老いて楽しく

余生を楽しむ

矢切りの渡し

2012-05-31 10:26:34 | 日記

       先日 ウオーキングの会で、松戸市の「戸定が丘歴史公園」「野菊の墓記念碑」
     江戸川堤の「矢切りの渡し」「柴又帝釈天」と歩いてきた。
     
      今では東京近辺で渡し船があるのは「矢切りの渡し」のみになった、
     先日佃島へ佃煮を買いにった時「佃の渡し」はその場所に石碑があるのみ。
       今は「矢切りの渡し」は貴重な存在だ。
                                                                                戸定が丘歴史公園

      現代人は鋼鉄とコンクリートでできた橋を、自動車と云う道路空間を高速で移動する
    物体で江戸川などあっと云う間に渡り切ってしまう、それが現代なのだろう。
      矢切りの渡しに乗ってみると、江戸川の広い河川敷、上げひばりが鳴き周りの緑に
    何とも癒される、船頭さんの櫓でこぐ和船、手を延ばせば水に触れられる、昔の人は何と
    長閑に優雅に川を渡っていたことだろう、今思えば昔の人の方がずっとゆったりとした
    時間を過ごし、今のように時間に追われない生活を楽しんでいたように思う。

      自分でも何時か和船の櫓を漕いでみたいと思っていた、実際に実現することは無かった、
    佐渡の小木港でたらい舟を漕いでみたが、同じ所を回転していた、終わりの方になって
    何とか前に進めるようになった。 船頭さんいとも簡単に漕いでいる、熟練のなせる技。


       船着き場は丸太と板を組んだ足元も危ない昔のまま、岸に上がれば無造作に立てた
     角材に白ペンキで「矢切りの渡し」とあり、奥の小屋ではミニ草鞋を販売していた、その前に
     枯れ木立に矢切りの渡しとこれも白ペンキで書かれていた、昔のままの面影か。     

 
                当日は気温27度ほどあり湿度も少々高かった、1万歩弱歩くと体も汗ばむ、
       「矢切りの渡し」に着いたのが12時少し過ぎ、江戸川河川敷を吹き渡る川風が
      汗ばんだ体に何とも心地よい、この河原の休憩所で持参の弁当を食べる、
      青空のもと心地よい川風に吹かれ、ひばりの声を聞き、仲間と楽しい会話をしながらの
        弁当は、どんな御馳走よりも美味く感じる。
      

 


     


お伊勢参り4

2012-05-25 10:10:30 | 日記

宇治橋を渡ってお払いい横町へ入ると直ぐ左手に伊勢
名物
「伊勢うどん」と「てこね寿司屋がある、この2品はぜひ味わっておきたいもの。

 

戸定ヶ丘歴史公園

寿司店の正面にはこれも伊勢神宮へ来たら是非味わいたい「赤福」支店が、店内は赤福は勿論、アイスクリーム 掻き氷など有り、お菓子を食べ参拝の疲れを癒している
松坂市が近い為、松坂牛の肉販売と、店内では各種肉
料理を提供、繁盛している。

大きなおたふくのお面を看板におたふく饅頭を販売。
各種細工物などの店も
御木本真珠島も有りこの辺来れば真珠を扱う店も多い、
おかげ横丁にも真珠の店がだが何故か、真珠の店が
ラーメンやも併設している、ちょっと違和感を覚えたが、
入って地ビールとラーメンを注文、意外と旨かった、だが
店を出る時やはり違和感は消えなかった。
伊勢漆器 箸など扱う店が意外と多い。
店中央の屋根付き看板は、香川県美馬市脇町などで
防火の為に造られた有名な「うだつ」ではない。
伊勢神宮のお土産は「赤福」が有名だが、お祓い通り入り
口に支店が有り、この店はおかげ横丁の入り口にある本店で、おはらい通りおかげ横丁に本支店3軒ある。
おかげ横丁内には
芝居小屋、歴史館などある。
昔懐かしいべっ甲飴屋が顕在、鮮やかな手捌きで、各種キャラクターを瞬く間に
仕上げて行くのに子供に帰り時間を忘れてしばし見とる。
芸人達がお手玉を8個も使ったジャグジーを披露観客からやんやの喝采
上で回っている物はさて何でしょう、あっと驚く様な物迄此の長い弓の先端で回してしまう
おはらい通りの賑わいもおかげ横丁の先は観光客の姿も疎らになってくる。
それにしてもお伊勢参りの後食べたり見たり、色々楽しませ
てくれる

お伊勢参り2

2012-05-08 15:28:44 | 日記

 

岡崎の味噌工場を後に一路伊勢へとひた走る、ながしまスパーランドを経てバスは亀山を過ぎる。

 

ながしまスパーランドのジェットコースターは大規模の様だ

 

亀山 松坂を過ぎ外宮駐車場へ、表参道「火除け橋」を渡る、当然ながら橋は左側通行、内宮の時に記すが宇治橋は何故か右側通行になっている

 

砂利道を踏むこと暫し、意外と参道は短く本宮前に着く、普段の日と言えども神宮は参拝者が多い

 

この鳥居の中は神域中の神域、撮影禁止区域、脇へ回るが外宮本殿を拝する事は出来なかった

 

回りの石組に囲われた3つの石に強力パワーがあると云う、皆手をかざしてパワーを受けていた、小生生来鈍感なせいかパワースポット 心霊スポット 霊感スポット等、全く何も感じない、麻生さんも首相時代ここでパワーを受けたが、御利益なかったか短命内閣で終わった

 

今迄各地の古木 巨木を書いてきたが、流石お伊勢さんの境内、樹齢数百年千年を経ている様な巨木はそこここにあり、その神域を感じる

 

外宮本殿前の巨木群

 

根元を害虫からの保護か菰が巻かれていた老杉

お伊勢参り1

2012-05-03 11:06:58 | 日記

終戦前の小学校卒業旅行は、4~5泊の奈良京都旅行が定番だった、だが終戦の年3月卒業の我々は
戦争も終盤を迎え、空襲は熾烈さを増しとても修学旅行などと浮かれては居られない状況だった、、
まして学童疎開などがあり級友が散りじりに分かれてしまった。
成人してから紀伊半島へ3回も旅行していながら神宮へ参拝する機会がなかった。
もう先が余りないので一生に一度はお伊勢参りをしなくてはと思っていたところ、昨年参拝する機会が有った。
神宮参拝を数編に分割して書いて見ようと思う。

この文字と下の画像がバラ展にリンクしています

 

新幹線を豊橋で降り、後方右側のバス2台で、1泊2日のお伊勢参り旅行が始まる。

所沢の街並みも豊橋の街並みも変わらない、
丸源ラーメンなど我が家の近くでしょっちゅう
見かける看板で、ちょっとがっかり。

 

岡崎の町に入ると、家康の居城岡崎城などが
えてくる。
何故か空に飛行船が意識したわけでなく偶然。

岡崎と言えば八丁味噌、「角久」味噌工場へ
寄る。

 

流石食品工場、敷地内も非常に掃除が行き届いている、左に見える水路にはコイが泳いでいる。 左に同じ、工場内塵一つ落ちていない。

 

大きな樽に、1つ10kgも有りそうな石がぎっしり重しに積まれている、崩れたら従業員大怪我をする。 古い樽で大正年間の墨書がある。

 

八丁味噌汁の試飲会、八丁味噌らしい濃厚な味。 お土産品のオンパレード

 

旅行中のお土産はここで全部済ませ発送する、後は手ぶらで気楽な旅、数が多く1万円以上費消。

関ドライブインで自由昼食、伊勢うどんが有ったのでお伊勢参りに来て「伊勢うどん」を食べなければ、太めで腰は弱く、表面ぬっるとした感じ、濃い目の出し汁を少し掛け、ねぎと後は好みで揚げ玉天ぷら等をトッピング、喉越しは良いが、腰の強い武蔵野うどんを食べつけた小生には不向き。