老いて楽しく

余生を楽しむ

99回目の快挙

2017-08-26 18:46:59 | 日記
 
おめでとう花咲徳栄高校

 優勝した時点で投稿しようと思って居たが、思はぬPC不調で遅くなってしまった。

小生所沢に住んで56年、生まれ故郷ではないが、人生の大半をこの所沢で過した、謂わば第2の故郷と云っても過言ではない。
甲子園高校野球99年の歴史の中で、何時埼玉に深紅の優勝旗を齎してくれるのか毎年期待していた、決勝戦まで進んだチームも何校かあったが、準優勝に終った

 今年は遂に目的を果たし優勝してくれた、埼玉県民挙って喜び大拍手を贈るだろう、小生も超高齢の部類に属して、さいたま優勝は見られないと思って居た、だが「花咲徳栄」が遂にやってくれた花咲徳栄高校 監督 コーチ選手一同に賛辞と拍手を惜しまない、花咲徳栄高校有難う。

 埼玉の名を挙げてくれた、母校の所在地は加須市だ、近年 饂飩をアッピールしている、加須のうどんを食べに行きたいが、其処まで饂飩を食べに行く気力もない。

 今から40年程前になるだろうか、所沢商業高校が埼玉県代表で甲子園出場を決めた、所沢から甲子園へ選手を送り出すのは初めて、日吉町商店街(プロぺ通り)銀座通り(ファルマン通り)に横断幕や幟が飾られ、選選手を甲子園に送る経費の寄付金集め、所沢市内が沸き立っていた、所澤市内も大変な賑わいだった、甲子園出場でもこの盛り上がり。

 日本一になった花咲徳栄、埼玉県民挙げて祝福し、地元加須市の喜びはひとしおだろ 
 
 尚ここに掲載した画像は総てNHKのテレビ画面を拝借した。 

タイトルに99年目の快挙と書きましたが、正しくは99回目です、訂正とお詫びを申し上げます。

 
優勝瞬間を喜び合う花咲ナイン
 
健闘を称え合う両校ナイン、
 
選手の活躍に心からの賛辞を贈り、自分の喜びを嚙みしめる、徳栄監督、感無量であったろう、
 
優勝の喜びに、母校校歌を高らかに歌い上げる、徳栄選手たち

72年前の今日

2017-08-15 18:23:37 | 日記
72年前の当日
 

72年前の今日は我が家は一家揃って、山梨県へ疎開していた、疎開先は山梨県の甲府盆地、甲府市を離れること東へ三里、ブドウの産地勝沼から下った、甲府盆地の東外れ葡萄と桃がとても旨い所だ、四方山に囲まれ擂鉢の底のような地形、夏は物凄く暑く、冬は冷え込みがきつい土地、此処が両親の育った土地。

 3月9日深更から10日早暁に掛けての東京大空襲、四方猛火に包まれ逃げ場なし、幸いにも我が町内が、奇跡的に延焼を免れ、九死に一生得た、この惨状を見た父親が、「此の侭では一家全滅する」と一家疎開を決断、4月半ばに上記土地へ一家疎開した。

 6月6日深夜から7日未明に掛け甲府市がB29の爆撃を受けた、三里も離れた土地の大火災 空は真っ赤に染まり、甲府市は阿鼻叫喚の渦だったと思う、だが目の前四方を猛火に包まれた経験を経た自分では、対岸の火事 高見の見物と云った様な心境だったのか、戦争は我が身の苦しさを味わい、人の心も分かる筈だが、何故か甲府の火事を対岸の火事と見てしまった、戦争は人の心を荒ませる、此の甲府空襲を七夕空襲などと云う。

 72年前の8月15日は、山梨地方朝からギンギラの太陽が照り付け、今でいう猛暑日だったかも知れない、父親は親類の空き地数反歩を耕して居た、暑いので早朝畑仕事をして日中休む(朝作り)をして朝食に帰ってきた、朝のニュースで今日12時に、天皇陛下の重大放送が有ると云っていた、父親は 6月23日に沖縄戦が終了して、いよいよ本土決戦を告げられると覚悟したようだった。

 12時前に家族がラジオの前に集まった、中学一年の小生には陛下の言葉は難しかった、聞き終わり父親が戦争に負けたと話してくれた、父親の心境は日清 日露 支那事変と負けを知らぬ日本が、戦争に負けた、明治生まれの頑固者許せなかっただろう、だが半面、中支へ行っている長男 軍属で輸送船に乗っていた二男が帰ってくる、此の喜びの方が大きかったのではないか。

 子供心にも警戒警報が発令されると、着替えをして脚絆(ゲートル)を巻き、眠れぬ夜、夜は灯火管制で明かりを暗くしての生活、何よりもB29の空襲がなくなったのが良かった。
 平和は戻ったが、その後物凄いインフレが襲った、一夜明けると米一升の値段が上がっている、インフレ抑制の為、当時一番の高額紙幣100円札に証紙を張った物でないと通用しない等の処置がとられた。

 玉音放送を聞いた人も、インフレを知る人も少なった。

 
昭和初期から開戦頃まで普及していた真空管縦型ラジオ
 
少しずつ増えてきた横型ラジオ、玉音放送を家族で聞いたのはこのようなタイプだった
 
玉音録音室 NHK放送博物館資料より
 
終戦を告げる玉音板 アルゴンガスに密閉され厳重保管される玉音版NHK放送博物館資料より  
 
 
 
 
 
 
 
 

旧交を温める

2017-08-02 10:28:16 | 日記
野球観戦か飲み会か
 

 定年退職後第2の職場へ勤務した、そこは職員5人の職場で、西武グループの要職を務めた人が管理者で、他の4人は有る法人から紹介された職員で、此の職場は年中無休で毎日3人が勤務して、2人は休み職員の長老がローテーションを組み回転させ、毎月の勤務日数は20~21日 多い時でも22日勤務。

 この職場勤務時間は、朝9時から夕方4時迄7時間、毎月100時間以上も残業を遣らしておいて、満足に残業代も払わないなんて事は無い、何故なら年間通して残業は絶対無いから、但し大晦日から3ヶ日はフル動員で徹夜残業を遣らねばならない。

 12時から1時迄昼休みは特に設けてない、管理者から食券を貰い、西武社員食堂で、11時半から1時半まで交代で食べに行く、ご飯大盛り オカズ追加、麺類は倍盛りもOK,そんな事で特に昼休み時間は設けていない。

 年間を通して忙しいのは春 夏 秋それぞれⅠケ月くらい忙しく、暮れから正月に掛けて5日くらいが多忙を極める、後は比較的ゆったりした毎日の勤務、通勤定期支給 食事支給 給与も定年後にしては高給、同額の賞与年2回、時には臨時収入が多いと、臨時賞与と云って1万円程支給される、清酒の寄贈も多く、4時勤務終了後、管理者が「気付け薬を遣ろう」と一杯飲んで駅に向かう、こんな職場他にあるだろうか、第二の職場としては気楽で優遇された職場だった。

 その管理者が、退職後10数年経ったが毎年「野球の券が入ったぞ」と4人の人を招待してくれる、年に一度の出会い織姫と牽牛みたいだ、席は内野席ネット裏、時にはボックス席、会えば皆酒好き、酒を酌み交わしながら野球観戦、お喋りか、酒呑みか、野球観戦か何が主か分からなくなる、何が主でもいい、旧友と出会い酒を酌み交わし、野球観戦この出会いが楽しく嬉しい事だ。

 春先に友達から野球招待券を貰って、同級生と西武球場へ行った、矢張り酒好き同級生、酒とおつまみを用意、だがそのおつまみも、柿の種 イカチーズ 干物類のおつまみで、口中の水分を奪うものばかり、時には目先を変えてと、鯖寿司と焼き鳥を用意して行った、評判が良く、今回も鯖寿司を用意していった、好評で気分良かった。 旧交を温めた真夏の一夜だった。

禁酒の掟をまた破ってしまった、友と語らい酒を酌み交し、野球観戦の楽しさ追及の為、掟はすぐ破ってしまう、残り少ない人生楽しく生きた方が得か、禁を破ること、亦楽しからずやの心境

 
当日ナイターだったが、3時頃から大降りの夕立、5時頃には止んだが、焼け付いた地面に降った雨が蒸発して物凄い蒸気、西武ドーム内はライトもバックスクリーンも湿気で滲んでいる。
 
小生球場の階段を上り下りだけで疲れる、若い売り子は重いサーバーを背負い、階段をどのくらい昇り降りするのか、若い活力に敬服
 
ビールコップの向こうでは熱戦が繰り広げられている
 
野球観戦にビール、おつまみに鯖寿司、悪くないぞ
 
躍動感
 
西武 ベイスターズの5-1で優勢、この処西武10連勝の快進撃