20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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子ども、出入り禁止の映画館

2024年08月21日 | Weblog
             

その昔、私がまだ6年生くらいだった時。
5歳年上の、高校生だった、優等生の姉が、
「ジュンコ、映画に行かない?」と言いました。

私の知っている映画は、大川橋蔵とかそれくらいのイメージしかありませんでした。小学校の仲良し、えっちゃんちの前が国際劇場という、映画館だったので、一緒に行ったことがあります。
えっちゃんは、中学から東京の私立に行ったので、その大川橋蔵の映画がえっちゃんと見た最後になりました。

私は映画館に入ると、頭が痛くなります。元来の頭痛持ちに、昔のトイレの嫌な匂いがさらに頭痛を酷いものにします。
頭痛持ちは、祖母や父からの遺伝なのに、姉はへっちゃらみたいです。

「何を見るの?」
「革新館で洋画」
え!思わず絶句しました。

革新館は、荒川へ降りていく途中に建っていた、「不良が行く映画館」と、当時は呼ばれていた洋画専門の映画館です。
優等生で、生真面目な姉が、そんな映画館にいきたいとは・・・。

多分、友達と一緒だと、姉の優等生のイメージが地に落ち、不安だったのだと思います。
でも一人では、「不良が行く映画館」に行くことはできません」

年齢が、大きかろうが、小さかろうが、姉にとっては妹を連れていくのが、一番の安全パイなのです。
「何、見るの?」
「太陽がいっぱい」
姉は、その映画の情報も手に入れていたらしく、迷うことなく、私の手を引っ張って、革新館に連れて行きました。

「太陽がいっぱい」
私が洋画を見た、最初の映画です。
見たこともない、青い目をしたイケメンのアランドロン。
また映画音楽が、こんな素敵なものだと、初めて知りました。

やっぱり頭痛にはなりましたが、脳裏には今でもあの、ドキドキするような映画のシーンや音楽が残っています。

その後も、姉とは「南太平洋」を見に行ったり・・。
レコードも、「太陽がいっぱい」「バリ・ハイ」などを買って聞いていました。

そのうち、大学受験の勉強を始めた姉は、勉強中心の生活になって行きました。
もう、映画は卒業したようでした。

でも、あの優等生の姉が、手を引いて連れて行ってくれた、洋画の世界は、私に広い世界を体感させてくれました。
あの優等生で生真面目な姉に、導かれていかなかったら、知り得ない世界でした。

昨日、Facebookで、アランドロンが話題になり、思い出した昔話です。

最期のアランドロン、「太陽がいっぱい」の頃の姿とは、全く違う老人です。
沢田研二・ジュリーだって、みんな、みんな。

これは人間として、誰もがたどる道です。
仕方のないことです。

でも、なんだか切ないです。
コメント
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