長い人生 いろいろ体験する |
小生も長生きしているため、大きな災害に遭遇してきた。 昔から言う怖い物(今は死語になったか)「地震 雷 火事 親父」と言われてきた、何故か水害が入っていない。 「地震」は身の危険を感じる大きなものには、自分では遇っていない、東日本大震災は、関東も大きく揺れたが何の被害もなく、恐怖心はなかった、だが地震も大きな恐怖と大災害を及ぼす。 「雷」は昭和15年6月に大雷雨があり、大蔵省他官庁街が落雷により焼失した、稲妻と同時に轟く大雷鳴、小学初年の子供にはとても恐ろしく、父親の膝に顔を埋めていた、怖かった雷の体験。 「火事」昭和20年、年初からアメリカのB29の首都爆撃が始まり、3月10日の絨毯爆撃は凄まじかった、本郷区千駄木にいたが、焼夷弾攻撃でまわり中火の海、逃げ出す隙間なし、幸運にも我が町内焼け残り九死に一生を得た、死を感じるとか恐怖心はなかった、家族と一緒に終わればいいと思って居た。 「親父」我が父親 明治生まれで頑固で怖かった、だが其れは躾で、時にはデパートの食堂へ連れて行ってくれた、当時デパートで食事はうれしい事だった、今の父親はおやじの権威も薄れ、優しいお父さんで怖さはなくなった。 「水害」4大怖さの外に水害がある、戦後直ぐ山梨で大水害に遭遇した、生命の危険は感じなかったが、それは凄まじいものだった、近年大型台風が襲い、大きな水害が広がり、多くの犠牲者が有り、多くの泥で後始末が長期に亙る、水害を体験した者にはその苦労は分かる。 世に4大恐怖と言うが、水害を含め5つになるか、地震を除き総て体験した、生死を分ける様な出来事に遭遇した事は、人生に大きな教訓となっている。 |
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父親を探しています。
宮﨑文・宮﨑潔・宮﨑洋・宮﨑幸とそれぞれの妻子により、必死に抵抗する父親を自宅から暴力を振るって連れ去られたとの相談がありました。
父親は施設に入れられ、所在が分からないとのことです。
父親をすぐ自宅に帰して下さい。父親にすぐ会わせて下さいとのことです。
宮﨑渉の親が宮﨑洋(田辺三菱製薬株式会社に勤務)と宮﨑志穂(東志穂)
宮﨑文が静岡県立総合病院に勤務
宮﨑廉太郎の親が宮﨑潔と宮﨑朋恵(平井朋恵)
宮﨑洋の暴力に宮﨑洋の元妻が逃げて離婚した。
当時の音声.wav
宮﨑洋が創薬本部免疫炎症創薬ユニット
東志穂が家柄が違いデキ婚した。
宮﨑文が成人先天性心疾患科
宮﨑潔が車で人に怪我を負わせた。
宮﨑幸の元夫がうつになり離婚した。
宮﨑潔が森之宮病院に勤務
平井朋恵が家柄でナースになり医大ラグピー部マネージャーになった。
両手足をつかまれ地面に引きずられて精神病院に連れて行かれて自力で自宅に戻れましたが、80代後半の父親が自宅に戻れず施設に入れられ、父親を探しているとのことです。
父親をすぐ自宅に帰して下さい。父親にすぐ会わせて下さいとのことです。
当時の音声(一部).mp3
宮﨑潔が整形外科
宮﨑洋がバスケ部の飲み会一人帰りに酔っ払って目を怪我したことを部のせいにし退部した。