老いて楽しく

余生を楽しむ

深大寺

2011-10-24 08:53:08 | 日記

 去る10月19日ウオーキングの会で、神大植物園と神大寺を散策した。
実のところ深大寺を訪ねたのは60年ぶりの事である、確か終戦直後、昭和25年か26年の事と記憶する、其の時はまだ神大植物園は無く、昭和15年に神大緑地として造成中だったと思う、何にしても半世紀以上前の話、殆ど忘れてしまったが、お寺があって其の門前町に蕎麦屋が軒を連ねていた事だけは記憶している、其のほか深大寺周辺は鄙びた農村地帯だったと思う。
 記憶に残るのは丁度縁日だったと思うが、戦後間もない時で乏しい物資の中で、露店が出ていた記憶がある、其の露店の一軒でコカコーラを売っていて、初めてだったが、興味があり飲んで見たが、何とも薬臭い感じで、其の時は自分の好みではないと思った、だが後年飲みつけて慣れるとそれなりで若い頃は結構飲んだ、神社その周辺は記憶に薄いが、初めて飲んだコカコーラの事は鮮明に覚えている。
 其のほか名物そばも食べたと思うが、どこの店でどんな味だったか記憶にない、物資の少ない中でも営業していたのは確かだった。

 今回、神大植物園は初秋で紅葉には早く、花はダリア園で各種の花が満開だった、

バラ園は少し時期が遅くなったか、しおれ始めたのも目につく。

温室内はラン 巨大ベコニアなど目を楽しませてくれた。

巨大なベコニア。

流石名刹 普段の日にもかかわらず参詣者でにぎわいを見せる。

数ある蕎麦屋の内「多門」の店

中盛りそば、結構な量があり、年配者には少し多過ぎの感あり、味は其の人の感覚に拠るので、評価は避けたいと思う。

大盛りそば、笊の上に富士山が乗っかったようだ、同年輩の人が完食、食べ終わった時に皆拍手喝采。

 天気は曇天で少し肌寒さもあったが、運動したので快適な陽気、花を観賞、名物そばを食べて、帰りは井の頭公園で
解散、公園を散歩したのち、有名焼き鳥店「いせや」で懇親を深めた人達もいた。

 


眼鏡洗浄

2011-10-17 09:49:36 | 日記

  眼鏡を愛用している皆さん、眼鏡の洗浄にはいろいろ苦心されているようである、油をふき取る紙、眼鏡専用スプレー、拭き取り布、等々いろいろ便利グッズが市販されている、人によるとお勝手の洗剤で洗うのが一番綺麗になるとか、いろいろこだわりもあるようだ。

 皆さん眼鏡屋へ行った時、何か液体が入った小さな容器へ入れて、眼鏡を洗浄して貰った事はありませんか、あの小さな箱は超音波を発生させて眼鏡を洗浄している。

 我が家でジェット風呂を使っている、湯の中に浴用剤を入れジェットを噴射させると、ミクロの泡が発生して、其れが弾けるときに超音波を発生する、ジェットを噴射して湯船に眼鏡を浸けると、汚れが綺麗に落ちる、これは超音波のお陰だ、あとは汚れのない紙か布で拭けばすっきり綺麗になる。

 ジェット風呂は眼鏡もきれいにしてくれるが、体の表面の汚れ、しわの中の汚れも落としてくれる、石鹸を使わなくても、体が綺麗になる、その代わり湯船の湯は汚れが早い、そのくらい超音波は効果があると云うことか。

 それなら電動歯ブラシでもその効果が出るのではないかと、試してみたら効果てき面綺麗になった、だまされたと思って一度お試しあれ。


戦争遺跡

2011-10-12 10:02:00 | 日記

  もう既に沢山の人が投稿している話題で、写真等で何回も目にしているが、どうしても自分の目で確かめたかったので、現地へ赴いた。

  其れは東大和市にある「旧日立航空機 立川変電所跡」である、矢張り写真で見るよりは、其の攻撃の凄まじさは驚きを以て見た、如何に物量に物を云わせたアメリカでも、ここまで執拗に弾丸を撃ち込むか、爆弾による破片の傷もあると云うが、あれは艦載機の数次に亘る機銃掃射の傷跡である、だが貫通した弾痕は少ない、殆ど壁に傷跡を残しただけで、建物は堅牢のようだ、だがガラス窓を通して撃ち込まれた弾丸は、変電所内の器具を壊滅的に破壊したであろう。

 素人判断の考え方で信用して貰っては困るが、おそらくその工場の大元である電源を破壊すれば、工場機能は停滞する、この工場の空爆歴史を見ても艦載機による波状攻撃で機銃掃射をし、のちにB29 101編隊空襲があったと聞く、如何にアメリカの物量に物を言わせた攻撃にしても、あそこまで蜂の巣状に弾丸を撃ち込むか。

 建物 西壁 東壁 北面は窓が少なく、厚い壁に擁護されている、弾痕も北面には一つもなく、東西面に数発の跡がある、専ら南から集中攻撃を加えたのであろう。
 
この建物を見て戦時中の東京絨毯爆撃を彷彿させた。

 戦後66年この建物も幾多の変遷を経て来たのであろう、取り壊しもなく、東大和市が史跡として保存している、大変良かったことと思う。
太平洋戦争の体験を語り継ぐ人も極減している、人は何事も次世代に語り継ぐと云うが、口から口へ口伝されると事実が大きく歪曲され兼ねない、本当の事実を語れるのは、其れを目撃した人と、残された遺跡だけが真実を物語る。

 

60数年を経てよく保存されている、

南面を集中的に攻撃され、東面は殆ど弾痕が見当たらず。

鉄筋入り壁面は頑丈だったせいか、貫通した穴は少ない。

深い弾痕が良く保存されている。

熾烈な攻撃を受けた変電所も、60年余を経ていまは、花々に囲まれて静かに歴史を残している。