二百九節
齊の王子墊が尋ねた。
「士たる者が最も大事にしなければならないものは何ですか。」
孟子は言った。
「志を高尚にすることです。」
「志を高尚にするというのは、どういうことですか。」
「仁義を志すだけです。一人でも罪無き者を殺すのは、仁ではありません。自分の所有物でないものを他人から取り上げるのは、義ではありません。身を置くべきところはどこかと言えば、それは仁です。歩むべき路はどれかと言えば、それは義です。仁に身を置き義に進めば、それで大人物たる資格は十分に備わります。
王子墊問曰、士何事。孟子曰、尚志。曰、何謂尚志。曰、仁義而已矣。殺一無罪、非仁也。非其有而取之、非義也。居惡在、仁是也。路惡在、義是也。居仁由義、大人之事備矣。
王子墊(テン)問いて曰く、「士は何をか事とする。」孟子曰く、「志を尚くす。」曰く、「何をか志を尚くすと謂う。」曰く、「仁義のみ。一無罪を殺すは、仁に非ざるなり。其の有に非ずして之を取るは、義に非ざるなり。居惡くにか在る、仁是れなり。路惡くにか在る、義是れなり。仁に居り義に由れば、大人の事備わる。」
<語釈>
○「王子墊」、趙注:齊の王子、名は墊(テン)なり。○「尚」、朱注:「尚」は、高尚なり。
<解説>
孟子の説く王道の根本は、仁義を行うことであり、それは君主だけでなく、士たる者全てが努めなければならないものであるとする。更に「一無罪を殺すは、仁に非ざるなり」とあるが、「不辜を殺さず、有罪を失わず」という趣旨の語句が、この時代、諸書に見える。と言うことは、無実の者が殺され、罪有る者が免れることが多かったのではないかと思う。春秋戦国時代の暴政の現われの一つであろう。
二百十節
孟子は言った。「清廉潔白で知られた陳仲子は、不義なものであれば、それが喩え齊の国を与えると言われても、受け取らないだろう。だから人々はみな信頼している。しかし彼の清廉潔白は、小さな竹籠に入ったほんの少しの飯や一杯の汁物さえ、義に適わなければ受け取らないという、小事に対する行いであって、齊国のような大きなものならその義も棄てるだろう。人間にとって、親戚・君臣・上下などの人間関係を無視するよりも大きな不義はない。小さな清廉潔白があるからと言って、人の道の大節まで立派だと信用しても良いものか。」
孟子曰、仲子、不義與之齊國、而弗受。人皆信之。是舍簞食豆羹之義也。人莫大焉亡親戚君臣上下。以其小者信其大者、奚可哉。
孟子曰く、「仲子は、不義にして之に齊國を與うるも、受けず。人皆之を信ず。是れ簞食・豆羹を舎つるの義なり。人は親戚・君臣・上下を亡するより大なるは莫し。其の小なる者を以て其の大なる者を信ぜば、奚くんぞ可ならんや。」
<語釈>
○「仲子」、陳仲子、六十一節に既出。その人物像はそこに記されている。○「簞食・豆羹」、「簞」は小さな竹籠、「豆」はお供え用の高坏、「豆羹」は一杯の汁物。○「以其小者~」、朱注:豈に小廉を以て其の大節を信じて、遂に以て賢者と為す可けんや。
<解説>
一応通釈のように訳しているが、齊国を受けない義と、簞食豆羹を受け取らない義との比較がよく分からない。趙注に、「孟子以為らく、仲子の義は、上章の道とする所の簞食豆羹の禮無くんば、則ち受けざるも、萬鐘なれば則ち禮義を辧ぜずして之を受く、と。」あり、仲子の義について、孟子は小さなものは受けないだろうが、大きなものは受けるだろうとしている。ここの解釈については諸説があるが、一応趙岐の説を採用しておく。
二百十一節
弟子の桃應が尋ねた。「舜が天子となり、皋陶が司法の役人となったとき、舜の父の瞽瞍が人を殺したとしたら、どのような処置をとればよいのでしょうか。」
孟子は言った。
「皋陶は瞽瞍を捕らえるまでのことだ。」
「では舜はそれを差し止めないのですか。」
「そのような局面で、舜はどうして差し止めることができようか。そもそも法律というものは、古来より受け継がれてきたものであり、天子の命でもそれを変えることはできない。」
「それならば舜はどのようにしたらよいのでしょうか。」
「舜は天下を棄てることを、敗れた草履を棄てるのと同じように考えている。だから天下を棄てて、竊かに父を背負って逃れ、海辺に沿うて住む所を見つけ、生涯父に仕えることに喜び楽しんで、天下の事など忘れてしまうことだろう。」
桃應問曰、舜為天子、皋陶為士、瞽瞍殺人、則如之何。孟子曰、執之而已矣。然則舜不禁與。曰、夫舜惡得而禁之。夫有所受之也。然則舜如之何。曰、舜視棄天下、猶棄敝蹝也。竊負而逃、遵海濱而處、終身訢然、樂而忘天下。
桃應問いて曰く、「舜、天子と為り、皋陶、士と為り、瞽瞍、人を殺さば、則ち之を如何せん。」孟子曰く、「之を執らえんのみ。」「然らば則ち舜は禁ぜざるか。」曰く、「夫れ舜は惡くんぞ得て之を禁ぜん。夫れ之を受くる所有るなり。」「然らば則ち舜は之を如何せん。」曰く、「舜は天下を棄つるを視ること、猶は敝蹝(ヘイ・シ)を棄つるがごときなり。竊かに負うて逃がれ、海濱に遵いて處り、終身訢(キン)然として、樂しみて天下を忘れん。」
<語釈>
○「禁之、夫有所受之也」、朱注:禁之云々は、皋陶の法は、傳受する所有り、敢て私する所に非ず。天子の命と雖も、亦た得て之を廢せざるなり。○「敝蹝」、朱注:「蹝」(シ)は、草履なり。「敝」は、やぶれていること。○「訢然」、喜び楽しむ貌。
<解説>
この節の内容も我々には理解し難いものである。舜と言えば天子の中の天子であり、諸子百家誰もが持ち上げる天子である。そのような天子が、父が人を殺したら、天子の位を棄てて、罪人である父と俱に逃げて隠れ住む道を歩むだろうと述べている。又何の書か記憶にないが、父が罪を犯し、それを子供が役所に知らせたら、不孝者であると子供が罰せられたという話がある。このように親に対しては正義はない。このような考え方は清朝の時代まで存在した。これは「義」の問題でも同じで、義理は正義に優先するのである。