始めての梅漬け | |
10数年前に家内が梅の苗木を買って来て庭に植えた、幹の太さは2センチにも満たない、高さが1メートルる程、 |
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3月21日梅の蕾も膨らみ始める | 3月24日大きく刈り込んだ木にも沢山の花が咲く |
4月15日花が終わった後に可愛い小さな実が付く | 4月20日小指の爪程の可愛い実も5日も経つと 梅らしい実になってくる |
5月21日可愛い実も1ヶ月も経つと逞しい実に成長する、 葉も茂ってくる |
6月17日梅雨入りも間近、実も少し色付き自然に 落果し始める、収穫時期か |
6月26日大小とりどりの実が収穫された | あんなに枝を切り落としたのに0,9kgの収穫 |
6月27日漬物容器購入 | ネット上の漬け梅レシピを見て、梅と塩の分量を 決めて漬けこむ、スーパーで赤紫蘇を売っているが、 あんな大きな束はいらない、ほんの2本も有れ ばいい、紫蘇は入れずに白梅に漬ける |
6月28日一夜で水が上がる、水が上がった時に焼酎を
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7月22日梅雨明けを待って早速天日干しにする、 3日3晩干すのが良いそうだ |
7月23日1日では水分は余り抜けない |
7月27日4日干したら干し過ぎの様だ、塩が多過 |
国立競技場の様に白紙撤回して下さい |
太平洋戦争の悲惨さを知らない人が、憲法を捻じ曲げるだけ捻じ曲げて都合の良い様に解釈した、これでは憲法なんて有って無きが如く、憲法学者や学識経験者、知識人 文化人 主権者の国民の80%が違憲を唱え、国会審議の答弁も的を外し理解できないと言っている. 閣僚からも「自民党って変だよね、答弁が国民に理解されていない」と言っている、当事者自身も国民の理解を得ていないと口にしている、そんな「戦争法案」を数を頼んで強行採決した。 |
孫が健やかに元気で
先月末頃板橋に住む倅から電話が有った「一番上のが今年前厄だから、厄払いに行くけど、一緒に来ないか」と誘い、大学を卒業してもう厄年になるのか、離れて暮らす孫の成長の速さに驚きやら、嬉しさがないまぜの感情だった、祈願所は川越喜多院だという。 |
燃え盛る炎と共に太鼓の音が響き、読経があり中に般若心経もあり、般若心経は自分でも数十枚写経したので分かる部分は唱和する。火と水は万物を清める。 |
立派なお札を頂いた、前厄 本厄 後厄と有り、3つ済ませてお礼参りでお札を納める、これで総ての厄払いが終わると、お坊さんのお話し。 |
川越市内に「寿庵」は本支店合わせて3軒ある、今日は喜多院境内の中の、時の鐘を模した看板の喜多院支店「寿庵」へ行く。 |
厄払い祝い膳にふさわしい料理かどうか知らぬが、好みの弁当を頼み、乾杯する。 |
元気に歩こう
太古に人類は森を抜け出し2足歩行を始めた、それまで足として機能していた手が、2足歩行により手が自由に使える様になった、手を使う事により脳が非常な発達をして、人類は万物の霊長と言われる様になった。 500万年ほど前から2足歩行した人類は、移動するには総て徒歩である、歩く事が人類の基本的行動で健康維持にも寄与する、其の長い年月の間に、動物などを利用して移動する知恵も出た。 近年では道路と言う空間を4つの車輪で高速移動する自動車などが出来、汽車 電車 船 飛行機 リニアモーターカー ロケットもできた、こんな機械的移動器機発達も、高々ここ百数十年前からだ、森を出て2足歩行を始めた人類は、五百万年も歩いて来た、永い人類の歩みから見ると、此の機械的移動手段の歴史は、ほんの瞬きをするくらいの期間だ、今後どこまで発展するのか末恐ろしい。 上記の様に人間の移動には文明機器で時間短縮、非常に便利になった、ビジネスにも非常に有効で、この文明は大いに享受しなければいけない、だが歩くと云うゆったりした健康維持方法も有る、時間が有ったら歩きましょう。 先日或る歩く会に夏風邪気味だったが、コースを見ると余りきつくなさそうなので参加した、場所は西武新宿線入曽駅周辺の古社、野々宮神社 入間野神社 傍に有る埼玉県指定史跡「七曲がりの井」航空自衛隊入間基地を3分の2周して航空自衛隊の訓練飛行の「タッチアンドゴー」の着陸寸前の巨大機体を眺め、米軍接収当時の住宅「ジョンソンタウン」見学、「彩の森入間公園」で蓮池の畔りで、樹木の涼風を受けて休憩、のち足を延して「いなり山公園」で昼食、まだ先のコースが有ったが、風邪気味の為ここでダウン、離脱させて貰った、16,000歩少々で何時もなら翌日疲れは残らないが、今回は翌日疲れが残った。 |
当社の主神は倭姫命(ヤマトノヒメミコト)で合祀神は天照大神外6神を祀る、日本武尊が東征の時、当地に立ち寄り堀難(ほりかね)の井を掘らせたという、奈良平安時代に造られたという甕が現存するという |
村社入間野神社 文久二年(1191)創建と言われ、明治元年御岳大権現と号したが、後 浅間神社 神明社 天神社 稲荷神社」を合祀して、社号を「入間野神社」となる。 |
武蔵野舌状台地に有り、水脈が非常に深く、表層は火山灰土で崩れ易く、上部直径70m深さ11,7mに及ぶ漏斗状に掘り下げ、地盤が固くなった所で垂直に掘り下げ、人の頭大の石を積み、回りを松の丸太を井桁に組み補強した、その後土砂堆積物で埋まって仕舞い、昭和45年に埼玉県教育委員会 狭山市教育委員会の発掘によって再現、補強され住民の協力を以て県史跡として維持管理されている。 |
入間野社から基地周辺を少し歩くと、自衛隊の輸送機やジェット機が、旋回してタッチアンドゴーの訓練をしている、遠くに見えた機体は着陸誘導装置に従って侵入してくる。 |
遠くに見えた機体もあっという間に轟音をとどろかせ、頭上を越えて行く |
車輪が滑走路につくと煙が上がる、亦そのまま上昇して飛びあがって行く、艦載機が空母の甲板に接して直ぐ飛び立つタッチアンドゴーは知っていたが、こんな大型機もタッチアンドゴーを遣るのは始めて知った |
彩の森公園の蓮池廻り 丁度蓮の花が咲いていた |
彩の森公園で緑を渡る涼風に体を休め、まとわりつく鳩に餌を遣り憩いのひと時 |