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小手指周辺50年の変遷

2017-05-04 14:38:54 | 日記
小手指50年の歩み

  現在の小手指駅南口周辺は各種店舗銀行もあり、その先はマンション群が林立して、大きな住宅圏を構成している、北口に目を転じれば、駅前ロータリーの前に超高層ツインタワーが有り、少し先には、地下1階地上4階の西友店が有り、駅前から延びる500m超の道路脇は各種商店が並び、一大商圏を形成、日々賑わいを呈している。

  この発展を遂げた小手指駅周辺の変遷を簡略追って見た。
昭和40年代前半は、西武池袋線は、所沢から飯能までは単線、西所沢駅を出ると周辺は畑ばかり、農家もなく、小手指原を過ぎると、線路を覆うばかりの鬱蒼とした雑木林1駅間が長かった、当時は1時間に僅か上下4本の電車が走って居た。

  西武池袋線の北500m程の所を並行して、行政道路が走っている、宮本町交差点を過ぎると茶畑菜園の畑ばかり、現在の緑町3丁目交差点の所に住宅公団第三団地が有り、それを越すと、北中辺に道路沿いに農家が5~6軒あり、その向かいに「キンケイ食品」工場 「いるま卵」の集積所が有ったのみ、行政道路から電車の走行が見えた。
 
 農家も家も一軒もなく、夜など灯が一つもない真の闇の純農村地帯が、昭和44年を境に大きく変化を始めた、現小手指駅南口周辺の区画整理が始まり、道路と居住区が整然と出来上がった、同時に北口も開発が有り、ロータリー予定地とそこから行政道路まで500mの歩道付きの、広い道路が完成した。

 昭和45年11月20日、小手指駅が共用を開始した、この小手指駅開設で北口周辺が時を経て発展していく、昨年から電線地中化工事が始まり、電柱 電線が無くなり空はスッキリ、歩道もカラー煉瓦でおしゃれな街になった。

 所沢へ転居して56年、途中8年間仙台赴任で留守をしたが、所沢60年近い発展を見てきた。

 
昭和44年小手指南口の山口地区の区画整理事業が始まる、狭山ケ丘方面を見渡しても建物は一軒もない
 
昭和45年11月20日、平屋建て構内踏切の北口改札のみの小手指駅が開業
 
駅開設に伴い、駅前ロータリー用広場と行政道路まで、500m程歩道付の広い道路が整備された、近郷のサラリーマンが、駅前道路に車で来て放置、都内へ通勤、自転車も駅前ロータリーへ放置、その当時は商店も何もなく、余り障害にはならなかった。  だが後年商店が増えてきたころ、駐車 駐輪禁止になった。
 
中央上に小手指駅、その上方に公団住宅第.三団地が見え、駅左方向に行政道路までの道路が有るが、建物は何もない、駅左下は区画整理が完成して、整然とした道路が見られるが、建物は何もなし。      空撮 西武資料から転写
 
昭和51年小手指駅舎も橋上駅に改修され、南口改札も出来、南口も発展する、未だこのころは駅前に雑木林も広がって居た
 
昭和56年西友小手指店が開店、当時の宣伝文句には、もう池袋のデパートへ行く必要はありません、と云っていた、地下1階地上4階確かに便利になった、この西友が出来る前から商店が軒を並べる様になり、小手指駅前も、買い物客でにぎわうようになっていた。
 
平成22年には北口前に、超高層ツインタワーの工事が始まり、発展に拍車が掛かる
 
駅前にあった園芸店も閉鎖、平成26年にはイトーヨーカドーモ開店
 

平成28年電線地中化工事が始まり、空はスッキリ、歩道はカラーブロックを張り綺麗になった、駅から行政道路に向かって写す

 
行政道路側から駅に向かって写す、空はスッキリ、ほんとにお洒落な街になった。
 
 
 
 
 
 
 
 

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