力も衰え地元の会場を選定した。

所沢駅西口を出てプロペ通りに入り直ぐ、「さかなや道場」がある、そこを会場にした、店名通り新鮮な魚が売りの店、皆さん「新鮮な魚がおいしかった」とお世辞にも言って呉れ、よぼよぼ幹事の面目を保った。
 

店に入り、予約席に着くとテーブルにこんな色紙が迎えてくれる、嬉しい心遣い、書体もとても楽しくしてくれる、これがゴシック体や明朝体の硬い文字で書かれていたら詰まらぬ物になる

 
あさりとわかめの酢の物のお通し、あさりが良い味を出している
 
何はともあれ乾杯、女性はお茶で乾杯、誰も酒を飲む前の顔は笑顔になる、男性はビールの後焼酎水割りを飲む
 

刺身5点盛りをいくつか注文、テーブルを飾る、鰺のおつくりは口をパクパクさせている

 
野菜サラダも何点か取り、アルコールも回り始めて、会話も滑らか活舌になり、笑いは尽きずとてもいい雰囲気
 
酢の物と言いあさりの味噌汁、貝の旨味がよく出ている、
 

本日のメインデッシュ、自分ではマグロ一貫食べただけあとは食べて頂いた、最近は本当に小食、よく体力を維持していると思う