スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

正師範を目指して新体詩「散る日 金井直」

2020-07-25 09:00:00 | 新体詩吟詠

私は公益社団法人日本吟道学院認可修神会の会員です。

日本吟道学院では年に2回昇段審査があります。

現在私は「師範」ですが、上位に「正師範」があります。

令和2年下期(12月)の昇段審査に挑戦する為修練開始しました。

修練開始直後の吟詠を紹介します。

審査当日までどこまで修練できるか、楽しみたいと思います。

この様子をご覧になった方が、少しでも詩吟へ

参加してもらえるとうれしいな~と思って、ブログで発信しています。

 

昇段審査練習(「散る日」金井直)「スマート詩吟は面白い」そして「福祉吟詠は楽しい」
 
 
 

散る日 金井直

桜の花が散る

惜しげもなく 己を捨てる すばらしさ

うれい顔が それを眺める

いま見たときから 散りはじめたような はなやかさ

見ている あいだに 散り果ててしまいそうな 風情

こんなに 豊かな心が どこにあろう

だれにも 見られないうちから 散っているのだ

そしてまた

落花に酔った者たちが 去ったのちも

最果に 向かって 散りつづけて いるのだ

散りつづけて いるのだ

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「あなたのそばに吟詠を」(連載第18回)

2020-07-24 09:00:00 | エッセー「あなたのそばに吟詠を」

昨日から続く

また中伝取得後、師範位の取得を指導され、

自分の修練と同時に若手の指導をしていくことになる。

①準師範(中伝以上)、②師範(1年)、③正師範(2年)、

④教授(3年)、⑤範師(4年)

これら許証料は次の様な金額である。いくつか例を示す。

初段では3,000円、奥伝は15,000円、総伝は40,000円、

並びに師範が20,000円、範師が50,000円である。

高い?安い?如何でしょうか?私は相当安いと思います。

しかも私が約30年前に、初めて初段認許証を受領した時

3,000円納めた記憶があるのでそれから値上がりしていないみたいです

(2)指導者

詩吟の修練を絶え間なく5年以上積み重ねると段位も奥伝を受審することになる。

奥伝になると指導者の立場が要求され、師範受審を勧められることを前述した。

更に指導者の心構えとして「吟道指導者七則」を学ぶことになる。

七則からいくつか転記してみる。

①敬仰(吟道の指導者たる者は、先ず自らの師に対する敬仰の念を深めること。

吟道の尊厳を自覚し、道の深さと尊さを体得し、師に対する敬仰の念を深める)

②栄誉(「吟道の指導者は、吟道教場の誇りと自覚し、進んでこれに当たり、

軽率な行動に出ないこと」

③謙虚(常に己を鍛え、慎みあり、謙虚にして、高慢心、誹謗心を出さぬこと)

この筆致で七則を述べることは本書の趣旨ではないので、

次には、この七則を私の言葉で述べることにする。

明日に続きます。

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「あなたのそばに吟詠を」(連載第17回)

2020-07-23 09:00:00 | エッセー「あなたのそばに吟詠を」

昨日からの続きです。

4.修練の発表

(1)昇段

詩吟も修養年数に従って昇段審査を毎年受審していくが、

初段から最終段位の総伝までは次の通りである。

()内は認定基準で、年数は段位取得後の修練年数である。

○印は自分の名前一文字を使い、出世魚の如く雅号が変化していく。

私は「順一郎」だから

雅号は「順吟」、「順洲」、「順水」、「順城」、「順祥」、「順龍」そして「龍順」である。

①初段(認定、○吟)、②二段(半年)、③初伝(半年、○洲)、④三段(半年)、

⑤四段(半年)、⑥中伝(1年、○水)、⑦五段(半年)、⑧六段(半年)、

⑨奥伝(1年、○城)、⑩七段(1年)、⑪八段(1年)、⑫皆伝(2年、○祥)、

⑬九段(2年)、⑭秀伝(3年、○龍)、⑮十段(3年)、⑯総伝(4年、龍○)

総伝に至るまでの修練年数は最短21年である。

明日に続きます。

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「あなたのそばに吟詠を」(連載第16回)

2020-07-22 09:00:00 | エッセー「あなたのそばに吟詠を」

昨日からの続きです。

吟情六則とは吟じる時にその六つの感情を表現することである。

その様なことは文章で書くとその通りである。

武田信玄と上杉謙信の戦いを描写した詩文「川中島 頼山陽」と

源平最後の戦いに敗れた一の谷での平家の末路を詩文にした「青葉の笛 松口月城」は

明らかに訴えるものが異なる。

この二つの吟に触れた方が、前者は勇壮教訓で後者は哀愁懐古と

全く異なるように聴いてくれるだろうか?

「なんだ!!詩吟はどれも同じだ!!」と感想を持たれないだろうか?ということを気にしている。

私は感情を出そうと思って吟じるわけであるが、どうしても詩吟の声調に力が入り、

いつの間にか感情表現が二の次になっていることが多い。

詩吟をもって聴く方に感動を伝えなければならないのに

「どれを聴いても詩吟は同じで、退屈するよ!!」とは、

詩吟大会を初めて聴吟してもらった友人の感想である。

大会終了後の友人との会話で、

私は必死に六則、感情、吟情等を込めて感動を与えたいとの訴えは届かず、

友人には「詩吟は皆同じ!!」としか残らなかったようである。

私の稚拙な吟だからかの原因ばかりではないようであるが、心して修練を続けたいと思う。

明日に続きます。

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[あなたのそばに吟詠を](連載第15回)

2020-07-21 09:00:00 | エッセー「あなたのそばに吟詠を」

昨日からの続きです。

詩吟と吟情を一体化することが大切で、そこに吟情六則がある。

①怨むが如く、②慕うが如く、③泣くが如く、

④訴うるが如く、⑤戒めるが如くそして⑥訓すが如くの六つである。

難しいことを考えること無しに、つまり詩歌を吟じる時の気持ちを表出させることですね。

吟じる時には丹田呼吸法や間の取り方も大事であるので、

これらは師匠の口伝を練習の積み重ねで体得することになる。

この様に、吟情に付け加えて、間の取り方も重要である。

個々人の詩文に対する気持ちそのものである。

この様な『感情』の話題の際に、

私は高校時代、国語の先生が島崎藤村「小諸なる古城のほとり」の詩を

各人それぞれに何回も感情を込め読むことを指導されたことを思い出した。

一方、徳川無声の間の取り方について

代表的な朗読が「宮本武蔵巌流島の決闘」の場面である、

と知っていたので、とても懐かしく感じた。

明日に続きます。

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