老いて楽しく

余生を楽しむ

巨木観察2

2012-01-30 10:13:06 | 日記
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所沢神明社は市街中心部から少し西にあり、中心部を流れる東川の北涯線上にあり、南側と西側から急な階段を上った所にある。
 勧請は600年以前と思われるが、度重なる所沢の大火で創建当時の資料も宝物も総て失われ、正確な創立年は不詳である。
 明治35年に本殿を再建、
昭和9年に国内でも有数の総檜作りの拝殿が完成して今日にいたる。
 西側階段下の境内に、推定樹齢600年を越す大欅が有り、この欅以前の創建と思われる。


樹高20m 幹回り6,2m推定樹齢600年。
市内で最大の巨木と見られ、所沢市みどり自然課が平成17年3月1日に認定番号1号として認定している

2葉の写真は、根元からこずえ近くまで写したものだが、今は冬枯れで葉を落として枝だけで寂しいが、葉が茂っている時は、覆いかぶさる様に威容を誇っている。
この大欅はは西参道にあり写真奥に階段が見える。
 
 

 


巨木観察

2012-01-24 14:44:44 | 日記


           その一    和光市長照寺の大銀杏

 友人が「所沢巨樹の会」に入っている、先日その会合へ同行させて貰うことにした、すでに所沢市内の巨木は全て調査済みで、今では市外の巨木を観察しているようだ、当日は和光市新倉3-3-36にある「長照寺」境内の大銀杏観察である、奥に大銀杏の枝ぶりの一部が見える。

樹齢700年 樹高30m 幹回り7,5m、今までに樹齢500年と云う古木を何点か見ているが、やはり700年の重みは違う、幹回りがドーンとしっかりしている、700年と云うと鎌倉時代だろうか。


その根は40~50m離れた坂下公民館まで達し、樹液を煎じて飲めば母乳の出が良くなると、昔の住民が良く飲んだようだ、秋には300kgを超すぎんなんの実が成る

本堂も古刹の雰囲気十分、どっしり落ち着いた本堂である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

根元からてっぺんまでを真近からは入りにくいが、取り込んで見た。

長照寺へ向かう途中300年ばかり前の古民家が展示されていた。

以前はここから少し離れた所にあったが、外環道建設にに懸かってしまい、解体部材を和光市が引き受けここに移設されて、和光市文化財として一般公開されている。
 


故宮博物院200選

2012-01-18 14:06:12 | 日記

 

  先日 上野国立博物館へ今話題の「北京故宮博物院200選」を観賞に行った、当然相当な混雑を予想して、もう何年にも乗った事がない通勤時間帯の電車で早目に家を出た、博物館前についた時は9時5分過ぎ、入場券を買って門をくぐったら目の前に最後尾のプラカードを持った人がいる、4列縦隊で150~160番目くらい、もう既に600~700人並んでいた、一番先頭の人は一体何時に来たのだろう、小生も早目に家を出たが、全く読みが甘かった、9時半に入館開始最初は数百人入ったが、あとは50人くらいづつだろうか時間差を置いて入場したが、自分で入館できたのは10時15分だった。

 

 この展覧会で何と言っても一番のメインは「清明上河図」でこれを見るために入館してから管内で180分待ち、2階会場から1階まで延々長蛇の列、入館で1時間待たされ上河図を見るために3時間立ちっ放し、延べ4時間立ちんぼは小生の体力では持たない、一般展示品は直ぐに観賞できる、全部見終わった時には2時間が経過していて、足は棒の如くパンパンに張っている、ウオーキングで2万歩くらい歩いてもこうはならない。

「清明上河図」は館内で拡大説明つきで投影している、また3時間も待って見ている人の後ろにテープを張って区分けしているが、ガラスに顔をくっつけて見る様な訳にはいかないが、テープのところから背の高い人は背を延ばせば上河図が覗ける。
 中国の1級国宝の数々を観賞出来て、足は疲れたが非常に癒された、長い歴史と奥の深い国だと実感させられた、このような宝物を見る機会はそうあるまい、思い切って見学に行ってよかったと思う。

 帰り12時過ぎ、館の案内をする人がマイクで、入館に1時間半待ち、「清明上河図」見学は入館してから210分待ちと言っていた、入館しても並んでいると他の宝物を見る時間もなく、閉館の時間になってしまう。

                          長蛇の列の一部、不覚にもここでカメラのバッテリー切れ


ウオーキング

2012-01-14 10:37:16 | 日記



  松も取れた11日ウオーキングの会が催された、この日は今冬1級の寒波で、冬将軍が列島の上にドンと居座り、朝から曇天の寒い日だったが、10時頃から青空が広がり、風は冷たいが日差しのぬくもりを感じながら歩けた、運動をしているのだからこのくらいの寒さは何でもない。

 御茶ノ水駅→湯島聖堂→神田明神→湯島天神→旧岩崎邸→不忍池弁財天前で昼食→上野東照宮→国宝根津神社→14時頃解散予定だったが、旧岩崎邸で女性ガイドが付き、1時間くらいの予定だったが、ガイドが興に乗って、滔々と2時間以上に亘り邸内説明、余りの熱心さに途中でもう良いとも云えずここで1時間以上時間超過、不忍池弁財天脇で昼食は1時半を回っていた、風が冷たかったが、女性が持ってきた手料理を分けあい楽しい食事だった、根津神社で2時頃解散予定だったが、根津神社では3時を回り、予定を変更して東大まで足を延ばす、東大は正門から安田講堂を眺め、赤門前を通過したのみ、本郷三丁目地下鉄駅4時15分解散。

 本郷三丁目周辺に美味いおでん屋があると云う、開店は5時から、お茶を飲んで開店まで待って一杯飲む話があったが、酒を飲めば2~3時間はアット云う間に過ぎる、其れから所沢まで帰ったのではかなり遅い時間になる、もっと早い時間ならよかったが、小生には体力的に少々オーバーだ、残念ながら飲まずに帰宅した、一杯やった人は9時過ぎに帰宅した云う。

 数十年前に訪れた神社なども、今こうして訪れてみると新発見があり、もう一度歴史を見直してみようかと云う気になる。気温は低めの一日だったが、仲間と語らい食事を分かち合い楽しい一日だった。

  湯島聖堂 江戸幕府五代将軍綱吉時代1690年(元禄3年)に幕府直轄学問所として開いた、昌平坂学問所と言われた、学問所史跡。 聖堂正門



学問所本体、大正12に年関東大震災で入徳門と水屋を残し焼失、昭和10年大林組の施工で鉄筋構造で再建、以後昭和20年の大空襲にも残った、その後同じ大林組が昭和61年保存改修を行い、湯島聖堂を今に伝える。
 

湯島聖堂を囲む築地塀、瓦を埋め込み厚さ60~70cmもあろうか、今この塀を作るならば数メートルで、現在の建売住宅一軒出来てしまうだろう、贅を尽くした昔の建設工事の凄さを感じる。

 通称神田明神と云うが、神田神社が正式名称、社伝によれば天平2年(730年)今から1300年程前、出雲の氏族大己貴命(おおくにぬしのみこと)が武蔵の国柴崎村(現大手町 将門首塚辺)へ伊勢の御田(おみた)(神田)を捧じ社を勧請する、以後関東鎮守の総社として、その権威と格式を保つ。
 家康入府により江戸城の鬼門に当たる位置に神田神社を移す、幕府安寧を祈願徳川家の信仰も厚く将軍も参拝した。
今も神田 日本橋 秋葉原 大手町 丸の内 旧神田市場 築地市場等108町の総社として格式があり、盛大な祭りが行われる。

 普通七草を過ぎると門松 お供え 正月飾りは下ろすが、神田明神付近は門松が飾られまだまだ正月は終わっていない、小正月どんと焼きまで飾っておくのか、まだ早い時間だったが流石神田明神、参拝者が引きも切らず、各企業の幹部の人達か、商売繁盛を祈願のため昇殿、護摩祈祷行うため列を成していた。

神田明神下と言えば彼の有名な、野村 胡堂「銭形平次」で小説上の人物とは云え、平次と子分「がらっ八」の石碑がしっかりと存在感を示していた、右の小さい石碑ががらっ八。

 センター試験を控え湯島天神は受験生で大賑わい、境内は受験生其の親御さんで溢れ返っていた、いつの世も受験は大変な苦しみを味わう、絵馬を書く人も、自信がありそうな人、不安げな人様々だ。

 正月松の内は過ぎたとはいえ、受験生が引きも切らず、境内は露店が店を連ねあたかも縁日のよう、受験生に合格を与え、露天商には商売繁盛を与え、天神様は素晴らしい神様だ。

 合格を祈願する絵馬が幾重にも折り重なり、一つの絵馬架けも大変な重量、一か所に留まらず境内数か所にが皆鈴生りの絵馬が架かっている。

 御神籤の花。 おみくじを引いた人が其の籤を結び付けていく、いろいろな願望がおみくじで的中するのかしないのか、人間の悲喜こもごもが込められているおみくじ。

 旧岩崎邸は先ず入った所に樹齢400年の大銀杏が聳えている、銀杏は寿命が長いのか、各地に巨木が存在する、
鎌倉八幡宮の銀杏が自然倒木したのはつい最近、日比谷公園にも樹齢500年「首賭けの銀杏」の古木あり、所沢市 狭山不動尊にも樹齢500年の古木が存在する。

 岩崎邸は屋内撮影禁止で、外見だけで絵葉書的写真しかない。

 岩崎邸の庭に撞球(玉撞き)棟がある(明治27年建築)、校倉作りで内部も凝った造りだが、本館から地下道で繋がり、雨の日も濡れずにゲームを楽しむ事が出来る、明治27年では画期的な建築と遊び、因みにこの年は川越→国分寺間 川越鉄道が開通した年。

 不忍池弁天堂で昼食をとる、冬枯れの不忍池はボートを漕ぐ人もいなくて、閑散としていた。3枚を合成したパノラマ写真

 上野東照宮は足場が組まれ工事用幕が巡らされ社殿を拝むことはできなかった、修復作業中か。樹間から寛永寺の五重の塔を望む。

 
 日本三大灯篭のひとつが上野東照宮境内にある、高さ6,06m笠石の周り3,63mと巨大なもので、夜な夜な灯篭の影から幽霊が現れると伝えられ、別名(お化け灯篭)とも云われる、他の巨大灯篭は京都南禅寺に高さ8m、熱田神宮に高さ6mの灯篭が存在、日本三大灯篭と言われる。

 最終目的地根津神社入り口、神田神社 湯島天神と打って変わり、こちらは参拝客も少なく静寂だった

 国宝として見るせいか、山門も厳めしく見えてくる。

 根津神社はつつじが有名で5月頃は、つつじ観賞と参拝客で境内は人で溢れんばかりだが、この時期は境内も閑散としている。
 

 

 この後東大へ足を延ばし、安田講堂 赤門を見学して、地下鉄本郷三丁目駅前で解散した、総歩数18963歩、ウオーキングの皆さん、ご苦労様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


出初式

2012-01-08 11:28:27 | 日記

 1月7日航空記念公園で消防出初式が、午前10時から行われた。
おりしも冬型気圧配置が強まり、冷たい季節風が吹きすさぶ中の式典だったが、年々観衆が増え今年はかなりの人出で、小生の記憶する限りでは、1番多かったのではないか。

所沢消防署の施設 装備の陣容は以下の通り(消防資料より)

勢揃いした消防幹部 レスキュウ隊 救急隊、こうゆう頼もしい人達に、財産 生命
を守って貰えるのは非常に安心の限りだ。

 

レスキュウ隊

救急隊

各車両入場

40m梯子車の威容  価額は1億数千万円とか、だが人一人でも救助出来れば
安いものであると、隊員の方が云っていた。

レスキュウ隊員の鍛錬の披露、日ごろ鍛えた体力は大変な跳躍力

消防隊員 車両行進の後、埼玉のユルキャラ コバトン行進

続いて可愛いちびっこ鼓笛隊と所沢のユルキャラ トコロンの行進

江戸情緒を残し「木遣」で所沢鳶の入場

鳶の妙技1

鳶の妙技2

鳶の妙技3

アパート火災の人命救助実演

消防車の一斉放水

消防車の一斉放水2 水幕で日も陰る

10時からの式典は2時間で12時終了