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『孟子』巻第七離婁章句上 七十七節、七十八節

2017-12-01 10:29:22 | 四書解読
七十七節

孟子は言った。
「慎み深い者は人を侮らない。心清く質素な者は人から物を奪わない。人を侮り人から物を奪うような君は、ただ人民が自分に従おうとしない事だけを恐れている。そんなことでは外面をどんなに装っても、真の恭倹を為すことはできない。真の恭倹はうわべの言葉や笑顔でとりつくろえるものではない。」

孟子曰、恭者不侮人、儉者不奪人。侮奪人之君、惟恐不順焉。惡得為恭儉。恭儉豈可以聲音笑貌為哉。

孟子曰く、「恭者は人を侮らず、儉者は人より奪わず。人を侮り奪うの君は、惟だ順わざらんことを恐る。惡くんぞ恭儉を為すを得んや。恭儉は豈に聲音笑貌を以て為す可けんや。」

<解説>
趙岐の章指に云う、
「人君の恭倹は、下を率いて風を移す、人臣の恭倹は、其の廉忠を明らかにし、侮り奪うの惡、何ぞ由りて之を干して、其の心を錯わさん。」

七十八節

淳于髡は言った。
「男女は物のやり取りを直接にしないということは、礼義ですか。」
孟子は言った。
「その通り、礼義です。」
「兄嫁が溺れそうになった時、手を執って助け上げるのはどうですか。」
「兄嫁が溺れそうになっているのに、助けないのは、山犬や狼の如き獣の行為だ。男女は物のやり取りを直接にしないということは、礼義であるが、兄嫁が溺れそうになっている時に、手を差し伸べるのは善にかなった臨機応変の処置なのだ。」
「今、天下は乱れて人民は溺れかかっているようなものです。それなのに先生はいっこうに助けようとされない、それはどうしてですか。」
「天下が溺れるのは仁義の正道によって助けるものだ。兄嫁を助けるのは手によるのだ。同じ救うにも手段はそれぞれ違うのだ。それなのに、あなたは手を使って天下を救えとおっしゃるのですか。」

淳于髡曰、男女授受不親、禮與。孟子曰、禮也。曰、嫂溺則援之以手乎。曰、嫂溺不援、是豺狼也。男女授受不親、禮也。嫂溺援之以手者、權也。曰、今天下溺矣。夫子之不援、何也。曰、天下溺、援之以道。嫂溺,援之以手。子欲手援天下乎。

淳于髡曰く、「男女授受するに親しくせざるは、禮か。」孟子曰く、「禮なり。」曰く、「嫂溺るれば、則ち之を援くるに手を以てするか。」曰く、「嫂溺れて援けざるは、是れ豺狼なり。男女授受するに親しくせざるは、禮なり。嫂溺れて、之を援くるに手を以てする者は、權なり。」曰く、「今天下溺る。夫子の援けざるは、何ぞや。」曰く、「天下溺るれば、之を援くるに道を以てす。嫂溺るれば、之を援くるに手を以てす。子、手にて天下を援けんと欲するか。」

<語釈>
○「授受不親」、服部宇之吉氏云う、物のやり取りを直接にせざること。○「權」、權ははかりの分銅、そこから物事を量る義に。趙注に、經に反して、而も善なりとある。決まり事から外れても大局的に見れば善であるというのが、權である。○「天下溺、援之以道~」、趙注:孟子曰く、「當に道を以て天下を援く可べし、而れども道、行わるるを得ず、子、我をして手を以て天下を援けしむるか。」

<解説>
孟子の時代である戦国時代にもなれば、礼の形式も現実に適応しない例が沢山出て来る。その為に礼の精神を尊重しながら現実に対応してゆく柔軟な態度が必要になってくる。それが「權」である。孟子の中には毅然たる態度と、この權とが常に存在している。