老いて楽しく

余生を楽しむ

生前墓 寿陵って

2016-08-17 10:06:52 | 日記
生前墓 目出度い話?

   世間では生前墓を造り、墓碑銘は赤い字にして寿陵と云って、これを作ると長寿を全うできると云って、お祝いをする、でもこの生前墓を作って、何歳まで生きれば長寿と云うのだろう。

 小生の知る範囲で生前慕を作った人で墓に招かれたのか、墓を作って1~2年で、鬼界へ籍を移した数人を知っている。

 身近な人では、家内の叔父と云う人は、写真を撮ると影が薄くなると云って決して写真に入らない人だった、そういう感覚の人だったから、生前に自分の墓を作るなんて絶対反対の人だった。
 だがこの叔父夫婦子供がいないのて、叔母が死後を心配いして叔父を説得して生前慕を作ってしまった、叔父にしてみれば大いに気に入らなかったと思う。

 完成した墓を見せて貰った、あたりを圧する様な立派な墓だった、寿陵を建てたと云う事で、祝い膳をご馳走になって帰った。
 この叔父82歳健康で矍鑠としていた、ある日歯医者へ行くと云って自転車で出掛けた、途中何が有ったのか、自転車で転倒して左肩を骨折してしまった、見舞いに行った時に、どんな骨折をしたのか大変大袈裟なギブスをしていた、年取っての骨折は大変恐ろしい、此の骨折が原因かどうか知らぬが、余病を併発して1ケ月あまりして死んでしまった、建墓後1年2か月後だった。

 我が家も20年程前、縁あって朝霞市の歴史ある寺の墓地に永代使用を契約をした、20年程更地で放置していたが、この春家内が自分の金で墓を作ると言い出した、前例が有るので絶対反対したが、家計には負担を掛けないと、川越の山崎石材へ注文してしまった、9月お彼岸には完成するらしい、小生厭だから一切関与していない、石材屋から送られた設計図では、こじんまりした洋風墓石らしい。

 生前慕を作られ、小生の人生も極まった、長くて2年大体1年で黄泉の世界へ行く、墓など作られると、死を催促されているようだ、終活が忙しい、多くの書類をシュレッダーで処理し日記帳40数年はデジタル化したし、本は総て処分した、あと残った写真は後世に残すためにデジタル化している、大変貴重な写真もある、写真は処理に大変なエネルギーが必要だ。

  そんなせいか銀行からは、相続セミナーの誘いや、死後節税の相談会などの誘いが増えた、どうしてもあの世へ送り込みたいらしい。

 宗教界から御叱りを受けるかもしれないが、生前墓など絶対作るべきではない、小生の知る限り作って短時日で、この世とサヨナラしている人を何人も知っている。

 表題の「老いて楽しく」が、なんと寂しい話になってしまった、でもまた別な話題を投稿したいと思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

優勝記念

2016-08-07 16:08:27 | 日記
思いもよらず良い写真が見つかった

  昨日リオデジャネイロでオリンピックの開会式が有った、今日は甲子園で夏の高校野球の開会式が有った、オリンピックは全世界から選手が集まり、開催国も国家の威信を掛けるのだから、規模も予算も莫大なものだろう、今日の高校野球の開幕はオリンピック開幕の華麗さはないが、日本全国49代表の若者たちが集まり、開会式を行った。

  オリンピックの入場行進も中国や韓国の行進など見たくもないので、日本選手団の入場行進から聖火の点火まで見た、賑やかに派手な演出で楽しさはあったが、今日の高校野球の方がずっと感動した。
 東日本大震災続く大津波、河川氾濫の被害、熊本地震の苦難を乗り越え、自分たちの野球を通して復興の糧にして欲しいとの宣誓、あの若人の力一杯の行進、オリンピックよりずっと感動した。

 そう云えば今から68年ほど前、終戦直後山梨へ疎開している時代、食料も物資も不足している時に、山梨県中等野球大会が有り、ユニホームは配給の布でお袋に縫って貰い、胸の校名は黒いラシャを自分で切り抜いて縫い付けて貰った、グローブもボールも乏しく、運動靴もなく怪我のないように試合中は裸足がルールだった、キャッチャーの面などなく、ファールチップが2回目に当たり、キャッチャーが血を流して戦った記憶が有る、今野球試合中に目から血を流したなんて言ったら、教育委員会が大変な騒ぎになるだろう。

 当時郡の予選を勝ち抜き、県大会で優勝した、当時山梨県に新制中学校が何校あったか知らないが、あの終戦直後の混乱の中、予選を勝ちぬき、乏しい中でもチームメイトが助あっていた。
 兎に角敗戦直後の混乱期物資もない中、郡の予選を勝ち抜き、県下1の栄冠を手にした、予選から県の決勝大会まで運営した組織の人達も大変苦労をされたことだろう。
 そんな中で県下一の栄冠を勝ち取ったのは、良い思い出だが、まったく忘れていた、{終活」で写真の整理をしていたところ偶然、優勝記念写真が出てきた、

  少年時代の大きな記念すべき写真だ。
 

優勝旗と賞状 真ん中は校長先生 後列真ん中の背の高い先生がが野球担当
 
外野手と補欠3人 小生は正選手だった 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

梅雨明け10日

2016-08-03 09:24:24 | 日記
一葉落ちて天下の秋を知る、そんな詩人ではないが

 

  昔から「梅雨明け10日」と云う言葉が有る、梅雨明け後10日くらいは高温多湿  空気は油を流した如くどんより淀んで無風、暑くて嫌な日が続き、寝苦しい日が多くなる。
 怪談噺でじっとり汗をかき、寝苦しい真夜中、草木も眠る丑三つ時に「うらめしやー」と幽霊が出るのもこの時期か。

 暫くすると立秋になり、少し涼風も感じられるようになり、蝉の声、早ければ虫の声も聞かれるようになる。

 8月初めには高校野球が甲子園で熱戦を繰り広げる、このころはまだあまり秋を感じないが、高校野球が終わると、日の出は遅く 日の入りは早くなり、日が短くなったことを実感する、朝夕は涼しく湿度も下がり少し爽やかさをがあり秋を感じさせる。

 小生無類の多汗症、胸と背中に大量の汗をかき、肌着は勿論、上のシャツまでぐっしょり濡れて乾いている所がない、夏バテするとか体調を崩す事は無いが、汗の多さに閉口する。

 今年の「梅雨明け10日」は少し違った、比較的雲が多く不安定な天気で夕立もあり例年とは違う梅雨明け10日で、今年は汗も少なく、例年夜はクーラーを入れっ放しが、12時前後に切って自然の風で寝られる、クーラーの風より、南北の窓を開け放ち吹き込む自然の風の方が健康的だ。

 そんな梅雨明け10日の今年だ。