老いて楽しく

余生を楽しむ

後悔先に立たず

2019-04-27 10:06:35 | 日記
転ばぬ先の杖
 

小生10数年前に車は廃車して、誕生日の更新前に免許も返納した、免許証を返納に行った時対応したお巡りさん「一度返納手続きをすると、2度と運転できませんよ」と念を押された、当然そのつもりで返納したのだが、お巡りさん気遣ってそう言って呉れたのろう。

廃車するに当たって悩んだ、今迄より行動半径が小さくなり、旅行もいけなくなると思った、だが旅行は電車で車窓を眺めながら一杯やるこれが楽しい、車では絶対できない事。

各種用足しも不便になると思った、だが年間車の維持費がなくなった分タクシーを利用すれば不便を感じないかと、廃車と免許返納をした。

人間だれしも、自分はそんなへまはしないと、変な過信を持っている、人間の能力なんてそんなに差があるものではない、詰まらぬ過信が大変な事故を起こして、大きな悔いを残すことになる。

年を取れば、眼 耳 感受性が衰え、瞬間判断 瞬発力 動作の鈍さが顕著になり、一つの操作ミスでパニックになりあとの動作を間違え、大事故に繋がった事故があった。
先日 昔社会的地位があった人らしいが、超高齢で僅かなミスでパニックになり、清掃車は横転、自転車は真っ二つに折れ、2人死亡多数の怪我人が出た、物損事故は金銭で弁償できる、2人の命と怪我をした人の後遺症があった時、それをどう償えるのか。
先日奥さんと子供を失くしたご主人が、胸の苦しさを切々と訴えていた、家族を失った人、怪我をさせた人にどの様に償っていくのか、人の命は元には戻らないのだ、此の犠牲者の為 償いに煉獄で身を焼き反省すると良い、それでも自分の心は癒えぬだろう。
 
自分で早々に免許返納したのに大変な葛藤があった、だが事故で人の命を奪ってしまったら、それは殺人だ、一生心に大きな負担を背負い、墓場へ行くまで、悔悟の念が離れないだろう、そんな心の負担を背負わない内に廃車と免許返納をした、車がなくどんなに不便かと思ったが、公共交通機関を利用し、近場は自転車で用を済ます、タクシーを使う事は殆どない、全く気楽な生活だ、足を使うせいか健康増進に繋がった様だ。

この事故に対する警視庁の対応も、なんだか変だった、以前社会的地位が有ろうがなかろうが、大事故を起こした当事者で過去の地位も年齢も関係ない、只大事故を起こした加害者である。

 

偽坊主

2019-04-22 09:59:37 | 日記
定年後こんないい職場があった
 

20数年前定年退職して、まだ家に引っ込んで居ては人間衰えてしまうと、何か活動したいと、人材派遣センター へ登録した。
暫くしてセンターから呼び出しがあり、お寺勤務をしないかと就職斡旋があり、今迄の自分が就いていた職業とは全く異次元の世界。

お寺の仕事とはどんな形の仕事なのか、訳が分からず不安だったが、当たって砕けろ的性格、人材センターの職員2人に付き添われ、市内のお寺へ面接に行った。

住職と執事が面接してくれ話し合った結果、きりの良い4月1日から勤務してくれと、採用が即断された。
帰りセンターの人の話で「免状書き」の免許を持った人でないと採用しないのが、免許なしで採用してくれたのは異例と言われた。

小生毛筆の免許など持っていない、「般若心経」を70枚ほど書いただけだ、勤務が始まった後どんな仕事が待っているのか、不安が募った、何が有っても当たって砕けろ的考えで勤務した。

勤務内容は、住職は日曜日以外は居ない、執事ほか4人の職員が、毎日3人体制で勤務、ローテーションが組まれていて、週5日勤務 時には4日勤務の週がある、主な仕事は春 秋お彼岸の時に所沢聖地霊園へ、塔婆を2,600本くらい収める、これを職員4人が手分けして書く、ベテラン2人が800本くらい、新人2人が500本くらい書く、それ以外は毎週日曜日に住職が来て、12時と2時の2回護摩供養を遣る。
正月は大晦日から元日の初詣客に護摩札、お守りその他に名前を毛筆で書き、3ヶ日は多忙を極める

それ以外の日は、朝9時開門夕方4時閉門、7時間勤務、参拝する人もまばら、毎日遣る事もなく、売店の店番や、参拝者の御朱印帳書き、空いた時間は字の練習、全くのんきな勤務だ。

作務衣を着て境内を歩いていると、年配の女性に手お合わされ、坊さんと間違えられ、相談を持ち掛けられることがある、嫁舅の確執などが多いが、自分の人生の体験や聞いたことなど参考に話をする、その時絶対してはいけない事がある、こうしなさいと断定的に言うことだ、こうしたら如何でしょうかとぼやかすことが肝要。
 断定的に言うと、実行したけど上手くいかなかったと苦情を受ける事がある、修行を積んだ坊さんではないので、語尾をぼやかすことがある、だが言われた通り私が折れたら、嫁も心を開いてくれ、今は仲良くやっていると、手を合わされること何回も、よかったーと思う、何か坊さんの域に達したような錯覚に陥る、だが修業を積んだ坊さんの域になど決して行かない。

   給与15万円、年2回同額の賞与、日曜日の護摩焚きで収入が多いと住職から小遣いが貰える、通勤定期券が交付され、お昼は社員食堂で好きなものが無料で食べられた、お寺で酒の献上が多く、閉門後般若湯一杯やって帰ろうと茶碗酒を飲み帰宅、時には執事が「〇子」や「〇〇亭」で食事をさせてくれる、野球場のボックス席でビール付き観戦等、極楽の様なアルバイトだった。 長く勤務したかったが家内が大病を患い辞めざるを得なくなった、仏に関して自分も勉強し、多くを教わり得難い職場だった、老後他人と争いも起こさず、丸く穏やかに送れる人生を学んだ。

 

 
境内鐘楼脇 作務衣を着た偽坊主
 
境内には由緒ある重文 国宝級の建造物が点在するその一つ羅漢堂、青銅製の灯篭には三つ葉葵の紋章が有る
 
青銅製の三つ葉葵の紋章入り灯篭、江戸時代芝増上寺へ各大名が献上した時は、金箔で金色輝く豪華なものだった、その灯篭が多数羅漢堂前に飾られている、増上寺から移設当時はまだ金箔が残っていた、夜な夜な金箔を剥がしに来る泥棒除けにコンクリート柱を張り巡らした、だが金箔は殆ど剥ぎ取られ僅かに痕跡を残すのみ、この羅漢堂敷地内は誰も入れない、年間を通しても鍵を開けることはない。
当寺に勤務した特権で、執事に鍵を開けて貰い、内部を撮影できた
 
境内には二つの多宝塔があり、いずれも重文級建造物、他にも国宝の門 重文級の建造物がいくつもある
 
隣接して遊園地があり、遊具の一つUFOで高台にありアームが伸び展望台が360度回転して、多摩湖 狭山湖周辺を一望できる、作務衣を着ていくと同業と見做されどの施設も顔パスで乗れた、今は閉鎖され各施設解体された
 

写真展

2019-04-14 10:19:51 | 日記
井の中の蛙 周囲の変化に驚く
 
先日は2つの行事が重なり、旧友の写真展の方へ行った、この写真展は東京都退職校長会の写真クラブ主催、毎年春秋2回開催され、7年ほど前から招待状が来るようになった。

この写真展には同級生数人とその友達が集まる、友の受付時間が終わると、新宿か中野駅周辺で軽く一杯飲んで旧交を温めて解散するのが恒例。

今回は小生がふとした病に侵され、夕方医者の診察を控え、一通り写真を見て帰る事にしていた。
旧友は病気が大事、来なくていいと言うが、数年続けた年2回の行事、そうでなくても欠けていく友、淋しくなる一方で、ここで休んでは途切れてしまうと鑑賞に行った。
何時もの友達もその時間に集まり、写真を見て帰ったので今回親睦会はお預け、後日暇が出来た時を約して解散。

何時も中野駅南口を下りて、線路沿いに有るゼロホールへ一直線に会場へ行き写真鑑賞、終わって駅周辺で一杯飲んで帰るため、中野駅周辺は全く知らなかった、先日は少し時間が有ったので、北口へ出てみた、駅前からアーケード付きの商店街が数百メートル続き平日でも大変な賑わい、駅周辺は大きなビルが林立、気が付かぬ間に大きく変貌していた。
 
駅北側から南側のビル群を見る
 
中野駅北口改札から真っ直ぐに伸びるアーケード付き商店街、平日でもこの人波
 
中野駅開業130周年記念の垂れ幕が多くかかっている、奇しくもこの日は、明治22年4月11日中央線「新宿―立川」間開通記念日だった。
本来新宿―八王子間開通を目指していたが、多摩川鉄橋工事に日時を費やすので、立川まで暫定開業した
 
各種商店が軒を連ね、独自性のある商品で客を呼ぶ、人気のあるカレーパン屋、女性お気に入りパン屋か
 

それぞれ違った味のカレーパンの様だ、旨そうな色合い、飛ぶように売れていた

 
東京都退職校長会写真クラブ展示会、今回83回目年2回開催でも40年以上の歴史、それぞれ力作が並び努力が窺われる
 

羅漢さんは楽しい

2019-04-08 11:13:06 | 日記
自分に似た羅漢さん
 

寺院 仏閣や聖地 霊山の参道などに、五百羅漢像をよく見かける、この五百羅漢の中に、自分に似た羅漢さんが必ず居ると言われる。

川越の喜多院境内に茶店があり、この裏に五百羅漢が鎮座する一角がある、この羅漢像拝観は有料で、茶店へ入場料を払って入場、一か所に纏めて配置されているので、余り歩かず短時間ですべての羅漢さんに会える。

この羅漢像の中に、自分に似た羅漢さんを4体見つけた、自分と親しい旧友に似た羅漢さんも2体見つけた、羅漢さんもよく見て歩くと、とても微笑ましい、呵々大笑する 心広く穏やかな笑みを浮かべる 怒りを爆発せさせ怒気満面 失敗して平身低頭する 各表情豊かな羅漢さんを見ていると飽きない。 

 
よき旧友小生の云う事をよく聞いてくれ、理解をしてくれる、メールやSNS等良くやり取りして、何でも話し合える友。
 
明治座観劇や西武球場で野球を楽しんだり、友の近くの駅周辺や小生の近くの所沢などで、時々酌み交わす、お互い酒は嫌いではないので、飲む話は直ぐ纏まる。
 
他人との約束を失念、イヤー済まない々々と頭に手を遣り、ひたすらあやまる、先方も年を取っているからと広い心で許してくれる。
 
あとはひたすら悔悟と反省、これからは忘れまいと心がけるが? 記憶力 思考力が減退してきたので、改善するとは思えない。
 
年を取ったら心広く、少々の事には腹を立てず、人の話をよく聞き、人との交流を多くして、笑顔を絶やさず他人と柔和に優しく接していきたいと思う。
 

新元号 平安な年代でありますよう

2019-04-03 15:03:02 | 日記
三時代を生きる
 

昭和 平成 令和の三時代を生きる事になった。

昭和10年代太平洋戦争勃発前、武器製造の為家庭に有る、あらゆる金属の供出、戦前 戦中の衣食の配給制、生活も逼迫していた、終戦前になると全国都市が、B29による空爆で焼け野原、学童疎開で親元を離れ淋しく辛い生活を強いられ、戦後の衣食住の不足、大インフレで混乱を極めた。
 
昭和初期に生まれた我々年代は小学生だった、生活困窮、空襲による死の恐怖を体験、戦後の混乱期そんな時代も過ぎ、朝鮮動乱を機に復興が始まり、産業戦士と煽てられ、月100時間の残業はざら、過労死なんて言葉はなく、がむしゃらに働いた、そんな事が功を奏したか、昭和も後半になると生活も豊かになり、平和を享受した。

平成時代は天変地異 大きな地震が何回も起き、強烈な台風 集中豪雨 大洪水 土砂災害等大きな自然災害が起きた、勤勉な日本人は難事に立ち向かい、コツコツと復興に励み大きな成果を上げている。

福島第一原発事故は、完全廃炉には数十年を要するという、自然災害による被害とは言うが、人災である、大きな禍根を平成時代に残した、原発は全て廃炉にすべきである。

 

昭和の太平洋戦争、平成の原発事故はその時代に特筆されるべき事である。
あと一か月足らずで新元号になる、無事平穏に暮らせる年号であってほしい。