老いて楽しく

余生を楽しむ

明治座観劇

2016-01-29 09:43:36 | 日記
 

  昨年友が明治座でコロッケの公演に招待してくれて、2人して観劇に行った、テレビで見るのと違って、生で見
る芸人は広い芸域を持っていて、生出演は観客を引き込み楽しませてくれる、芸人も其れだけの努力と研鑽し、
息長い人気
を維持するのは大変な努力と思った。芸能人を目指しても、努力も勉強もしない人間は泡の如くすぐ
消え去ってしまう、。

 
 今年もまた明治座春の公演に招待された、だが招待した本人は写真愛好家「俺 当日美ケ原へ撮影会で行かれないヨー」だから行ってきてくれと招待券を送ってくれた。

 今年の出し物は「藤 あや子 伍代 夏子の歌謡ショウ」  友も自分の趣味で好きなことを遣って同行できぬと言う、それも良かろう、友と同行できぬのは惜しいが、良い席を確保する為早朝6時半過ぎ家を出る、記録的大寒波の冬将軍が居座る中、早朝駅までの自転車は寒かった。

 
 明治座へ8時過ぎに着いたらもう大勢並んでいた、館の方も寒い中外ではなく、8時前から館内へ並ばしてくれる90%以上が女性、年代は60~70代くらいか多い、そのパワーの凄まじさ、入場券交換待ちの小さな椅子に、持っている手袋 ハンカチ 帽子なんでもポンポンおいていき、10数人の仲間の座席を確保する、座ろうとすると、ここ駄目もう席が確保されていると云う、恐るべきババパワー。

 でもかなり前の方だったので、S席の5列目に席が取れた、出演者の顔をまじかに見られ、マイクを通さない生の声も聞こえるようだった、朝早く行った甲斐が有った。

 一幕は大正時代の人情話、二人の歌手と共演者が熱演、劇の終わり頃は隣の女性が、目にハンカチを当てていた、迫真の演技か心に響くものがあったのだろう。

 観客者が多い為、幕間を2回に区切り幕の内弁当を食べる、小生ご飯も料理も食べきれず残してしまう、食堂を
出る時、他の人の折を見ると殆ど食べ尽くされている、皆凄い食欲だ、食べなければパワーも生まれないだろう。


 2幕目は2人の歌手のナツメロから新曲を歌い分け、懐かしい歌には一緒に歌いましょうと誘う、小生も一緒に口ずさんだ 、楽しいトークを挟み観客を沸かせ、フィナーレは、敗戦後打ち沈んだ世相に明るい歌を提供した、藤山 一郎の「東京ラプソデー」二人の歌手と踊り子達総出で観客席も一緒に歌う、自分も思わず一緒に歌ってしまった、、とても楽しく何かパワーを貰ったようだ、しかしあのスリムな体のどこからあの豊かな声量が生まれるのだろう、腹から声が出て長年歌いこんできたからだろう、こんな事を出来るのも経歴と力ある芸能人だからだろうと思う、さすがにプロだ。

 こうして観客を笑わせ感動させ、楽しみと力を与えてくれる、プロの力は凄いものだと思う、還暦を過ぎてもあの濃艶さは素晴らしい。
 災害列島日本、近年では「阪神淡路大震災」「新潟山古志の震災」「東日本大震災」と家族を失い、家や店 工場 田畑を失い、心折れ明日への希望も失った被災者を、芸能人が訪れ、力強く歌い笑わせ元気付けて、明日への活力を与えてくれるそんな事ができるのも芸達者だからか、これからも元気に歌い続けてほしい。

 昨年のコロッケと云い今年の二人の歌手は芸歴《35年)も長く、それだけの努力が有るから観客の心を掴むのだろう。
 

 
 
朝早くから席取でロビーに並ぶ観客 
 
早く行ったお蔭でいい席が取れた、スピーカーを通さず、出演者の生の声が聞こえた 
 

 東京みどり農協の役員諸氏の感謝の挨拶、この挨拶後緞帳が上がると写真は一切禁止

 
昨年と寸分違わぬ料理と盛り付け、小生とてもこんなには食べきれない 

今年初めて登場したマスコット「みどりちゃん」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

素晴らしい写真展

2016-01-18 11:49:48 | 日記
   
 昨年暮れに同級生から1日で2会場を回る写真展鑑賞に誘われた、若い頃は飲み屋の梯子はよくやったが、写真展鑑賞の梯子は初めてだ、詳しく聞いてみると、同級生自身は作品を展示しておらず、友達の写真展と云う、誘われた日は何の予定もなく暇があるので付き合うことにした。

 一つの会場は上野の「東京都美術館」で開かれる、全国の写真家が競う写真展だ、もう一つは荒川区にある「町屋文化センター」で開かれている写真展である。

 誘ってくれた同級生と2人だけでもいいが、どうせなら何人かの同級生を巻き込んで、大勢の方が楽しいと、数人の同級生に葉書で、写真展と都電荒川線町屋周辺は、もんじゃ焼き屋が多から、写真鑑賞と、モンジャで一杯飲もうと、参加するしないの返事はいらないよ、暇が有ったら上野駅公園口へ9時30分に来てと知らせた。

 当日公園口に3人集まり、一人は町屋駅で待つ云う、都美術館へ行ったが、9時半開場なのに受付に人影もなく展示場も開いていない、案内状を貰った同級生改めて見直す、そこには何と初日は午後2時開場と書かれてある、誘った本人大変恐縮するが、人は間違い 勘違い 見損ないなどよくあることだ、そんな見損ない気にせず、町屋展示会へ先に行くことにした、

 町屋文化センターは、京成町屋駅を出ると真ん前に有る、会場には60点ばかりの写真が展示されている、写真鑑賞後お茶が用意されていて、鑑賞に来た人が菓子など持参する、今日が最終日なので菓子を処分したいので食べてくれと云う、その好意は有難く受け取るが、我々同級生ほかの目論見が有る、都電荒川線停留所界隈は、もんじゃ焼きの店が多数点在する、モンジャをつまみに一杯飲む計画、ここでお茶 菓子を食べてしまっては酒が旨くない、適当に遠慮しつつ辞去しようとした時、恐るべき事態が起きた、写真鑑賞に訪れた人が、「町屋の今川焼き」10数個を持参した、焼き立てで暖かく美味しいからjと一つずつ配ってくれた。

 今まで知らなかったtが、町屋の今川焼は名物のようだ、それが何と外周は1,5倍 厚み1,5倍 皮が薄くて餡がびっしり、容積にしたら普通の今川焼の倍はあるだろう、恐るべき今川焼きだ。

 小生 年のせいか最近非常に小食、茶碗に半分以下の御飯、お菜を2~3つまむと御飯がなくなる、家内が食べ始める頃には食べ終わっている、何を作ってもあまり食べないから作る張り合いがないと家内が嘆く、そんな小生の前にジャンボ今川焼、食べずにバックへ入れ持ち帰ろうと思ったが、これからもう一つ写真展を見て、1時間以上電車に揺られたらバックの中で、今川焼はグジャグジャに潰れてしまうかも知れない、仕方なく胃の中へ収容した、これが胃にドスンと響いた、ビール酒は液体だから少し入る余地が有るかもしれないが、もうお好み焼きもモンジャも入る余地はなさそうだ。

 町屋展示場の人がモンジャ屋「浜作」に4人予約してくれた、町屋駅から少しした所にジャンボ今川焼「博多屋」が有る、その焼き銅板はでかい、成程この大きさは名物になる。少し先にモンジャ「浜作」が有り、お好み焼き モンジャを女将が焼いてくれる、それを肴に適当に飲み、ほろ酔い加減で店を後にした、町屋駅で四ツ木へ帰る友と別れ、日暮里で朝霞へ帰る友と別れ、親しき同級生と上野へ着く、親しき同級生、2度目の都美術館館鑑賞を、小生に遠慮してかスルーして帰ろうと云う、それはいけない、折角案内状をくれた友に行かなかったでは済まされない、時間も早いから都美術館へ行こうと誘った、同級生も小生が云ったのでほっとしたのではないか。

 この都美術館の写真展は、全国の写真愛好家の展示で、160点ばかり、新聞一面の大きさに統一され、今までにいくつもの写真展を見てきたが、このレベルの高さに圧倒された、彫刻 絵画 写真その他を見る目を持たないが、この写真展は素晴らしかった、館内暖房もあるだろうが、観覧者が多くて人いきれで汗をかいてしまった、同級生も写真を愛好するが、良い参考になったようだ。

 帰り駅へ向かう途中、上野の山で大道芸人が、バランスとジャグジーを披露していた、大勢の観客が有り、拍手喝采を送っていた。

 日没が一番早い時期だが、写真展二つ見学して、旧友と一杯酌み交わし日没前4時少し過ぎには帰宅した、旧交を温め楽しい時間を共有した素晴らしい一日だった。
   
京成町屋駅は都電荒川線と交差して、商店街が発達して、非常に活気のある街だ  あの驚異的巨大な今川焼屋「博多屋」は駅近くに有る
   
写真では実感できぬが、普通今川焼の倍はある、甘党の人には嬉しい今川焼かも知rれない
   
その昔トロリーバスが各所を走っていた、池袋 新宿間のトロリーはよく利用したが、戦後都電に乗った記憶はあまりない、昔の都電は色が統一されて居たが、今は各車輛カラフルで楽しいし、こんな目の前で都電を見たのは50年ぶりくらくぃか、数十年ぶりに都電にも乗って見たかった、大塚駅からJR池袋のルートがあったが、だがそれでは上野の写真展を見ずに帰る事になる、また都電に乗る機会はあるだろう
   
町屋文化センターの写真展示場、茶菓が用意されていて、お茶と菓子を食べ尽くしてくれと勧められる、酒を飲む予定の我々遠慮しつつ、辞去し様としたところへ巨大今川焼きが届いたのである
   
展示場の人に紹介され席を予約してくれたもんじゃ屋「浜作」でモンジャを女将が焼いてくれ、お好み焼き モンジャを肴に一杯飲むが、巨大今川焼が胃にずしりと負担になり、ビール酒はそこそこ入ったが、お好み焼きモンジャには箸の進みが遅い、だが酒も入り楽しい会話で2時間ばかり楽しく会話して過ごした、人は味も好みも千差万別だろう、町屋界隈のモンジャ屋も悪くはない、でも小生はお好み焼きモンジャは月島に軍配を上げる
   
何じゃこりゃ、都美術館前広場にピカピカに磨かれた球体が有る  球体に反射した友と自分を写真に撮る
   
都美術館内は撮影禁止、駅へ向かう途中、寒い中でも大道芸 各種パホーマンスが行われている、さすがにお江戸は賑やかだ、高度なバランスの上に、じゃぐじいーを披露する大道芸、この不安定な所から飛び降り、一切を崩さない芸を見た、こんな素晴らしい芸を只で見られるなんて、上野だからだろう、写真展の梯子 モンジャを食し 酒を飲み友と語らい良い一日を過ごした
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

七福神めぐり

2016-01-12 14:23:49 | 日記

   

平成22年から「ウオーキング会」に参加させて貰っている、リーダーお二人の、お一人は各地を歩き山も愛していて地理に詳しく、もうお一人は勉強家であり、図書館へ良く行かれ、各地の名所 旧跡を調べられ、都内の建物名 会社名をすべて教えてくれる、近郷の地理も詳しく、名所旧跡へも案内してくれ、その故事来歴を教えてくれる、大変勉強になる。

    毎年5~6回各所へウオーキングで歩くが、平成23年からは、年初のウオーキングは、各所の七福神巡りを遣る、もう 六回と各地の七福神を巡った、42の神社仏閣をお詣りした御利益か、風邪ひきも腹痛も起こさず、40年以上1日として  寝た事がない、七福神巡りの他にも、ウオーキングと云うと、各所の神社仏閣へ行くことが多く、都内 近郷の有名社寺も随分参拝した。

  リーダーダーが下見を行い、道を間違わずに案内してくれ、小生はみなさんの後ろをとぼと
ぼついて歩くだけの気楽さだが、
20 人以上になると、先頭から殿までは、100m以上も差がついてしまい、信号で分断されたり、迷子がいないか、怪我をしないか、歩いていても大変気を使って気苦労が多い、小生が参加させてもらっただけでも30回を越している、この間迷子も、怪我も一人も出ないで、皆さん無事に元気で家路についている、リーダーの気遣いのお蔭だ。

 毎回大体15,000歩から17,000程歩くが、大変いい運動になり、知らない街並みを、おしゃべりしながら楽しく歩いてい
る、とても健康的で体にいい、いつもリーダーに感謝している、これからもみなさんの後をついてでも、できるだけ参加させて貰おうと思っている。

 
22118に秩父「音楽寺」ほかを歩いたが、この時は七福神巡りではなかった。
明治171031日秩父事件が起きて、この音楽寺が一つの拠点となり、ここから農民が山を駆け下り、秩父事件は 始まった、この石碑には「我々は暴徒と云われることを、拒否する」と書かれている、貧困による、止むにやまれぬ農民 商人が貧困打破を、政府に訴えた事件だった
 
H23年1月7日 川越七福神巡り、川越七福神巡りは著名な社寺が多い、川越大師喜多院 川越東照宮 川越成田山 連馨寺 七福神には入らぬが、一時北院より権勢が有った川越中院などが有る、連馨寺には子育ての呑龍上人 体を撫でると病気が治る「おびんずるさん」等が祀られている
 

H24年1月11日 神田界隈の七福神巡り、神田明神は江戸時代ら信仰が厚かった神社で、今でも年初仕事始めには、数万 数10万人の会社経営者やサラリーマンの参拝が有る。
この本殿を右側に回ると、野村 胡堂作、明神下の岡っ引き「銭形 平次」と子分「がらっ八」の石碑が並び建ち、こんな石碑を見ると、何となく本当っぽい話になってくる

   
H25年1月25日 浅草界隈七福神巡り、浅草寺は正月と云わずいつ行っても賑わってている、近くには,昔吉原の遊郭が有り、明暦三年の江戸大火には、今は埋め立ててなくなっているが、「弁天池」へ花魁 女郎が火を避けて大勢池に入り焼死した、供養塔が建ち弁財天が祀られている
   
H26年1月7日 日本橋界隈七福神巡り、日本橋七福神は著名な神社は少ないが、近くの旧日銀内を見学する機会を得た
   
H27年1月13日 旧東海道品川宿界隈の七福神巡り、道幅は昔の東海道と変わりはないが、宿場の面影を留めるものはほんの僅かだが、旅人で賑わった頃に思いを馳せる事はできる。
 此の七福神の先に「鈴ヶ森刑場跡」がある、
火炙りの鉄柱を立てた丸い穴の空いた礎石 磔台の木柱を立てた四角い穴の礎石や供養塔その他の遺跡が残り、処刑された人の怨念が残るのか、薄寒さを感じる。
今は車の通行が激しい道路に面しているが、その昔夜など薄気味悪くて、近くを通ることなどできなかっただろう
   
H28年1月6日 目黒界隈七福神めぐり、江戸時代に発達した七福神巡りも、この目黒不動尊を中心とした七福神は、初期の物と云われ、今も根強い信仰を持っている
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

混雑を避けて

2016-01-02 06:56:26 | 日記

 川越の喜多院の初大師は3日で、30年くらい前迄は3日に、交通安全お札と達磨を納めて、新しいお札と達磨を買ってきていた、しかし初大師の日は早めに行っても、本堂から山門の外まで、6列に並んでいて、参拝するのに1時間以上掛かった、交通安全お札を買うのにも行列、寒い中大変な労力と時間の無駄である

 無駄な労力と時間を省く為30年ほど前から、2日の早い時間にお札と達磨を納める事にした、狙いは的中、お札と達磨を納め、拝殿に参拝して、安全お札を買うにも全く待ち時間がない、達磨を買っても15分もあれば総て終わる、3日でなくても1日早い2日でも、縁日でないと御利益が少し減るかもしれないが、労力と時間を省いているのだからその辺は仕方ないだろう、神も仏も日にちが違ってもお詣りしたのだから、そんなに大きな差は付けないと思う。

 もう7~8年前になるだろうか、年を取って動作も感も鈍くなって、車で事故を起こしてはいけない、物損事故なら金で解決がつくかもしれない、だが人身事故で怪我をさせたり、最悪死亡事故でも起こしたら、一生その重荷を背負って行かなければならない、家内と話し合い、車を手放すことは、非常に寂しいし、行動範囲も非常に狭まる、大変な抵抗はあったが、もし万が一重大事故が有ったら取り返しつかない,後悔先に立たずである。
 車の年間維持費で、公共交通機関 バス タクシーを利用すればよいと、車を廃車した、誕生日には未練の無いように、ゴールド免許も返納した、前置きが長くなってしまったが、川越大師で交通安全お札を買う必要がなくなった、車がなくなって行動半径が狭くなったが、気楽になったことは大きな収穫。

 昨年暮れの新聞で、川越蔵の街並みで、各商店独自の飾り物を作って展示していると有り、大師参拝後蔵の街を散歩した、確かに飾り物はあった、ちょっとした工夫だが、観光客には喜ばれるだろう。
 正月2日の比較的早い時間、観光客も車も居ない、蔵の街風景を撮れたことはよかった。

   
お札 破魔矢 縁起物 達磨納め処、中には両目入れてなかったり、片目の達磨が有ったり、その年の希望が叶わなかった家の達磨か 毎年この店から同じ大きさの達磨を買っている、昭和53年の記録を見ると、今の大きさの達磨が1000円だった、此の数年2500円になっている
   

2日8時半前では本堂の参詣者も少なくお札授かり所も空いている、警備員も暇そう

境内も三三 五五参拝者が増えてくる、もう飾り物  破魔矢を買って帰る人も居る
   
境内の露店も店開きして、良い匂いを漂わせるが、まだ店に立ちよる人は少ない
   
蔵造りの街で車も人もこんなに少ない事は見たこともない、こんな静かな蔵造りの街並みを撮れることはめったにないだろう、正月の早い時間が幸いした
   
商店の前には、各自工夫した飾り物が展示されている、日中多くの観光客を楽しませることだろう
   
同じく飾り物がる店 蔵の街から駅に向かう途中「連馨寺」が有る、まだ境内では色々な出し物の準備中で、人影も少ない、お詣りして[おびんずるさん]の頭を撫でてきた
   
無病息災で過ごせたので両目を入れて納めてくる 同じ大きさの達磨を買い、片目をいれて飾る、
   
(注)上記「おびんずる」とは、「はげた頭」のことを言う、漢字は「頭慮」と書き、釈迦の弟子で此の像をなでると病気が治るといわれ、はげ頭の意は、繰り返し撫でられ、つるつるになっているから、ともいわれる