若き日の甘くて切ない思い出 |
時は昭和26年頃か、東京空襲の焼け跡が広がり、戦前の繁華街の池袋も、東口に立って線路の向こうを見れば西口が見渡せる、見渡す限りの焼野原、戦災孤児が繁華街に屯し、傷痍軍人が路上で物乞いをするのが当たり前の風景、そんな焼け野原の西口には、焼棒杭と焼けトタンを組み合わせた闇市が軒を連ねていた。 |
謄写版講習後茶話会に集まった会員 |
謄写版教室の会員が、講師の提案で飯能の棒の嶺へハイキング |
当時カメラを持っている人少なく、彼女2眼レフカメラを使っていた |
講師がコースを打ち合わせるところを、覗き込む小生 |
何処に咲こうと大きなお世話 |
最近ど根性と云われる植物が紹介されている、コンクリの割れ間から大根が成長したり、アスフェルトとブロック塀の隙間から西瓜が実ったり等、植物の生命力の強さが紹介されている。 我が家にもそんな事象が起きた、外の流し台のブロックトコンクリに固められた下から、一昨年ヒヤシンスが芽を出した、ヒヤシンスと云うのは、種だか球根だか知らないが、撒いた事も植えた記憶が無い、昨年花を咲かせ、今年も花を咲かせた。 {おい なんでこんな狭い所から堅苦しく芽を出し、花を咲かせるのだ、もっと広い所で咲けよと」云いたくなる、だが花には花の言い分があるのだろう。此処に定着したかったと。 でもこんな狭苦しい所でも健気に花を咲かせる、こんな植物にパワーを貰う。 |
種だか球根か知らないが、なんでこんな窮屈な所へ芽を出すのだろう |
ブロックとコンクリの下から根を張り、花を咲かせる、 |
もっと広い所へ根を下せばと思うが、ヒヤシンスにも考えが有るのだろう |
こんな硬い下から芽を出し花を咲かせる、小さい花、その生命力に、パワーを貰う |
九 死 に 一 生 |
昨日の新聞の投書欄を見ると、72年前の東京大空襲の悲惨さを何人かの人が書いていた、だが年齢70歳代の人が多かった、詳しく知る人は80歳を越えた人でないと、分からないかも知れない、幼い年齢だったから、恐怖心は強かったと思う。 4月24日の空襲で我が家も燃えてしまった。 |
鉄筋の建物以外はすべて灰燼に帰す 震災記念館資料より |
余りの悲惨さにぼかして掲載 震災記念館資料より |