老いて楽しく

余生を楽しむ

初体験

2015-07-29 09:54:45 | 日記
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始めての梅漬け
   

 10数年前に家内が梅の苗木を買って来て庭に植えた、幹の太さは2センチにも満たない、高さが1メートルる程、
木も10数年を経ると、幹の太さは10数センチ、高さは2メートルを越し、秋に徒長枝を刈り込むには、脚立を使わ
ないと刈り込めない、結構危険だ、近年は実の
収穫は、3kgから多い時は4kgほど収穫できた。

 脚立に昇って刈り込みだが若い時は良いが、年を取り脚立から落ちて骨折でもしたら命取りになる、昨年暮れに
思い切って樹高1,5メートル
程に太い枝を切り落としてしまった、来年は花も余り咲かないだろうし、当然実も成らな
いだろうと思っていた。

 今年の春、上枝を切り落とした仇打ちとばかり、幹にも枝にも沢山の花を咲かせた、樹木の生命力の強さに改め
て感心する、早春 花が咲き
蜂が密を求めに来て、受粉の手助けをしてくれる、樹木の生命力、自然の営みで今年も
少しは収穫できるかと期待された。


 今迄収穫した梅は家内が梅酒に漬けていたが、毎年の事で梅酒の瓶も溜まり梅酒を漬けなくなり、実は何となく
放置されていた、折角収穫
された梅をそれではもったいないと、今年は一念発起、ネットで漬け梅レシピを見て、
漬け梅に挑戦した、初めてなので失敗は覚悟の上で。

 

   
3月21日梅の蕾も膨らみ始める 3月24日大きく刈り込んだ木にも沢山の花が咲く
   
4月15日花が終わった後に可愛い小さな実が付く 4月20日小指の爪程の可愛い実も5日も経つと
梅らしい実になってくる
   
5月21日可愛い実も1ヶ月も経つと逞しい実に成長する、
葉も茂ってくる
6月17日梅雨入りも間近、実も少し色付き自然に
落果し始める、収穫時期か
   
6月26日大小とりどりの実が収穫された あんなに枝を切り落としたのに0,9kgの収穫
   
6月27日漬物容器購入 ネット上の漬け梅レシピを見て、梅と塩の分量を
決めて漬けこむ、スーパーで赤紫蘇を売っているが、
あんな大きな束はいらない、ほんの2本も有れ
ばいい、紫蘇は入れずに白梅に漬ける
   

6月28日一夜で水が上がる、水が上がった時に焼酎を
少量入れて黴の防止をしなくてはいけない、お忘れなく

 

7月22日梅雨明けを待って早速天日干しにする、
3日3晩干すのが良いそうだ
   
7月23日1日では水分は余り抜けない

7月27日4日干したら干し過ぎの様だ、塩が多過
ぎた様で、しょっぱい梅干しが出来上がった、
来年の為に良い経験になった

 
   
   

問題をすり替えるな

2015-07-18 09:34:11 | 日記
国立競技場の様に白紙撤回して下さい

 太平洋戦争の悲惨さを知らない人が、憲法を捻じ曲げるだけ捻じ曲げて都合の良い様に解釈した、これでは憲法なんて有って無きが如く、憲法学者や学識経験者、知識人 文化人 主権者の国民の80%が違憲を唱え、国会審議の答弁も的を外し理解できないと言っている.

  閣僚からも「自民党って変だよね、答弁が国民に理解されていない」と言っている、当事者自身も国民の理解を得ていないと口にしている、そんな「戦争法案」を数を頼んで強行採決した。
こんな法案は絶対廃案に追い込むべきだが、参院の60日審議後、衆院に戻され多数を以て、強引に可決成立するだろう、戦争の抑止力になると云うが、そんな訳は絶対にない、あの有望な若い自衛隊員に犠牲者が出るなんて、痛ましくて考えられない、太平洋戦争の悲惨さを知らない人には分からないだろう。

 事もあろうに「戦争法案」成立の日に、姑息にも「国立競技場」の計画変更を言いだした、問題を摩り替えてしまった、国民世論の批判が強いので金の掛らない設計にして、白紙に戻して検討するという、一週間前まで計画を実行すると言っていた人がだよ、国立競技場建設に国民の批判を受けたので、白紙撤回した、それならこれだけ世論が反対している「戦争法案」も速やかに撤回白紙に戻した方が良い。

 

厄除祈願

2015-07-13 07:48:59 | 日記


孫が健やかに元気で

 
 

 先月末頃板橋に住む倅から電話が有った「一番上のが今年前厄だから、厄払いに行くけど、一緒に来ないか」と誘い、大学を卒業してもう厄年になるのか、離れて暮らす孫の成長の速さに驚きやら、嬉しさがないまぜの感情だった、祈願所は川越喜多院だという。

 そうか思い返してみると、倅の42歳の厄年に同じ喜多院へ厄除祈願に同行した、あれからもう8年か9年経つのか、今度は孫の厄除祈願に矍鑠として付き合えるなんて嬉しい限りだ、孫の予定も有り土曜日を想定して始め4日を予定したが雨の為一週間延期11日に実行した。

 1日から9日までは曇天亦は雨で9日間で日照時間はわずか8分、それが11日は梅雨の晴れ間で、埼玉各地真夏日を記録する暑さ、川越駅から喜多院まで汗をふきふき歩く、孫の後姿を見ると、もう大人の骨格、逞しい体格になり、倅が178センチ 孫が172・5㎝小生が年で少し縮んで172センチ、倅も孫もたくましく見えた、親子3代健康で厄落としに行けるなんて幸せだ。
 喜多院の森陰に入ると渡る風もぐっと涼しい、11時30分の祈祷開始まで少々時間があったが、五百羅漢を見物する時間もなく、孫に川越の南院 中院 北院の故事来歴を話す、北院が喜多院に名前が変がわった経緯等も聞かせてあげる、多分頭の片隅には残る事だろう。

 ご祈祷札も申し込み書に書いたのより一段階上げて大きな物に変えさせる、祈祷が終わり近くの「東屋」鰻店へ行くが予約で満席、暑いので遠く迄行くのも大変、喜多院境内にあるそば処「寿庵」へ行く、孫はうな重 倅と小生は松花堂弁当、酒のおつまみに鴨の燻製他を頼み、厄除祝いの乾杯をする、暑さの為冷えたビールの旨さ、乾杯を重ねること数度、孫は若いから食事は全部食べたが、小生余り食べられず、中ジョッキん何杯飲んだかは書かぬが3人とも同じだけ飲む、結構ほろ酔いで新富町まるひろ近くの喫茶店で話をして、倅と孫が本川越まで送って呉れ、自分達は川越駅へ帰って行った、足が乱れる訳でもなくしっかりとした足取りで歩いていた。

 祈祷料 食事代, 嫁さんが暑さにもめげず良く働くので、川越名物を嫁さんにお土産等、その他で数万円の出費だが、孫が今後健康で社会を乗り切って呉れるなら、エール代だ、易いものだ、頑張れ孫よ。

 
燃え盛る炎と共に太鼓の音が響き、読経があり中に般若心経もあり、般若心経は自分でも数十枚写経したので分かる部分は唱和する。火と水は万物を清める。
 
立派なお札を頂いた、前厄 本厄 後厄と有り、3つ済ませてお礼参りでお札を納める、これで総ての厄払いが終わると、お坊さんのお話し。
 
 
川越市内に「寿庵」は本支店合わせて3軒ある、今日は喜多院境内の中の、時の鐘を模した看板の喜多院支店「寿庵」へ行く。
 
厄払い祝い膳にふさわしい料理かどうか知らぬが、好みの弁当を頼み、乾杯する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

歩く事は元気の源

2015-07-03 13:56:34 | 日記


元気に歩こう

 
 太古に人類は森を抜け出し2足歩行を始めた、それまで足として機能していた手が、2足歩行により手が自由に使える様になった、手を使う事により脳が非常な発達をして、人類は万物の霊長と言われる様になった。

 500万年ほど前から2足歩行した人類は、移動するには総て徒歩である、歩く事が人類の基本的行動で健康維持にも寄与する、其の長い年月の間に、動物などを利用して移動する知恵も出た。

 近年では道路と言う空間を4つの車輪で高速移動する自動車などが出来、汽車 電車 船 飛行機 リニアモーターカー  ロケットもできた、こんな機械的移動器機発達も、高々ここ百数十年前からだ、森を出て2足歩行を始めた人類は、五百万年も歩いて来た、永い人類の歩みから見ると、此の機械的移動手段の歴史は、ほんの瞬きをするくらいの期間だ、今後どこまで発展するのか末恐ろしい。

 上記の様に人間の移動には文明機器で時間短縮、非常に便利になった、ビジネスにも非常に有効で、この文明は大いに享受しなければいけない、だが歩くと云うゆったりした健康維持方法も有る、時間が有ったら歩きましょう。

 先日或る歩く会に夏風邪気味だったが、コースを見ると余りきつくなさそうなので参加した、場所は西武新宿線入曽駅周辺の古社、野々宮神社 入間野神社 傍に有る埼玉県指定史跡「七曲がりの井」航空自衛隊入間基地を3分の2周して航空自衛隊の訓練飛行の「タッチアンドゴー」の着陸寸前の巨大機体を眺め、米軍接収当時の住宅「ジョンソンタウン」見学、「彩の森入間公園」で蓮池の畔りで、樹木の涼風を受けて休憩、のち足を延して「いなり山公園」で昼食、まだ先のコースが有ったが、風邪気味の為ここでダウン、離脱させて貰った、16,000歩少々で何時もなら翌日疲れは残らないが、今回は翌日疲れが残った。
 
当社の主神は倭姫命(ヤマトノヒメミコト)で合祀神は天照大神外6神を祀る、日本武尊が東征の時、当地に立ち寄り堀難(ほりかね)の井を掘らせたという、奈良平安時代に造られたという甕が現存するという
 
村社入間野神社 文久二年(1191)創建と言われ、明治元年御岳大権現と号したが、後  浅間神社 神明社 天神社 稲荷神社」を合祀して、社号を「入間野神社」となる。
 
武蔵野舌状台地に有り、水脈が非常に深く、表層は火山灰土で崩れ易く、上部直径70m深さ11,7mに及ぶ漏斗状に掘り下げ、地盤が固くなった所で垂直に掘り下げ、人の頭大の石を積み、回りを松の丸太を井桁に組み補強した、その後土砂堆積物で埋まって仕舞い、昭和45年に埼玉県教育委員会 狭山市教育委員会の発掘によって再現、補強され住民の協力を以て県史跡として維持管理されている。
 
入間野社から基地周辺を少し歩くと、自衛隊の輸送機やジェット機が、旋回してタッチアンドゴーの訓練をしている、遠くに見えた機体は着陸誘導装置に従って侵入してくる。
 
遠くに見えた機体もあっという間に轟音をとどろかせ、頭上を越えて行く
 
車輪が滑走路につくと煙が上がる、亦そのまま上昇して飛びあがって行く、艦載機が空母の甲板に接して直ぐ飛び立つタッチアンドゴーは知っていたが、こんな大型機もタッチアンドゴーを遣るのは始めて知った
 
彩の森公園の蓮池廻り  丁度蓮の花が咲いていた
 
彩の森公園で緑を渡る涼風に体を休め、まとわりつく鳩に餌を遣り憩いのひと時