老いて楽しく

余生を楽しむ

就活いや終活だ

2016-07-13 11:42:00 | 日記
人生最後の整理

  「就活」と云えば学校を卒業して、新しい職場を選び、自分に合った職業に身を投じて、自分の才能をを発揮する為の活動だ、自分が選んだ職業に身を投じたが、時間を経ると、あれ自分の思った事と違うと違和感を覚えると思う、そんな時は柔軟的に考え、自分に合わない仕事は思い切って辞めて、自分に合った仕事に就くべきだ、若いのだから道はいくらでもある、職場の雰囲気にも大いに左右されるが、いい上司 いい同僚に恵ぐまれると能力以上の物が発揮される。

 小生の言うのはそんな若い人が希望ある「就活」とは違う、「終活」である、人生の最後に、「立つ鳥跡を濁さず」と云うが、小生の死後残された遺品の処分が大変と思い、今迄自分の人生で溜ったものを処分している、本は総て処分したが、生きている以上本はまた溜まってしまう、その都度処分はしているが、50年近く書き溜めた日記帳も総てデジタル化して、年代別にフォルダーに保存、昔の思い出を探すのはキーワーどを入力すれば直ぐ表示される、、日記帳では探すことは不可能だろう。

  自分が大切に保管し宝物と思っていても、妻 子にしては何の価値もない、がらくたと映るかもしれない、自分の終焉なのだから思い切って処分しよう。

 衣料品に就いても洋服箪笥に有る背広もコートも、年齢を経て体型が変わり着られなくなった服も多い、クリーニングして綺麗にしまってある、今発展途上国援助で衣料品を自治会で回収している、此の洋服も自治会に出して洋服箪笥の整理もしよう。

 終戦直後、食料 衣料品 総ての生活用品が欠乏して居た時に、アメリカが中心になって「ララ物資」と云うのが有って、生活物資が届けられた、その中に中古の程度の良い洋服が有り、皆競って支給を受けていた、戦後の苦しい時に各国が援助してくれた、今は少し豊かになった日本、そのお礼に途上国へ送りたい、此れも身辺整理の一端。
 
 家新築の設計図、総額、建前の写真、何年か毎のメンテナンスの見積もり書、領収書、総てをスキャンして、工事進捗は写真に記録する建築費 修繕補修などの、総額は一目瞭然、一軒の家を維持すには大変なお金がかかる。
 
 家族の通院も記録する、その時々の診断と投薬で健康状態が判断できる、2月にある確定申告の時に大いに役立つ。
 所沢医療センターで20年間続ける人間ドックの診断結果を記録、エクセルで表にすると、年を追う毎に体の劣化が分かる、だが悪い所を気を付けると数値が改善されていると嬉しくなる。


 家計簿は付けて居ない、家内が使いたい様に使い、それに一言も口は挟まない、だが自分の小遣い帳は付けて居る、その年代で好みの酒 煙草 年代によって給与がアップするに従い、煙草も酒もランクが上がる、その時のたばこの銘柄 各種酒の値段が今と比較でき、時代考証が出来る。

 身辺整理をしていくと、思いがけない物が続々と出てくる、自分の勤めた会社の辞令 給与証明 思い出の写真 仙台転勤時、送別会を開いてくれた上司 同量 後輩の寄せ書き、妻がよく整理してしまって置いたものだ、すべてデジタル化してフォルダーに収納した。

 デジタルカメラが出てからは、写真は直ぐPCに保存できる、その以前に写したフィルム写真はネガで保存していた、整理をしていたら戦前と終戦直後の写真が出て来た、戦後復興の為、昭和22年に山梨県中等野球大会が開かれ、物資不足の中、我が村のチームが県大会で優勝した、自分もそのチームの一員だった、そんな記念写真も残って居た、後日写真付きで投稿しよう。

 65年ほど前の35ミリ24枚撮りのフィルムのネガが出てきた、写真屋へCDへ移すのを依頼した、400枚以上、どんな写真が写っているか楽しみだ。

 そんな自分の半世紀の諸々を記録してある、そんな物を記録して何になると笑う人も多く居る、だが自分の人生を本に残す程の才能もない、ただ自分の人生をあらゆる面で記録した、そんな資料をHDD2個に記録してある。
 
 先年 孫の一番上のが厄年を迎え、川越大師で厄除け祈祷をした、厄除けをして祝い膳を倅 孫と囲んでいた時、自分の記録を話した、孫が直ぐ反応してその記録を是非見たいと云う、良かった、自分の生き様(ざま)を見て呉れる、孫達がこの記録を見て何かの糧にしてくれたら、苦労は報われる。

先日取引銀行から、「相続と遺言書作成」のセミナー案内状が来て受講した、店長とコンサルタントと三者面談、遺言書作成が重要な事を認識した。