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余りいい言葉ではないが昔から上記の様に言われていた、桜の木は自然に樹形が整えられ、美しい姿を見せ観賞に適している、下手に人間の手を加えて枝落としなどすると、自然の美しい樹形が損なわれてしまう、そこで昔の人は「桜切る馬鹿」と言ったのではないかと思う。 片や梅の木は早春花を咲かせ、実が少し大きくなってきて、葉を茂らせる頃になると徒長枝が延びてくる、此の徒長枝は来年になっても花を付けず実がならない、所謂 書いて字の如し無駄に伸びる枝である、此の枝を刈り込まず野放図に延せば、此の木は何れ野木(野生の木)になってしまう、故に此の徒長枝は毎年刈り込まなければいけないのである、それが為に「梅切らぬ馬鹿」と昔の人は云ったのだろう、昔の人は無駄な事は云わない、良い言葉を残す。 我が家でも20年程前になるだろうか、家内が近くの島忠園芸センターで、白梅の苗木千円以下だったと思うを買って来た、自然の恵みは有り難いもので、特に何をするでもなく、植えっぱなしでも毎年花を咲かせ、消毒は一切しないが、毎年4kg以上の綺麗な実を収穫して来た 親指程だった苗木も20年経つと太くなり、樹高も2mを遥かに越し秋口の徒長枝刈り込みも、脚立を使わねばてっぺんの枝は切れない、年を取っての高い脚立は危ない、うっかり脚立から落ちて怪我でもしようものなら「年寄りの冷や水」と世間で笑われるのがせきのやま。 現に同じ年の友人が70歳少々で脚立を使い、家の塗装を遣っていて落下、腰を打ってそれが原因で死んでしまった、矢張り年を取ったら危険は避けるべきである。 そんな思いで危険は避けようと、来年は花が咲かなくても、実がならなくても良い、太い枝をバッサリ切って樹高1mくらいに低くしてしまった、3月初めになったら下枝に一杯蕾を付けた、上の太い枝を切られたので、「親分の仇とばかり」下枝に沢山の花を付けたのか、樹木の生命力は凄い、いっぱい花が咲き、可愛い実をつけ、梅雨前に収穫できそうだ、もうスーパーなどでは各地の梅を売っている。 今迄家内が梅酒に漬けていたが、此の数年は何もしないで遺棄されていた、今年は自分で梅干し作りに挑戦してみようと思う、失敗は覚悟の上で。 |
枝をバッサリ切ってしまったが、下枝に花が一杯咲いた |
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花が終わって1週間もすると、小さな可愛い実が花殻を付けて誕生する |
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3日見ぬまの桜かなではないが、少し経つと驚くほど実が成長している |
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葉も成長し実も大きくなる |
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切り取った太い枝の切り口、実も驚くほど大きくなる |
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一番上の写真、花だけの木が、葉を茂らせるとこんなにも大きく見える |
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あと15日もすると収穫か |
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消毒しないからこのくらいの大きさになると落果が多い |
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相田みつを作品展
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今年になって何故か芸術付いてしまった、3月には三菱1号館で、西洋画家の巨匠展、4月には日本橋三越本店ギャラリーで日本画の「院展」鑑賞、先日は相田みつおの作品展と、良い友に誘われ芸術品鑑賞の機会を得た、持つべきはよき友だ。 観音信仰が厚く仏教の教えが深く影響して、自分を見つめ、厳しく律して来たようだ、そんな中にこのユーモラスな言葉も生まれたのだろう、 |
死ぬまで勉強、何時までも若い心を持つべきか |
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成る程 人偏に為と書けば偽りだ、人は騙されるのは良い、騙してはいけない |
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自分の後姿は見えねーもんなー、 その後ろ姿こそ気をつけねば、他人はよく見ているぞ |
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災害被災地の物資配給の奪い合い、日本人は秩序が守られ整然と待つ、世界から賞賛 |
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人間てそうだよな- 一生順風満帆なんて有り得ない |
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大関ケ原展
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5月17日迄江戸東京博物館で「大 関ケ原展」を開催している、天下分け目の大合戦、 以て始まった戦争、権力を掌握するためのドロドロした穢い闘争でしかない、どんな策略 特別展示室は撮影禁止、音声案内を借り要所々々音声案内が有り、歴史で学んだ事と |
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徳川家康着用甲冑 | 石田三成着用甲冑 |
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関ヶ原で家康が最初に布陣した地 | 合戦前家康本陣を移動 |
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三成が布陣した小高い丘 | |
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関ケ原激戦の地 | |
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源氏車紋散糸巻太刀拵(げんじくるまもんちらしいとまきたちこしらえ) 江戸時代、大名は儀礼の際には、 衣冠に糸巻拵の太刀を帯びるのが決まりであった、太刀とは,儀仗・軍陣に用い、刃を下向きにして腰に つるすのを通例とする刀剣、幕府内でも正月儀礼には必ず使用されていた、此の源氏車紋散糸巻太刀 拵は、その典型である。 向き臨戦態勢に入れる。上級武将の儀礼時は刃を下向き水平に腰に下げる、相手に敵対感情はなく、 衣冠束帯に拵太刀を佩いての姿は優雅である。 |
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ここからは常設館展示品になる,常設館はフラッシュをたかない限り写真撮影はOK |
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大名火消の火事装束 |
上級武士の火事装束頭巾、、当時江戸には |
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芝居小屋前の曲芸披露 | |
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戦前東京市内にはフォード製セダンが「円たく」として走っ |
戦後発売された日産のダットサン貨物車、他に おおたと言う小型貨物メーカーが有ったがいつ の間にか消えていた。小生この貨物自動車で 練習して免許証を確保した、兎に角運転席が狭い、 ブレーキを踏むのに膝がハンドルにぶつかり、 大変狭くて運転し難い車だった、今から65年前で は仕方ないか。 |
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都内に落とされた500k爆弾の不発弾、これが炸裂 |
油脂焼夷弾と黄燐焼夷弾、此の長さは3分の一くらい、 実物は1,5mくらいある |
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朝は切符購入で20分待ちだったが、午後は館内から館外まで大変な行列 | |
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青梅 塩船観音寺つつじ見物 |
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塩船観音のつつじは見事だと噂には聞いていた、中々行く機会がなくて行けなかった、先日あるサークルが塩船観音へつつじ見物に行くと聞き、其のサークルには所属していないが、飛び入りで参加させてほしいと申し込んだところ、歓迎しますと快く参加を認めてくれた。 当日は快晴の好天 気温は25℃を越し汗ばむ程の陽気、 電車を2回乗り換えJR青梅線河辺(かべ)駅に到着、駅前からバスで塩船観音の前まで行く、バスはご老人数グループで満員、目的地に着いたらバスは空っぽ。 斜面に囲まれ真ん中に本殿が有る、山号は大悲山 塩船観音寺、青梅の山中に何故「塩船」なのだろう、考えると塩には余り縁はなさそうな土地柄、その地名の発祥には諸説あるが、小生が蘊蓄を傾ける程の知識は無い。 1300年以前の古刹で縁起式内社、国指定重要文化財、本殿他にも県指定 市指定の文化財が点在している。擂り鉢状の傾斜地の中心に本殿が有り、その傾斜地には2万本を越すつつじが植えられ、色とりどりの花を咲かせ関東でも有数のつつじの名所、他にも季節季節によってその時期の花を楽しめるようだ、境内には樹齢数百年の大杉が御神木になっている、ご神木の由来は書いてなかった、残念ながら見物時期が1週間程早く満開にはなっていなかった。 帰りは塩船観音寺から歩いて東青梅駅へ向かう、途中宗泉寺の巨木「大かや」を見学、幹回り4,3m高さ24,5m昭和30年の台風で枝が吹き折られた、枝の年輪が130年とか、枝にして130年幹の樹齢は千年を越すか?、少し行くと師岡神社が有りここの椎の巨木は小生が今まで見た巨木で一番だった、幹回り5,3m 樹齢 樹高は不明。 皆元気に東青梅駅に到着順調に所沢まで帰り、西武8階のレストランで15人程で懇親会、酒を飲み語らい楽しい一日を過ごさせて頂いた。 |
真っ青な空に緑の中つつじの赤が冴える |
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本堂を囲んですり鉢状の傾斜に2万本を超すつつじの競演 |
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帰途駅に向かう途中満開の藤の花が迎えてくれる |
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宗泉寺の大かや |
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師岡神社 椎の巨木の根元 |
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塩船観音全体像 |
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