踏んだり蹴ったり |
5年の間に左膝3度目の膝痛、1回目は医者へも行かずに治った、2回目は18回ばかり通って完治した、今回は20回を越して痛みが取れた、年々年と共に治療期間も長くなっていく。 今回も通院20回を超し痛みもなくなり普通に歩行できるようになった、だが歩いてつれる感じが有り、少し違和感はあった、もう痛みもなくなり通院も止めようと思っていたところ、今日検査しましょうと、施術師が言う。 しゃがんだ時に痛みはないか、両膝を曲げた時に角度の差はないか、両膝の太さを計り浮腫みはないかを調べ、明日から膝の裏側に、超音波治療を始めましょうと宣告された、素人判断でもう通院止めようと思っていたところ、エッ追加治療、年も取り膝痛の回数を追う毎に治療日数が増えている、ここはお医者任せに根気よく通院しようと決めた。 膝痛を庇いながら歩いたせいか、その負担と言うか皺寄せと言うか、腰に来た、超音波治療を始める朝、床から起きる時に腰に痛みを感じた、時間を追って痛みが激しくなり、膝が治ったら今度は腰かよ、年を取ると一つの所をカバーしようとすると他に負担が掛かり、他に痛みが出てくる、これは年を取った人間の宿命か、だが断固として痛みを除去しなければならない。 若い時は振り向きもしなかったサプリメント、年を取って弱気になったか、兎に角回復させようと、「溺るる者 藁をも掴む」の心境で、先日発注した製薬会社の栄養補助剤が配達された、少し気長に服用してみよう。 |
痛み和らぐ | ||
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もしかして持病 |
今回左膝痛は3度目、一回目は平成25年8月15日、親しき同級生が御嶽山でボランテアを遣っていて、レンゲショウマの写真をよく送って呉れた、現物を見たくて御嶽山を案内して貰い、レンゲショウマの写真を撮り、レストハウスや 御嶽神社参拝 御師の家数軒を案内された。 そこで留めておけばよかったのに、過信して七代の滝も見たいと言ったので案内してくれた、これが崖に丸太置いた急坂を下る、手摺もない、この崖がこたえて左膝が痛くなった、一歩よろけると前を歩く同級生を巻き込んで谷底へ転落大事故になる、何とか慎重に谷底へ降りて、大事に至らず、滝を見物、この時熱中症の初期症状だったような気がする、友が何本かペットボトルを用意していたのを貰い助かった。 帰りは同じ高さを上らなければならない、途中岩場は鎖梯子につかまり四つん這いで登る、何とか上の道に辿り着いた時は完全に足は悲鳴を上げていた、同級生の杖を借りケーブル駅までたどり着く、御嶽駅改札迄10数段が昇れない、蟹足登りで横に一歩づつ、電車に腰かけた時は救われた気がした。 |
可憐なレンゲショウマを写しレストハウス 御嶽神社参拝 御師の家を案内され、ここで止めとおけば無事平穏に済んだ、己を過信大失敗 |
滝壺へ降りた時は、お昼を食べる気力もなく、少し脱水症状が有った。 |
自分のペットボトル同級生のペットボトルを貰い水分補給して、木の根と鉄格子に掴まり四つん這いで登る、この日は同級生に心配をかけた、この時は医者へ行く事も無く数日で治った |
2回目左膝痛は平成29年1月29日東大和市郷土博物館へ、展示品鑑賞に行った帰り、バスへ乗り込むときに起きた |
展示品鑑賞も終わり、友が用意して呉れた昼食を食べ、分かれてバス停へ、 バスのステップへ左足を掛け、力を入れた時に激痛が走った、膝が崩れ落ちた、両手で手摺を持っていたからよかったが、そうでなかったらバスの下に転倒していたと思う、東村山終点に着いて降りるのに一苦労、何とか我が家へたどり着いた。 翌日明治座公演を見に行ったが、乗り換え等が有り浜町まで遠かった、終わって新宿へ出て一杯飲むのが恒例だが、友が今日は真直ぐ帰ろうと言ってくれた、有難かった。この2回目は整形外科へ14日通い完治した |
3回目は猛暑日続きで毎夜クーラーを入れた、足が冷えるので薄物を掛けると足が火照ってしまう、関節の緩衝盤の多少の摩耗も有るが、冷えが原因かもしれない、今日で13日間医者へ通って大分痛みが薄れた、もう少し通えば完治するだろう。 3回目となればもう持病だと思う、今回痛みが取れても、今後かなり気を使わないと、再発はすぐ起きるだろう、手術なんてこと無い様気を付けよう |
長い戦争が終わった |
昭和20年8月15日に放送された、「昭和天皇の玉音版」現在はNHK放送博物館に、永久保存のため厳重に保護され、展示されている |
昭和20年8月15日終戦の日は山梨へ疎開中だった、朝6時か7時のニュースで「今日正午天皇陛下のお言葉がある」と放送されて居た様だ、朝ご飯を食べている時に父親が話していた。
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殺人的暑さ |
普通8月に入り「立秋」に近くなると何となく秋めいて、それまで無風状態だったのが、少しそよ風が感じられるのだが、今年はそよとも空気が動かない、強い光線で道路も家も熱せられ、淀んだ体温より熱い空気を吸い込んでは、熱中症にもなりかねない。 7月23日列島 最高気温の記録を更新したが、8月3日も暑かった、それまでは40度を超す都市は地方都市が多かったが、大都市名古屋で40度以上を記録した、我が家の温度計も、遂に40,8度を記録した。 |
8月に入ると日中の暑さは厳しいが、夜には窓から涼風が吹き込むが、今年は全くその気配なく、30度以上の気温、湿度も高く、どんより重い空気そよとも動かない。 湿気を帯びどんより淀んでそよとも動かない重い空気、寝苦しいこんな時は怪談噺の出番だ、 「草木も眠る丑三つ時、何処で打ち出すのか、遠寺の鐘が陰に籠って物凄く、ごおおおおんと響く、お歯黒どぶの柳の下に、恨めしやー」 と幽霊が出る、四谷怪談 番町皿屋敷 その他講釈師の出番の時だが、秋風が立っては怪談噺も興ざめになる。 今年はいつになったら秋風や虫の声が聞かれるのだろう。 |
7月23日国内最高気温を熊谷市で記録した41,1度、当日我が家の温度計も40度を指した、だが8月3も暑かった大都市名古屋で40度超。 我が家の二階 南北の窓4ヶ所を開け放ち風を入れる、湿気を含み重く淀んだ空気は動かない、もしやと思いカメラを持って二階廊下の温度計を見に行った、案の定40,8度を指していた、デジタル温度計瞬時に0,2~0,3度変化する、もしかすると41度を指した事も有ったかも知れない。 兎に角幼児 年寄りには過酷な夏である。 |
楽しい仲間達 |
先月末は何故か飲み会(暑気払い)がいくつか続いた、アルコールを好む小生としては、誘いがあった会合を断る理由がない、喜んで全部の酒宴に参加させて貰った、1対1の酒宴から7人程、20数人の酒宴、それぞれ趣が違って楽しい、小生も超高齢年代に入っているので、余分な発言はしない、若い人の話を楽しんでいる、日々進化する現代、若い人の話を聞かないと、急激に進化する現代に追いつかない、最もいくら話に耳を傾けても理解できないことが多くなった。 皆さんの話を聞きながら笑い楽しんだ暑気払いだった、小生の周りの人は皆善人、人は皆心優しい、自分が心を開けば人も心を開いてくれ、包み隠しないと会話がとても楽しい、先日の暑気払いもとても良い触れ合いだった。 |
所沢プロペ通りのダイエー近くにある、無国籍料理の「海峡」無国籍料理とはどんなものか、参加前から期待が膨らむ |
間口はあまり広くないが、奥行きがあり、ヘエーこんな店が有ったんだ、初めて行った店、最初に迎えてくれたのは、テーブルの上に切り抜きの鶴 |
皆さん三々五々集まりあと数人を待つのみ、手前にメモにボールペン会計をする人、会費を集め、追加アルコールなどきっちと清算こうゆう人は貴重だ |
今年は梅雨明けが早く、酷暑が続き皆体力の消耗もあるが、20数人元気に集まり、会長の音頭で乾杯、楽しいひと時が始まる |
ムム なかなかいい雰囲気だぞ、 |
無国籍料理 ビーフシチュウ蓮根 蒟蒻添え 巨大唐揚げ2個 煮込み大根長ネギ乗せ 卵焼き(出汁巻き卵だったらよかった)大根卸し添え 刺身盛り合わせ 茄子と赤株の香の物 味噌汁 ご飯 中ジョッキ2杯付き¥2,200 悪くなかった、小生にはとても食べ切れない、大半が残った |