老いて楽しく

余生を楽しむ

所沢市美術展

2015-10-30 14:37:37 | 日記
 
 

  10月24日から10月31日迄所沢ミューズ展示館で「所沢市美術展」が開かれている,会場の都合か今回は書と写真が展示されていた。

 次回11月2日から8日迄日本画 洋画 彫刻 工芸が展示される予定だ、おりしも10月24日 25日と航空公園で「市民フェステバル」が開かれていた、フェステバルを見ながらついでに美術展を見学しようと思い行ったが、
フェステバルのついでに観るなんて言えない、美術展を見たついでにフェステバルを見たという方が適切だ、そのくらい書も写真もレベルが高かった。

 小生のような素人がどうこう論評できる作品ではない、只々素晴らしいと思ってみてきた、来月2日からの作品展も期待して見に行きたいと思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

博物館鑑賞

2015-10-21 16:43:19 | 日記
 

 西武池袋線の稲荷山公園駅と入間市駅の間の線路脇に「狭山市立博物館」がある、大分以前がら行って見ようと思いつつ、ついぞ行きそびれていた、先日朝からの好天とその日は何の予定もなく、今日がいい機会と見学に出かけた。

 9時半過ぎに入館したがその日の見学者の一番乗りだった、館内へ入ると直ぐ2階まで吹き抜けの円形ドームがありその一角に受付がある、そのドーム外周にスロープがありそれを登って行くと2階展示室へと観客をいざなう。
 
 入間  狭山は歴史が古く、旧石器以前から人類が住み着いたようで、入間川の水を利用し、川沿いの段丘の暖かい斜面には住居跡や埋蔵文化財が多数発掘されている、今も多くの遺跡が埋没しているかもしれない。

 何処の郷土博物館も似たような展示になるが、旧石器時代 縄文時代 弥生時代 古墳時代と年代を追って展示物が陳列されその時代の文化の変遷が分かり楽しく見学できる。

 貴重な展示物と言えば、250万年~100万年前生息していた「アケボノ象」の展示かもしれない、入間市の笹井にあるゴルフ場の近くで骨格が発見され、発掘された、全国的に見ても貴重な発見のようだ。

 旧石器時代に作られた「石斧」 縄文時代の土器や土偶、石で作った農耕具 竪穴住居のレプリカ、銅 鉄を使った農耕具 江戸時代から昭和にかけての庶民の生活を再現していて楽しく見学できた、同時に竹下 夢二展もやっていた、この展示は、伊香保の「竹下夢二記念館」で見学したことがあり、あまりゆっくりは見なかった。見学に疲れると軽食甘味処もあり、疲れを癒せる。
 
冒頭に書いた円形ドーム型吹き抜けは、狭山市に点在する、七曲がりの井戸 マイマイズの井戸を模した造りのようだ、何となくそんな気がしたので帰りに係員に聞いたらその通りと言っていた。

                                     東大和市郷土博物館 プラネタリュウム 
                                     東村山市ふるさと博物館 
                                     入間市立博物館 アリット 
                                     川越市立博物館 
                                     川越歴
史博物館 
                                     狭山市立博物館

 近隣市はみな博物館を持っているが、所沢市は博物館がない、列挙した博物館はすべて
見学した、何処もその土地の歴史を表現していて楽しい、川越市立博物館の近くには「川越城」があり、周辺にはお堀が断片的残っていて川越城も一見の価値がると思う、すぐ前には童謡「とうりゃんせ」の歌発祥の三芳野神社がある、川越歴史博物館は民営と思うが、甲冑 刀剣 武具などの展示で、刀剣  甲冑の好きな人にはたまらぬ存在。 

   

250万年~100万年前、日本が大陸と陸
続きの頃わたって
きた、今のインド象 アフリカ
象よりは少し小さく、体重は2~
3トン、体の割合からして牙は非常に大きく立派だ、残念な事に頭部は発見されなかったようだ。

 アケボノ象の化石発見のレプリカ、自分でも定年後、市の臨時職員として、何か所か遺跡発掘に携わったことがあり竪穴住居跡も何か所も発掘した、どんな遺物が発見されるか、無傷の土器など発見したらとてもうれしい、発掘は非常に夢がある。
   
まだ銅や鉄が使われる前の石器農機具 発掘された土器類
   
竪穴住居レプリカ 竪穴住居跡も何か所も掘った 鉄類が使われ始めた農具、耐久性がぐんと伸びる
   
水車小屋で使われた木製歯車、うまく組み
合わせ計算され
ている、人間の知恵は凄い
昭和初期の庶民の居間 八角時計や立て長
ラジオが見える
   
モミとごみを風力で選別する唐箕 後ろの3枚羽は足踏み扇風機、やはりごみを飛ばす道具 江戸期から昭和期くらいまで続いた、婚礼の祝い膳、当時も結構素敵な料理を食べていた
   
明治期の交通手段 乗合馬車 戦後GHQの命で黒く塗りつぶされた教科書
   
竹下 夢二展 竹下 夢二が描いた団扇画
   
竹下 夢二作品ー1 竹下 夢二作品ー
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

所沢市制施行65周年記念

2015-10-13 22:14:04 | 日記
所 沢 祭 り
 
 所沢市は昭和25年に市制を施行して今年はちょうど65年目になる、小生所沢へ移り住んだのは昭和36年正月だ、当時所沢市の人口は、4万人を少々越す人数、当時所沢の中心部は、上町 上中町 下中町 浦町 下町 河原町 金山町 日吉町の8町会だった、昭和30年代前半に、新所沢周辺の八丁山と言われた広大な雑木林の中に公団住宅が建設され、人口も一挙に7千人ほど増え、字上新井が緑町に変更になり、旧町に加え周辺の町もできて人口も5万人を超した。

 その頃は所沢の祭りは、鎮守神明社の秋の祭礼「9月15日」に山車を引いたのが母体となって「山車祭り」が行われた、当時は毎年祭りが行われたのではなく、何か祝賀行事がある時祭礼が行われた。
因みにその例を列挙してみると。
  •  昭和3年11月10日        昭和天皇即位御大典
  •    同 12年               上水道完成記念
  •   同 15年              紀元2600年記念
  •   同 21年11月3日       憲法発布記念日
  •   同 25年11月20        所沢市制施行記念日
  •   同 28年             市制施行3周年記念
  •   同 30年11月20        市制施行5周年記念
  •   同 34年9月           神明社鳥居落慶祭礼
  •   同 36年7月           市制施行10周年記念
  •   同 40年              市制施行15周年記念
  •   同 43年11月2日        市庁舎落成記念 
  •   同 45年11月          市制施行20周年記念
  •   同 50年11月          市制施行25周年記念
  •   同 55年10月20日       制施行30周年記念
  •   同 60年10月20日       市制施行35周年記念
 この様に祭りが行われたのは、必ずしも市制施行5年目の節目だけではなく、その時の大きな祝い事がある時に祭が執り行われた、昭和60年代になると名称も「所沢祭り」として毎年行われるようになった。

 山車も明治期は各町内にあったわけではなく、時を経て少しずつ各町内が作製、昭和期に入ると一気に山車が増えたようだ。

 近年は催し物も増え、浅草サンバカーニバルが大人気、よさこいソーラン踊り、ヒョットコ踊り連  手古舞 大道芸 女神輿その他各種パホーマンスがあるが、この祭りに欠かせないのが「重松流祭囃子」だろう、大変楽しい祭りになり近年は20万人以上の人出でにぎわう。
 

昭和34年の山車祭り 、所沢の一番の繁華街銀座通りをゆく山車、所沢市街も蔵造りの商店が多く高い建物でも二階建てだった,,この頃はまだ歩道と車道の区別はなかった、当時数少ない車が山車引き回しの中を走っている。 所沢市史 民族編から借用

 
昭和45年の山車祭り、昭和34年当時と町並みはさほど変化はないが、この以後所沢銀座通りも大きく変化していく。 所沢市史 民族編から借用
 
今年の所沢祭りは午前中は雨、午後雨も止み、サンバカーニバルが開催された、音楽が始まり動き出す
 
このカーニバルのメインダンサー、パートナーと踊りが始まる
 
 
この美しい姿態プリップリ
 
大きな角をつけバッハローに扮した踊り子、無我の境地で大きな太鼓を叩き歌い踊る
 
こんな可憐な衣装の踊り子達も
 
山車の上から観客に威嚇を表現する鬼
 
鼻毛を抜いて観客に向かい鼻毛を吹き飛ばすユーモラスな仕草
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

写真展

2015-10-05 09:54:50 | 日記

  この写真展は東京都の校長先生を対象にした人たちの集まりで「東京都退職校長会 写真クラブ」という、やはりそれなりに教養 素養 見識もあり、定年後も地域社会で役員などに就き社会貢献しているようだ、年齢は60代後半から90歳くらいの人も参加している、趣味をを生かし、余暇に四季折々の景色を求め、海 山 渓谷 森林 公園 祭り 人物 建造物等あらゆる分野の美を求めて切磋琢磨している、春は一人2点、秋は1点60人以上の人が出品するので60点から120点鑑賞する、毎回その技術の高さに感動する。

 この会に所属する同級生から毎回招待状が届く、都合のいい人が数人集まり、会員の当直時間が過ぎると、中野から新宿へ繰り出して親交会を開く、この同級生達は、昭和14年小学校へ入学した70数年来の友である、80歳半ばに近い年齢になれば、黄泉の世界へ籍を移した人も多い、だが一人として痴呆症を発症して他界した人はいない。

 昭和40年初頭だっただろうか、ある学者が昭和一桁に生まれた人は、長生きできないと学説を立てた、その理由は、少学生時代体を成型する大切な時期に、食糧難で栄養不足、大人になった時に軟弱体質で、長生きはできないという、その頃は漠然と、そう言われてみるとそうだなーと少し納得した、しかしどっこい早死にを宣告された我々は皆70歳以上まで元気な人が多かった、上記のように痴呆症も発症しない、今こうして何かの機会をとらえてみんな顔を合わせ、結構よく飲み昔を語り合い、楽しく過ごし足を取られるれることもなくそれぞれ帰宅する、老後旧友と楽しく語り合えるなんて、ほんとに「老いて楽しく」である、あの早死に説はいったいなんだったのだろう。

 
 
 案内看板
写真鑑賞前 お茶を飲みながら談笑
 
オイオイそれは方向違いだよ
 
出品者の写真の前で記念に収まる、いつまたこの顔をが揃うことか
 
写真鑑賞よりこちらの方が楽しいか