老いて楽しく

余生を楽しむ

親友と一献

2019-12-11 14:27:39 | 日記

 

親友あり来りて 酌み交わす また楽しからずや
 
小学生時代から70年来の友、戦争と云う不幸な時代も有ったが、終戦から40年間音信不通の時代を過ぎ、平成7年或る機会に旧友20数人が一堂に会した、卒業時64名居た同級生も、半世紀を過ぎると、消息の分かる人は20人余しか判明しなかった、その後同級会等で旧交を温めたが、年も取り同級会も10数年前に幕を閉じた。

高齢化が進み、冥界に籍を移す人が相次ぎ、今連絡の取れる人は5指に満たない、その中でとても信頼する友がいて、年に何回かささやかに一献酌み交わす。

昨日お互い空いた日が合致、所沢駅改札口11時半に会い、気軽にはいれて、気楽に話し合える庶民的な店がいい、プロぺ通りの「磯丸水産」で昼間から乾杯、昼間から酒を飲んでと、そしりを受けるかも知れない、だが年を考え、足元の明るい内に帰るよう心掛けている、夜の宴会は暗くなって自転車の帰宅は、危険を感じ一切遣らないことにしている。

70年来の友、メールで近況を知らせあい、気心が分かった友、小学時代 現在迄の越し方 近況など話し時には自己主張も出てくる、反発する年でもない、相槌を打ち楽しく会話、本をよく読み博識多才、ぼんくら小生にはいい刺激、パワーを貰らっている、こんな貴重な得がたい親友、何時までも元気で一献酌み交わしたい。
 
昭和13年ころか、小学校3年生くらいと思う、大泉学園に芋堀遠足、当時の大泉学園駅前は、数軒の店があり、あとは農道脇に畑が広がる農村地帯、この場所が何処か不明、今では考えられない、一組当時64名居た同級生も、消息の分かるのは4~5名なった
 
今も親しくお付き合いしている同級生、庶民的な気楽な店で、旧交を温める
 
先ずはともあれ、酎ハイで乾杯
 
年も取りお互い小食になった、適当なおつまみを取り、酌み交わす
 
サザエのつぼ焼きなど腹にたまらず、磯の香りも香ばしい、他に帆立貝柱等で、昔話から近況、話が尽きず3時間話し込んだ、
 
よく飲んだけど、庶民的な店で、楽しく語り合った、清算は以下の通り、これで旧交が温められれば安いもの。
前回友の写真展へ行った時、友が会計をした、今回は自分がと言ったら、それならこれから一切のお付き合いを止めると友は言う、何を言って居るのだ、そんな事で70年来の友情が消えるのかとなった、結局は割り勘に落ち着いた、なんでも言い合える貴重な旧友
 1

終活

2019-11-24 09:02:26 | 日記
終活もほぼ終わった
 

昨年10月所沢西武へ行った、入り口廊下に法律家が10人くらい、机を並べ庶民の法律相談に乗っていた、自分でも年を考え、そろそろ遺言書を作成して置かなければいけないかなと、漠然と頭の中にあった。

法律家が並んでいたので、参考の為に話は聞いていてもいいかなと、ある人の前に座り、遺言書作成の話をした、矢張りきちっと法に叶った遺言書を作成する必要があると思った。

相続は「争続」とも言われる、預金 証券 不動産大きな金額が動く、誰しも金が絡むと欲が出る、その醜い争いが起きないように、家裁でも通用する法的に叶った遺言書を作るべきである。

相談に乗って貰った法律家は「司法書士」で所沢駅に近い所に事務所を構えている、遺言書作成には、自分の家庭状況や預貯金 不動産を開示して相談しなけらばならず、相談する司法書士とも信頼関係を築かなければならず、何回か事務所を訪れ、雑談をしてその人柄を信頼して、本論の相談を始めた。

法的に叶った遺産分与は、後から苦情の出ない物を作らねばならず、法律事務所にも随分通って話を詰めた、戸籍謄本 住民票 全ての預金通帳番号(金額は明示しない) 証券等 土地謄本 家屋登記書 不動産関係の分与を書き込み、正式遺言書ができるまで数か月掛かった、正式遺言書が出来て、司法書士が同行してくれ「所沢公証人役場」へ登記した。

正式遺言書は3通作成され、公証人役場 司法書士 本人が所持する、小生が天国へ行ったら、直ちにこの遺言書が執行される。

遺言書作成後は、自分の死後の処し方だ、今年春我が家の近くに葬祭社が開店した、こじんまり家族葬を遣ろうと思っている、自分の葬儀に参列してくれる人が楽なように、駅に近く分かり易い所を選んだ。

その葬祭社と葬儀の形式と、費用を決めて来た、参会者の人数にも依るが、お清め酒食も大まかに取り決め、大体の総額も決まった。

自分の人生の大団円も遺言書はでき、葬儀形式 費用も概略決まった、20年程前に朝霞市にあるお寺の墓地を買い、2年前家内が建墓した、これで大体終活は終わった。


こんなことを書くとお金持ちの様に思えるが、僅かな預金と不動産があるのみ、庶民的遺言書である、一応自分の始末もできて気楽になり、これからもう少し長生きして老後を謳歌する時間になりそう。

 
公証人役場に公正証書として受理されていれば、法的有効遺言書
 

新旧交代-2

2019-11-21 09:36:55 | 日記
暖房具更新
 
2年程前家内が、炎が出なくて安心だから、パソコンを遣る時にラックの下に置いて毛布を掛けると暖かいので、オイルヒーターを買うかと提案があり、買ってくれるなら良いよと買って貰った。

使って見るとなかなか温まらず、毛布を掛けた膝回りだけは暖かいが、部屋を暖めるだけのカロリーはなく、上半身は寒い、だが冬の好天の時は、太陽も低く部屋の中へ2m以上も日が差し込み、10時前から3時までは、日差しで暖房は全くいらない、朝の内だけ暖房が欲しい。

オイルヒーターは余り役立たずと言ったところ、新聞広告の遠赤外線ヒーターは、熱量も高く即温まり良いのではないかと言う、我が家の財務大臣が言うのだから買って貰った、コンパクトで中々快適、また古い不要な家具が増えた。

今月初め電動自転車を買ったが、自分の好みで良い物を買ったので、自分の小遣で買った、暖房機は家内の提案だから買って貰った。

年を取って終活で家具を処分していかなければいけなのに、新しい物を買うとまた在庫が増える、限りなくあの世に近くなった年齢、近々家具引き取り業者に大型家具を引き取って貰おうと思う。
 
このストーブ何とも反応が遅く、なかなか温まらない、炎がなくて優しい暖かさで、毛布を掛けると膝回りは暖かく快適だが上半身が寒い、部屋全体を温める熱量もない
 
遠赤外線、温まりも早く熱量も高く、部屋全体も温まる、炎がないので毛布を掛けて膝回りを温めるが、弱でスイッチを切ったり入れたり
 
薄型でコンパクト、年々良い物ができるので、つい不要家具が増えてしまう
 
ガラス越しに部屋へこれだけ陽が差し込むと、日中は暖房は全くいらない

新旧交代ー1

2019-11-17 10:48:45 | 日記
よく働いてくれた自転車
 

もう10数年前になるだろうか、物事に対する反応、判断力 瞬発力 動作など少し衰えが出たかなと感じられるようになった時、家内からもう車の運転を止めたらと言われた、自分でもそんな風に考えていた時、傍からそう言われると、なんとなく反発を感じる。

でも万が一事故を起こしたら、物損事故ならまだ良い、人身事故で、死傷事故なんか起こしたら、一生心に重荷を背負って行かねばならない。

年間の車維持費をタクシー代に替えれば、安い物と廃車を決断した、車があれば庭先から目的地まで、乗り換えもなく行けた、矢張り行動半径が極端に狭くなり、不便を感じたが、慣れれば公共交通機関を利用、安心して乗れ、旅行などバス 電車の車窓から景色を眺め酒も飲めるという気楽さがある、タクシーはあまり使わない。

廃車後は自転車を利用して、足の筋肉を鍛えようと、専ら自転車を愛用したが、近年長く緩い登り坂 急な登り坂乗り切れなくなった所もあり、息切れもする、年寄りの痩せ我慢をすることもない、電動自転車を買うことにして、ネットや自転車屋を回りどんな自転車を買うか検討した。

電動自転車も8万円から13万円超各種ある、ピンからキリまで5万円の開きがあるが、メーカーも唯金は取らない、高ければそれなりの物を備えている、車体の頑強さ各種機能も充実、ブリジストン自転車の13万円超を買って、快適に乗っている.

 

 
8年間自分の足として活動して呉れ、6~7km先まで用足しに行った、だが足の筋力も衰えを感じ、引退してもらった
 
新規購入の電動自転車、ブリジストンアルミ車体、各種機能が揃い快適
 
バッテリー残量 3段階電気出力表示 3点灯最高出力 左の回転部分を少し回すと警告ベルが一回鳴る、バッテリー満杯で60㎞超走れると言う、買ってから10日も経つがまだ50%残っている、20%になったら充電してくれとのこと
 

速度3段階切り替え、平地で速度3電動補助3にすると、ペダルに掛かる負荷は本当に軽くなる、楽々走行でスピードも出る、少し踏み込むと年寄りには危険なスピード、坂道も走行モードを1段落とすと楽々登れる

 
下り坂走行や平地走行でペダルを踏まないと、充電器が機能充電する
 

空気入れの傍に何かセンサーが有り、空気が減ると2mm程の赤い線が出たら店へ来てくれと、普通空気入れでは入らないとか、それもまた不便だ

 

友近くにありて一献 楽しからずや

2019-11-13 15:00:55 | 日記
折に触れ一献酌み交わす
 

近くに尊敬する友が居て、時折路上で行き会い雑談を交わす、季節に触れ一杯やろうかと話になる、直ぐ近くの交通量の多い4つ角に、デニーズ ガスト 天狗のファミレスがある。

その友ビールは好きだが、生ビールジョッキは飲まない、必ず瓶ビールのみ、其の4つ角の一角に「天狗」がある、この店は大瓶ビールを提供してくれる、今はどの店も中瓶ビールが多い、あの中瓶ビールは何となくちまちまして飲み出がなく好きでない、矢張り大瓶がどーんと出て気分も盛り上がる。

その友と偶には気分を変えて、所沢プロペ通りの「さかな屋道場」で一杯酌み交わした、何時もは大瓶4~5本を飲み干すのだが、この日は中瓶4本、刺身5点盛り一品のみで飲む量も、おつまみも少なかったが、2時間以上いろいろな話題を話し愉しいひと時だった、考えれば自分も其れなりの年で、電車で帰らねばならず、ほろ酔いで危険のない良い酔い加減だった。

隣り街には小学生時代の級友が居て、この友今も各種勉強会に出て博識多才、色々教えられる、矢張り年何回か酌み交わす、80年来の得難き友である、来月初め所沢で、ささやかに忘年会の約束をする、とても楽しみだ。

 

 
気心知れた友とまずは乾杯
 
もうそれなりの年になったか、おつまみも少なく、飲む量も少なく、でも会話は楽しく、飲み食いだけではない、友との会話が楽しく、それが貴重である
 

川越を歩く

2019-11-10 10:52:44 | 日記
見慣れた川越もみんなで歩くと楽しい  
   
川越市は蔵の街を中心に名刹 古刹 有名神社 川越城 川越祭りで勇壮な山車の引っかわせ見るべき所も多く、近年とみに観光客が増え活況を呈している。
大正通りと言うレトロな通りには、貸衣装屋も多く、最近は若い女の子が和服に着替え、彼氏と手を繋いで、そぞろ歩き、中々良い風景である。

自分でも川越はよく行く、正月喜夛院の初大師には達磨収めは毎年恒例、新河岸の桜見物、晩秋頃催される、連馨寺から札ノ辻までの「朝鮮通信使」の時代絵巻、異国の楽器を打ち鳴らす行列、楽しい絵巻だ、秋には喜夛院の菊花展、よく見物に行って川越の街はよく知っている。

そんな馴染んだ川越を散策するグループに参加した、もう川越の街は知っているよと言ったら、身も蓋もない、よく知った街も大勢で会話をしながら歩くと、また違った楽しみがある。 

今年も「朝鮮通信使」のパレードが10月10(日)に0時30分連馨寺を出発する、今年は各種団体も参加、盛大な行列になるそうだ
 
   
昨年の「通信使パレード」盛大で楽しかった,今年はもっと盛大に行われる様だ、  
 
   
本川越駅頭でリーダーから渡された今日のコースを確認する会員  
 
   
江戸時代川越には、北院 中院 南院の3院があり、当時中院が一番勢力を誇ったが、北院が徳川の庇護を受け勢力を拡大して、名前も喜多院となった、その後南院は明治の神仏分離令で没落した様だ、寺域も極端に狭くなり、僅かに墓石 多宝塔を残すのみ、中院は今も広大な寺域を持って、昔の威厳を保っている  
 
   
最初喜夛院へ行く、普段の日の10時前参拝者も閑散、境内で菊花展を遣っていたが、皆さん関心がなく見物の予定なく、次の川越城へ向かう  
 
   
川越城本丸御殿 破風創りの表玄関  
 
   
奥院の庭園に面した長廊下、晩秋の日差しが燦燦  
 
   
長廊下に日向ぼっこして寛ぐ会員たち、適度に腹ごしらえも  
 
   
家老部屋で政策論議を交わす家老達か?川越城内の昔の再現  
 
   
川越城の庭園の一部  
 
   

川越氷川社 木製では日本一の大鳥居 扁額の文字は「勝 海舟」の文字

 
 
   
菓子屋横町を散策の会員たち、修学旅行の中学生が一杯居た  
 
   
昔懐かしい1mもある麩菓子、中学生たちが無心に齧っていた、  
 
   
川越らしい石畳に人力車には女性、絵になる風景だが、夜目 遠目 傘の内と言う言葉もある、後ろからがよかったか  
 
   
よく見慣れた時の鐘、紺碧の空にそそり立つ  
   
   
   
   
   

地域活性化

2019-11-04 14:51:57 | 日記
大型店舗開店で地域活性化
 

我が家の近くに道路新設が40年以上前に計画されていた、その新設道路の工事が進み完成間近か。
 40年程前に開店して、とても便利に利用させて貰った、島忠ホームセンターがその道路建設にまともにぶつかり、移転を余儀なくされた。

平成28年平屋建て店舗を閉鎖、近くの鷺宮製作所のグラウンドに4階建て、1階はホームセンター2階は家具売り場3~4階は駐車場と拡大発展して開店、大変便利で繁盛していたが、H30年には2年ほどで休店、店舗大改造で拡大、食品店も包含して、令和元年10月31日にリニュ―アルオープン、大変便利な店が開店した。

T字路だった道が十字路になり、島忠の隣には食品スーパー マミーマートが一昨年開店、道を隔てると30数年来繁盛している饂飩の「民芸」があり、対角には自動車部品大手の「イエローハット」があり、人が集まれば賑わい、その地域が活性化する、新道開通間近かで地域が活性化した。

 
もう40年近く前だろうか、小手指陸橋北T字路に「島忠家具 ホームセンター」が開店して、ネジ 釘一本から家庭用品小物が何でも揃い大変重宝した
 
40年前に計画された新道の工事が進み、新道が島忠にまともにぶつかる
 
H28年12月1日、近くの鷺宮製作所の球場跡地に、1階ホームセンター2階家具売り場3~4階駐車場にして開店、この店も2年程で休店
 
R1.10.31拡大した店舗が開店、新道も開通間際、隣接して食品スーパー マミーマートも開店、向かいにはうどんの「民芸」が30年以上繁盛している
 
道路反対側には、自動車部品大手の「イエローハット」がある
 
開店当日道路は大渋滞、自転車置き場がない程、整理係員汗だくで対応
 
家庭用品売り場より食品売り場に客は殺到、開店記念値引き品が大人気
 
食品売り場のレジは10数列あるが、どのレジも30人程並び、最後尾はここですよーと係員が呼びかける
 
最近高級志向で良い食品 旨い食品に人が集まる
 
1つの大きな店が開店すると人が集まる、人が集まると、周りの店も活性化する、我が家近くの小手指駅周辺から、北中が大変活性化して賑やかになった
 

所沢 フェステバル

2019-10-30 10:44:38 | 日記
大盛況のフェステバル
 

所沢市には、明治44年に開設された、日本飛行場発祥の跡地に「所沢航空記念公園」がある、この公園で昭和55年に始まった「市民実行委員会」主催の「航空公園フェステバル」がある、初年度はPR不足もあり知名度も低く、出展店舗も少なく、祭り参加者も少なく低調だったが、年を追う毎に人気が出て、今年40周年を迎え、好天に恵まれ、朝から大変な賑わい。

小生も初回から一度も欠かさず参加、その年々の盛況ぶりをつぶさに見てきた、今は広い公園の敷地一杯、各種露店 所沢伝統のお囃子「重松流」(じゅうま流)祭り囃子 踊り 植木展示 地場野菜即売 カラオケ 自転車曲乗り 和太鼓連数連が競演とても盛大になった。

昨年39回の出店数450 協賛団体35 参加者35万人とある、今年は好天に恵まれ参加者はもっと増えたか、毎年盛大になり楽しい催しである。

 
 
好天に恵まれた第40回フェステバル、多くの露店が並び、開場早々から大勢の人で賑わう、この奥にも露店や催し物が多く出店している
 
魚沼産コシヒカリの升売り、今各地で旨い米が生産されている人気いまいち、コシヒカリ団子には人だかりが
 
新潟の笹団子自分では好きだ、ちまきも旨い、結構よく売れていた
 
佐渡の柿「おけさ柿」この柿は佐渡ケ島にしかなく甘みが強く、とても旨い柿だ
 
太いフランクフルト、焼き厚揚げどちらも旨いが、売れ行き悪いのか、鉄板の端へ避けられ、何故か売り子さんの目が暗い
 
ケバブ何処の料理インド?、時間が早かったので未だ手付かずの肉塊、どうやって食べるのか、食べた経験なし
 
所沢地ビール、午前中なので飲む気にもなれず、所沢駅東口エミオに店があり何時でも飲める
 
「銀だこ」のたこ焼き、以前所沢へ用足しに行くとダイエー地下でたこ焼きをお土産に買って帰った、ダイエーが9月30日で閉店たこ焼きが買えなくなった
 
石巻焼きそば、仙台味噌から揚げ、昭和50年代仙台に滞在頃は知らなかった食品、仙台と言えば昔は「とんちゃん焼き」今は「牛タン焼き」らしい、年々食品も進化する
 
抹茶いり鯛焼き余り珍しくもないが、色は奇麗だ
 
リンゴ詰め放題、大きなフジリンゴ袋の上に4個も乗せ溢れんばかり、腹で抑え両手で抱え込み、11~12個¥800、こうゆう買い物は女性が良い
 
お茶の詰め放題、近くの馴染みのお茶屋さんもいて、毎年買ってくる
 
何と言っても人気は「所沢団子」常時20人以上並び、焼くのが忙しい
 
生醤油の焼ける匂いが何とも香ばしい
 
時間を追って益々人が増え、大盛況
 

三日月

2019-10-26 15:47:23 | 日記
早朝の三日月も写真では、また違った印象になる
 

古き良き友が隣り街にいる、隣り町と言っても県名は違う、直線距離にすれば10km程しか離れていない友の所は晴れていたが、我が家辺は雲があり三日月は見えず。

今日早朝奇麗な三日月が見られ、写真愛好家の友、早速三日月を撮影、メールで送ってくれた、 奇麗な写真を撮った、自分のメールの中だけに保存しているのは勿体なくて、大勢に公開したくて、友に公開してもいいかメールを入れ、許可が出ぬ間に公開してしまった、著作権侵害だ、友からお叱りを受けたら、今度呑んだ時に謝り許しを乞おう。

 
輝く三日月の上に兎の餅つきが見える
 
次の瞬間下に薄雲が掛かり、また違った三日月となる
 

多くの災害に遭遇して

2019-10-21 11:51:34 | 日記
長い人生 いろいろ体験する
 
小生も長生きしているため、大きな災害に遭遇してきた。
昔から言う怖い物(今は死語になったか)「地震 雷 火事 親父」と言われてきた、何故か水害が入っていない。

「地震」は身の危険を感じる大きなものには、自分では遇っていない、東日本大震災は、関東も大きく揺れたが何の被害もなく、恐怖心はなかった、だが地震も大きな恐怖と大災害を及ぼす。

「雷」は昭和15年6月に大雷雨があり、大蔵省他官庁街が落雷により焼失した、稲妻と同時に轟く大雷鳴、小学初年の子供にはとても恐ろしく、父親の膝に顔を埋めていた、怖かった雷の体験。

「火事」昭和20年、年初からアメリカのB29の首都爆撃が始まり、3月10日の絨毯爆撃は凄まじかった、本郷区千駄木にいたが、焼夷弾攻撃でまわり中火の海、逃げ出す隙間なし、幸運にも我が町内焼け残り九死に一生を得た、死を感じるとか恐怖心はなかった、家族と一緒に終わればいいと思って居た。

「親父」我が父親 明治生まれで頑固で怖かった、だが其れは躾で、時にはデパートの食堂へ連れて行ってくれた、当時デパートで食事はうれしい事だった、今の父親はおやじの権威も薄れ、優しいお父さんで怖さはなくなった。

「水害」4大怖さの外に水害がある、戦後直ぐ山梨で大水害に遭遇した、生命の危険は感じなかったが、それは凄まじいものだった、近年大型台風が襲い、大きな水害が広がり、多くの犠牲者が有り、多くの泥で後始末が長期に亙る、水害を体験した者にはその苦労は分かる。

世に4大恐怖と言うが、水害を含め5つになるか、地震を除き総て体験した、生死を分ける様な出来事に遭遇した事は、人生に大きな教訓となっている。