最近、さらまわしが少しだけうまくなったような気がしてきた。
さらまわし。
たしか山本ふみこさんのエッセイだったと思うのだけれど、
日々のことを、例えば、食事作りだったり、掃除だったり、ゴミ出しだったり、
そんな日々の作業を次々にこなしていくことを
さらまわしのようだという表現をされていた。
私としては、それを読んだ時に、これはぴったりの表現だといたく共感した。
最近の私、ふみこさんに習って
冷蔵庫には水のビンとお茶のビンを二つ常備している。
その中身の話。
ささやかと言えば、これほどささやかな話もないものだが、
少し聞いて欲しい。
この水やお茶の中身がうまく回るようになったのだ。
夕食前にやかん一杯分のお茶を作る。
夕食時に、熱いお茶がいい人はそれを飲む。
冷たいお茶がいい人は冷蔵庫に入っている冷たいのを飲む。
で、ボトルの冷たいお茶を飲みきってしまったら、熱いお茶の残り分を
入れる。
その場合、ボトルが一杯にならなかったら冷たい水を加える。
そして冷たい水のボトルはいったん空にして新しい水を入れる。
これで一日一回は二つのボトルの中身が新しいものとなる。
まぁ、その日の天候によって中身の減りはもちろん違うのですが、
その減り具合もまた気をつけるようになると面白い。
これがわたしのさらまわし。
たったこれだけのことなのに、
いつも新しいお茶や水が冷蔵庫に常備してあると思うと、
とんでもなく充実感を味わえる。けっこう重要事項なのです。
さらまわし。
たしか山本ふみこさんのエッセイだったと思うのだけれど、
日々のことを、例えば、食事作りだったり、掃除だったり、ゴミ出しだったり、
そんな日々の作業を次々にこなしていくことを
さらまわしのようだという表現をされていた。
私としては、それを読んだ時に、これはぴったりの表現だといたく共感した。
最近の私、ふみこさんに習って
冷蔵庫には水のビンとお茶のビンを二つ常備している。
その中身の話。
ささやかと言えば、これほどささやかな話もないものだが、
少し聞いて欲しい。
この水やお茶の中身がうまく回るようになったのだ。
夕食前にやかん一杯分のお茶を作る。
夕食時に、熱いお茶がいい人はそれを飲む。
冷たいお茶がいい人は冷蔵庫に入っている冷たいのを飲む。
で、ボトルの冷たいお茶を飲みきってしまったら、熱いお茶の残り分を
入れる。
その場合、ボトルが一杯にならなかったら冷たい水を加える。
そして冷たい水のボトルはいったん空にして新しい水を入れる。
これで一日一回は二つのボトルの中身が新しいものとなる。
まぁ、その日の天候によって中身の減りはもちろん違うのですが、
その減り具合もまた気をつけるようになると面白い。
これがわたしのさらまわし。
たったこれだけのことなのに、
いつも新しいお茶や水が冷蔵庫に常備してあると思うと、
とんでもなく充実感を味わえる。けっこう重要事項なのです。