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『孟子』巻第四公孫丑章句下 四十二節、四十三節

2017-03-03 12:57:08 | 四書解読
四十二節

孟子は齊の卿を辞任して屋敷に戻ってきた。齊王は出来れば引き留めたいと思い、わざわざ孟子の屋敷まで訪ねて行き、言った、
「以前から先生にお目にかかりたいと思いながらかないませんでしたが、それもかない朝廷で先生に侍すことが出来るようになり、大変喜んでおりました。それなのに今、先生は私を見捨ててお帰りになる。どうだろうか、この先もお目にかかることが出来るのだろうか。」
答えて言った、
「敢て私からお願いしなかっただけのことで、当然私もその事を願っております。」
後日、王は臣下の時子に言った、
「私は都の中央に孟子に屋敷を授け、弟子を養い教育するために萬鍾の禄を与え、大夫たちや人民が先生を敬い模範とするようにさせたいのだ。お前はこの事を私に代わって孟先生に告げてくれぬか。」
時子は孟子の弟子の陳臻に、王の言葉を孟子に伝えてもらった。陳臻は時子の言葉を孟子に伝えた。孟子は言った、
「そのとおりだろう。だがあの時子などには、私がどうして齊を去るのか分からないだろう。私が富を欲しているとでも思っているのだろう。私は大道を以て王様に政を説いてきたが行われることがなかった。それで十萬鍾の俸禄を辭して去るのだ。今新たに一萬鍾の禄を得てお仕えしようとは思わない。だから私が富を欲しているとは言えまい。曾て季孫が言ったことがある、『子叔疑はおかしな男だなあ。始め主君に執り上げられて政治に参与したのだから、用いられなくなれば、辞職すればよいのだ。それを又自分の子弟を後任に据えてしまった。人は誰でも富貴を望まない者はいないだろう。ただ彼の行いは富貴に留まって、個人的に利益を独り占めにする者だ。』昔の市場というものは、自分の持っている物と持っていない物とを交換する場所であり、役人はそれを監督するだけであった。ところが貪欲で卑しむべき男があらわれて、利益を独占しようとして高台に登り、右に左に市場を見渡し、儲かりそうな所が有れば、飛んでいって利益を独り占めした。人々はその貪欲さを卑しみ、役人も遂にその男から税を徴収した。商人に課税するようになったのは、この下劣な男から始まったという。」

孟子致為臣而歸。王就見孟子、曰、前日願見而不可得。得侍同朝甚喜。今又棄寡人而歸。不識、可以繼此而得見乎。對曰、不敢請耳。固所願也。他日王謂時子曰、我欲中國而授孟子室、養弟子以萬鍾、使諸大夫國人皆有所矜式。子盍為我言之。時子因陳子而以告孟子。陳子以時子之言告孟子。孟子曰、然。夫時子惡知其不可也。如使予欲富、辭十萬而受萬。是為欲富乎。季孫曰、異哉子叔疑。使己為政。不用、則亦已矣。又使其子弟為卿。人亦孰不欲富貴。而獨於富貴之中、有私龍斷焉。古之為市也、以其所有易其所無者。有司者治之耳。有賤丈夫焉。必求龍斷而登之、以左右望而罔市利。人皆以為賤,故從而征之。征商、自此賤丈夫始矣。

孟子、臣為るを致して歸る。王就いて孟子を見て曰く、「前日、見んことを願いて得可からず。同朝に侍するを得て甚だ喜べり。今、又寡人を棄てて歸る。識らず、以て此に繼いで見るを得可きか。」對えて曰く、「敢て請わざるのみ。固より願う所なり。」他日、王、時子に謂いて曰く、「我、中國にして孟子に室を授け、弟子を養うに萬鍾を以てし、諸大夫國人をして、皆矜式する所有らしめんと欲す。子盍ぞ我が為に之を言わざる。」時子、陳子に因りて以て孟子に告げしむ。陳子、時子の言を以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「然り。夫の時子惡くんぞ其の不可なるを知らんや。如し予をして富を欲せしめば、十萬を辭して萬を受く。是れ富を欲すと為さんか。季孫曰く、『異なるかな子叔疑。己をして政を為さしむ。用いられざれば則ち亦た已まん。又其の子弟をして卿為らしむ。人亦た孰か富貴を欲せざらん。而して獨り富貴の中に於いて、龍斷を私する有り。』古の市為るや、其の有る所を以て其の無き所に易う者なり。有司は、之を治むるのみ。賤丈夫有り。必ず龍斷を求めて之に登り、以て左右望して市利を罔せり。人皆以て賤しと為す。故に從って之を征す。商を征するは、此の賤丈夫自り始まる。」

<語釈>
○「致為臣而歸」、趙注:齊の卿を辭して其の室に歸る。○「王就」、「就」は訪問する意。○「中国」、本来は中原の諸国を指すが、ここでは都の中央の意。○「萬鍾」、朱子云う、鍾は量の名なり。○「矜式」、朱注:矜は敬なり、式は法なり。敬って模範とすること。○「孟子曰、然。夫時子惡知其不可也。~」、この孟子の語は、解釈の分かれる所である。私は趙注の、「我往き、十萬鍾の禄を饗く、大道行われざるを以ての故に去る。」を重視して、通釈のように解釈した。○「異哉子叔疑」、趙注は、異なるかな、子叔疑うと読み、季孫・子叔は孟子の弟子とするが、朱注は、異なるかな子叔疑と読む。朱注に從う。○「龍斷」、利益を壟断するという言葉の出典である。「龍」は、「壟」に通じ、高い所、丘、「斷」は断崖、小高い丘で左右が見渡せる場所、利益を独り占めにする意味に使われるが、それは下文に因るものである。○「賤丈夫」、趙注:賤丈夫は、貪人にして卑しむべき者。○「罔」、「網」に同じ、網羅する意。○「征」、「税」に同じ。

<解説>
「壟断」という言葉は、ここから始まった。それ以外特に解説する余地はない。

四十三節

孟子は齊の都を去り、それほど遠くない晝という町に泊まった。すると王の為に孟子を引き留めようとする者がやってきた。孟子の前に座り込んで説得した。ところが孟子は答えもせずに、脇息にもたれて居眠りの態であった。客は気分を悪くして立ち上がって言った、
「私は一晩齋して身を清めて、先生にお願いを申し上げました。ところが先生は居眠りをして聞こうともして下さいません。もう二度とお目にかかりますまい。」
孟子は言った、
「まあ座りなさい。はっきりとあなたに説明しましょう。昔、魯の繆公は常に自分の代わりに人を子思の下ににつかわせた。そうしないと子思を安心させることが出来なかったのであり、賢人で知られる泄柳・申詳も繆公の側に信用のできる取次ぎの人がいたからこそ、安心しておられたのである。あなたは、この年寄りの為に気を使って下さるが、子思の為に繆公に説いた時の賢人に及ばない。これはあなたがこの老人と縁を絶つのか、それともこの年寄りがあなたと縁を絶つのか、どちらでしょうか。」

孟子去齊、宿於晝。有欲為王留行者。坐而言。不應。隱几而臥。客不悅曰、弟子齊宿而後敢言。夫子臥而不聽、請勿復敢見矣。曰、坐。我明語子。昔者魯繆公無人乎子思之側、則不能安子思。泄柳申詳無人乎繆公之側、則不能安其身。子為長者慮、而不及子思。子絕長者乎、長者絕子乎。

孟子、齊を去り、晝に宿す。王の為に行を留めんと欲する者有り。坐して言う。應えず。几に隱りて臥す。客悅ばずして曰く、「弟子齊宿して後敢て言う。夫子臥して聽かず。請う復び敢て見ゆること勿らん。」曰く、「坐せよ。我明らかに子に語げん。昔者、魯の繆公は、子思の側に人無ければ、則ち子思を安んずる能わず。泄柳・申詳は、繆公の側に人無ければ、則ち其の身を安んずる能わず。子、長者の為に慮りて、子思に及ばず。子、長者を絶つか、長者、子を絶つか。」

<語釈>
○「弟子」、本当の弟子で無く、相手を敬い、自分の事を謙遜して言っている言葉。○「齊宿」、趙注は、「齊」は「敬」、「宿」は「素」として、平素から尊敬しておりますと解し、朱注は、「齊」は「戒」、「宿」は「越」として、齋して一晩過ごしたと解す。尚『礼記』には、三日宿す、という言葉が有り、三日齋したと解する説もある。朱注と一晩を採用する。○「子思」、孔子の孫。○「不及子思」、服部宇之吉氏云う、不及子思は、子思の時の賢人が、繆公に説いて子思を信ぜしめたるに如かずとの意。

<解説>
この節もどうも釈然としない。孟子がへそを曲げて難癖をつけているような気がする。次節とも関係があるようなので、詳しくは次節の解説で述べたい。