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『呂氏春秋』十二紀 巻第一孟春紀

2017-03-26 11:40:00 | 四書解読
十二紀は同じ概念の文章が多く出て来るので、それらを本文中で解説していると、煩雑であり読みづらくなるので、『十二紀を読むための予備知識』を最初に紹介しているので、本文の注釈で予備参照とあれば、これを見てください。

巻第一 孟春紀

一 孟春

一に曰く。孟春の月(旧暦の一月)。日は營室に在り、昏に參中し、旦に尾中す(營室・參・尾は予備の二十八宿参照。高注:是の月、昏旦時皆南方に中る。暮れには參が正南に見え、夜明けには尾が正南に見ゆ)。其の日は甲乙、其の帝は太暤(甲乙は十干の一番目と二番目で五行説では木に當る。高注:甲乙は木日なり、太暤は伏羲氏、木徳の王を以て、天下の號とす、死して東方に祀り、木徳の帝と為す)、其の神は句芒、其の蟲は麟、其の音は角、律は太蔟に中る(予備の音と十二律参照))。其の數は八(予備の五行の生成順を参照、三番目なので、五行の五と足して八になる)、其の味は酸、其の臭は羶(セン、生臭いにおい)。其の祀は戸(高注によれば、冬の間じっとしていた虫が戸口より出て動き回るので、その戸口を祀るということ)、祭るには脾を先にす(脾は木に属す説と土に属す説とが有る、春の木に属する説を採用し、脾臓を最初に供えると解釈する)。東風、凍を解き、蟄蟲始めて振るう。魚、冰に上り(高注:魚は、鯉・鮒の屬なり、陽に応じて動き、上りて冰を負う)、獺、魚を祭り(獺(ダツ)は、かわうそ、魚を取って供え物のように岸辺に並べる)、候鴈(時節の鴈)北す。天子、青陽の左个に居り(予備の明堂参照)、鸞輅に乘り蒼龍を駕し(「鸞」は鳥、鳳凰の類、「輅」は車、天子の乘る車、前の横木に鸞を象った鈴を吊り下げている、高注:周禮に、馬八尺以上を龍と為す。)、青旂を載(たてる)て、青衣を衣、青玉を服(おびる)び、麥と羊とを食らう。其の器は疏にして以て達す(「疏」は透かし彫り、「達」はそれが裏側まで達している事)。是の月や、立春なるを以て、立春に先立つこと三日、太史、之を天子に謁げて曰く、「某日立春なり。盛徳は木に在り。」天子乃ち齋す。立春の日は、天子親ら三公・九卿・諸侯・大夫を率いて、以て春を東郊に迎う。還りて、乃ち卿諸侯大夫を朝に賞す。相(高注:相は三公なり)に命じて徳を布き令を和らげ、慶を行い惠を施し、下は兆民に及ばしむ。慶賜(功勞に対する賞)遂行して、當らざる有ること無からしむ。廼ち太史に命じ、典を守り法を奉じ、天の日月星辰の行を司り(高注:典は六典、法は八法、日月五星の行、遅速を度るは、太史の職なり)、宿離忒わず(「忒」は“たがう”と訓じ、日月が二十八宿に止まり離れるのが決まり通りである)、經紀を失うこと無く、初めを以て常と為さしむ(「經紀」は『月令』の鄭注に、天文の進退の度数を謂うとある。高注に、星辰の宿度、其の度を知るを司り、牽牛の初めより起くるを以て常と為すとあり、牽牛宿の初点を冬至点として度数を制定した旧来の法を常に守ったということ)。是の月や、天子乃ち元日(高注:「元」は「善」なり。乃ち元日は吉日)を以て穀を上帝に祈る。乃ち元辰を擇び(辰は日を数える十二支、吉日を擇ぶこと)、天子親ら耒耜を載せ(「耒耜」(ライ・シ)は、すき。これを車に載せる)、之を參于の保介と御との間に措き(疑問の多い句である、「于」は「乘」の壊字とする説に従い、「參乘」で、そえのりと解し、「保介」は、護衛の兵士とする月禮の鄭注に従い、「保介之御閒」を「御之閒」と入れ替えて読む明治書院の新編漢文選の説に従っておくが、納得は出来ない。)、三公・九卿・諸侯・大夫を率いて躬ら帝籍田を耕す(高注:天子の籍田は千畝、以て上帝に供うるの粢盛なり、故に帝籍と曰う)。天子、三たび推し、三公、五たび推し、卿・諸侯・大夫、九たび推す。反りて爵を太寝に執り(高注:爵は飲爵、太寝は祖廟なり)、三公・九卿・諸侯・大夫、皆命を御し(高注:御は天子の命を致す)、勞酒と曰う。是の月や、天の気は下降し、地の気は上騰し、天地和同して、草木繁動す。王、農事を布く。田(農業を監督する官)に命じて東郊に舎す。皆封疆を修め、審らかに径術を端し(「径術」(ケイ・スイ)、あぜ道、「端」は“ただす”と訓ず)、善く丘陵(丘陵地)・阪険(高注:阪険は傾危なり。傾斜地)・原濕(湿地)の、土地の宜しき所、五穀の殖する所を相て、以て民を教道し、必ず躬ら之を親しくせしむ。田事既に飭(ととのう)い、先づ準直(準は水準器、直は墨縄、準直で基準を意味する)を定むれば、農乃ち惑わず。是の月や、樂正に命じ、學(國の学校)に入り舞を習わしめ、乃ち祭典を修めしむ。命じて山林川澤を祀るに、犠牲は牝を用いること無からしむ。伐木を禁止し、巣を覆すこと無く、孩蟲(ガイ・チュウ、幼虫)・胎夭(獣の胎内の子と生まれたての子)・飛鳥(『月禮』の孔疏に、初飛の鳥とある。飛びたての鳥)を殺すこと無く、麛(ベイ、高注:鹿の子を麛と曰う)とること無く、卵とること無く、大衆を聚むること無く、城郭を置くこと無く(高注:「置」は「立」なり。城郭を築く事)、骼を揜い髊(シ)を霾めしむ(「揜」は“おおう”と訓ず、「霾」は“うずめる”と訓ず。高注:白骨を骼と曰い、肉有るを髊と曰う)。是の月や、以て兵を稱ぐ可からず。兵を稱ぐれば、必ず天殃有らん(高注:「稱」は「舉」なり、「殃」は「咎」なり)。兵戎起きざれば、以て我自り始む可からず。天の道を變ずる無かれ。地の道を絶つ無かれ。人の紀(高注:「紀」は「道」なり)を亂す無かれ。孟春に夏の令を行えば、則ち風雨時ならず、草木早く槁れ、國乃ち恐有り。秋の令を行えば、則ち民大いに疫し、疾風暴雨數々至り、藜莠蓬蒿竝び興る(「藜」(レイ)は、あかざ、「莠」(ユウ)はぐさ、「蓬」・「蒿」(コウ)は、よもぎの類)。冬の令を行えば、則ち水潦(大雨)、敗を為し、霜雪大いに摯(「至」に通ず)り、首種入らず(高注:春は陽、冬は陰なり、而して其の令を行えば、陰、陽に乘ず、故に水潦、敗を為し、霜雪大いに摯り、五穀を傷害す、春は歳の始めなれば、稼穡之に應じて成熟せざるなり。「首種」は最初に収穫する穀物)。

二 本生

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