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狭山市駅今昔

2013-07-29 11:14:05 | 日記


  狭山市駅の起源は、明治28年3月21日に開通した,川越から国分寺迄の「川越鉄道」の一駅として
「入間川」駅名で開業した、当時は「国分寺駅」「東村山駅」と並んで最初に開業した駅である、ご当地産業で
輸出の花形「生糸とお茶」は新河岸川の船運に頼っていたが、時間がかかり、所沢 川越の有志が出資して鉄道
が敷設され、狭山市 所沢市周辺のお茶 生糸を横浜港への運搬が、飛躍的に短縮された、そんな事情で駅開業
が早かったのであろう。
  入間川と言うと関東三大七夕で有名と言うが、小生関東三大七夕は何処を差すのか知らない、昭和36年
に所沢へ移り住んだ小生、昭和38年に入間川の七夕を見に行ったが、入間川河川敷で打ち上げ花火も有り
中々盛大で賑やかだった、その時降り立った駅が入間川駅だったので、印象に強く残った。
  その後、昭和54年3月25日に「狭山市駅」に改称され、何か非常に違和感を覚えた記憶がる。
  平成23年には駅舎は橋上駅にして自由通路も設け、駅前広場も整備されて非常に瀟洒な駅になった、
その改修完成記念で、昭和40年代と近年の対比写真を展示した、その写真の一部を使用させて頂いた。

昭和40年代の入間川駅前 平成20年頃の駅周辺か

 住民も少なく、利用者も少ないせいか屋根も小さい,この当時は1時間に上下合わせて4本しか運行されていなかった

橋上駅も完成したごく最近の写真

当時は手動でポイントの切り替えをしていた、右手に並ぶ
棒状の物がポイント切り替えハンドル

 
貨物引き込み線が有り、薪や炭の輸送倉庫も有った 乗降客も多くホーム一杯の屋根が付く
古レールで作った屋根の支柱 ホームもひび割れ 綺麗に整備された駅ホーム
今はもう懐かしい木製の改札口、定期券ははっきりとお見せ下さいの看板も 今はみな自動改札口になった
駅前の和菓子屋、駅前もまだ未舗装 駅傍に西友もでき賑わいも有る
懐かしい入間川駅入り口  

此の当時はまだまだ交通網が未整備で飯能行きは勿論、笠幡行きのバスもあった、ボンネットバスも活躍していた

 
未舗装で砂利の駅前広場 今は橋上駅となり東口も西口も瀟洒な駅になり賑わう
                                
平成25年の狭山市駅東口        

 


茄子科

2013-07-25 08:54:44 | 日記

 

茄子 シシトウ トマト パブリカ
ピーマン 唐辛子 ハバネロ、これは辛い じゃが芋
ブート ジョロキア世界一辛い唐辛子
 
  上の写真は皆共通点がある、其れは全て「茄子科」の植物である、茄子の花には万が一にも無駄花がない、全ての花に実が
 
成る、茄子科の植物はこれだけでは無いが、一般的な物を表示した。
 
 シシトウ  唐辛子 ハバネロ ジョロキアになると香辛料で、最近は激辛食品が流行で、ハバネロ ジョロキアなども多く使わ
 
れるようになった、ピーマン パブリカ トマトは色物野菜としてビタミンも豊富で、良く使われる、唯一ジャガイモだけ根菜類にな
 
るが、ジャガイモが茄子科とは知らなかった、云われてみるとジャガイモの花と茄子の花は色も形もよく似ている。
 
小人数の家で茄子を二本も植えておくと、最盛期には食べきれないほど成り、茄子料理ばかり食わされる羽目になる。

 

 
 
 
 
   これに対して「瓜科」の植物は無駄花が多い、我が家に「胡瓜」四本あり、五月二日に近くの園芸店から買ってきた、接ぎ木し
 
た苗270円する、矢張り良い苗は病虫害に強く、真っ直ぐな綺麗な姿で収穫できる、五月二九日から収穫が始まり、今日まで
 
107本収穫した、樹勢は大分衰えたがまだ幾つも花が咲いている、今月一杯くらいは収穫できるか。
 
 ホームセンターなどで一本百円程で売っているが、腰の曲がったへぼ胡瓜が多く、収穫量も少ない、そして捨てた種から自
 
に生えた南瓜があるが、蔓は10m近く伸びているが、何と実は一つしかなっていない、食べられるほど熟すかどうか。
 
 中玉トマトも胡瓜と一緒に2本植えたが、これも無駄花がなく2m以上に成長して、沢山の実を着けている今日迄に74個収穫
 
した。
 
 どんな野菜 果実にしても、元成りの物が良い、うら成りはどうしても姿かたち味も落ちる。
 
 

那智太社の大樟

2013-07-17 08:54:33 | 日記

 

    各地の巨木を掲載して居ているが、先日古い写真を整理していると、10年以上

前、紀伊半島を一周した時に「那智大社の大樟」の写真が出てきた、この時は各地

巨木をブログに掲載しようなどとは思っても居なかったので、その巨木の謂れだけ

写して、木の全容を写してなかった、今にして思えば残念だが、後悔先に立たず。

 

  由緒書に拠れば、樹齢800年、樹高27m、周囲8,3m 、熊野三山造営の勅使と

して平 重盛が手植えした樟と伝えられています。


 那智の滝と五重の塔


 瀞峡の名所「亀石」中央の石が甲羅で上に頭、両脇に足が見える


 高野山「寧々の墓」と古代杉 樹間鳥居奥の 五輪塔


セイコーミュージアム

2013-07-07 09:18:47 | 日記

 

 

 向島にセイコーミュージアムが有る、ここはセイコー社時計の展示場で、
紀元前の石の日時計から、最新の腕時計迄展示され、
案内人が懇切丁寧に館内を案内してくれ、古代の各種時計の仕組みから、
江戸時代の和時計の仕組み、、ゼンマイからクオーツに至る迄、
1時間以上飽きさせず、楽しい話を聞かせてくれて、いい勉強になり楽しい、
一度は訪れても良い展示場だと思う。

 

古代ギリシャの日時計、簡単の様だが精巧に出来ている

 

古代朝鮮の日時計

 

古代のお香時計、枠の下の溝にお香を詰めて火を付ける、一定の時間で
お香が燃えて行き、目盛によって時間が分かる仕組み

 

線香の燃えた本数でおおよその時間が分かる

 

 大がかりな水時計、下の人陰で大きさを表示している

 

 ハンドルを回して分銅を撒き上げ、分銅の重みで
時を刻むが、24時間で1時間以上の誤差が出たとか

 

錘が振り子になり比較的正確な時を刻むようになる

 

分銅時計が発達する、てっぺんの鐘の下の振り子が、
前後に振れて時を刻む

 

 将軍家に贈られた振り子時計は上の外国製振り子
時計と
決定的な違いは、上の振り子が上下2段あり
下が少し短い、上が昼間用振り子、下が夜用振り子が
昼と夜の境目に、自動的に切り替わり、夏と冬の
昼夜の長さの違いは手動で調節した、日本人の
器用さと繊細さが此の精巧な時計を生み出した。
 この頃から日本の工業的技術が、飛躍的に向上した
ようである。

 

  その後各国で時計が進化して錘の物、振り子の物
、長い板状の錘による時計等珍しい時計も展示
され
ている

 

  昭和のレトロな振り子時計、この辺になると見覚えのある人、或いは時計が
現存している家が有ると思う、小生の実家にも動いていないが、現存する。

一番左の時計。、

 

異国情緒な振り子時計

 

 大正ロマン時代から昭和初期にかけて、紳士のステータスシンボル、
懐中時計、小生が子供の頃、背広の3ツ組と言えば中にチョッキを着ていた
(今で言うベスト)の左ポケットから金鎖に繋がった金の懐中時計を右の、
ポケットから取りだして時間を見るのは、紳士の仕草、金側 銀側の
懐中時計を持つのはかなり裕福な階級、正にステータスシンボルだった。

 

 戦後はセイコーやシチズンが出した、比較的庶民的な腕時計、
その頃は21石とか、28石とか、石数の多い方が高級時計だった。
ゼンマイ式腕時計の各部品

 

その後クオーツ時計が開発され、部品数も少なく、飛躍的に正確ななった

 

  現在セイコーの最高級腕時計アストロン、
受光発電 電波 GPSを備え全地球上の時刻を
表示する


東武博物館

2013-07-02 15:14:55 | 日記

 

  先日東向島の「東武博物館」をと訪れる機会が有った、東武鉄道創業
当時の蒸気機関車、時代は下がっての電気機関車、今では古色然とした
客車も当時は最新鋭の客車として、東武各線を走っていたであろう車体は郷愁を感じる。
 大宮の「鉄道博物館」と比べると規模は小さいが、東武鉄道各線の、
ジオラマも有り訪れた人を楽しませてくれる。

 

東武鉄道社期の蒸気機関車
牽引する機関車の力が弱いせいか、貨車も小型
戦前から戦後間もなく迄、省線電車も私鉄も何故か茶色一色
現在の車台より頑丈そうな往時の車台
一時代を築いた「キャブオーバーバス」