暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

昔は先生はひどかった

2019-07-31 19:45:18 | 日記

小学校6年のとき、担任の先生が変わった。

3年から5年までの担任の先生は人気のある中年の男性の先生だったが、その先生は管理職になって、別の学校に突然転勤していってしまい、私たちは始業式で驚いた。

そして、6年だけの新しい担任の先生は、前年も6年を担任していた年配の先生が、また、6年を担当した。

その先生は、私を嫌っていた。

先生が鼻をかんだちり紙を、私の席にわざわざ歩いて持ってきて、机の上に置いた。



それはしょっちゅうだった。

私は、それをゴミ箱に捨てに行っていた。

そのうちに、見かねたのか、勉強のできる女の子が、

「それ、先生の机の上に置いておきなよ。」

と言ったので、そのようにした。

先生は教室に入ってきて、驚いていた。

「これはなに?」

「お返ししました」

「仕返し?」

「それ、先生のです」

先生は、それをゴミ箱に自分で持って行って捨てた。

自分のちり紙だとわかったかどうかは、わからなかった。

それからは、そのようなことを私にすることはなくなったように思う。

いまなら、教師の児童に対する不適切な行動と指摘されそうなことも、昔は当たり前にまかり通っていた気がする。


風疹が流行ったことがあった。

発病は、熱が出て、風邪のような初期症状になり、小さな赤い発疹がでるので、風疹とわかる。

登校してから、熱っぽくなり、からだに赤いポツポツが出てきたようだったので、私は風疹になったのだろうと思った。

休み時間に職員室に行き、そのように申し出ると、担任の先生は、6年生の女の子のブラウスを大きく開いてばっと胸をあけた。

他の先生も呼び、「風疹だねえ」と同僚と話している。

今でも覚えているくらいだから、ひどいことをされたと、強烈な印象だったのだろうと思う。

この担任は、学校の健康診断で、女子の番になった時に、いつも、胸囲を測ることを担当した。

今思えば、胸囲を測りたかったのだ。見たかったのだ。


ときどき、小学校のころのことが思い出されて、不愉快な気持ちになるが、クラスの皆も、この担任は好きでなかったのだと思う。

卒業文集を作成するとき、先生を紹介する担当のグループが、先生の全身像を描いて、それに注釈を入れるページを描いた。

鼻毛がでていたり、どこそこが臭い、だの、ほめることばはなく、表現が憎しみこそあれ、親しみなどなかった。

その原稿を見た担任が、

「あまりにも、お下劣なので、描きなおしなさい」

と全員の前で言った。

そのころ、私はそれを見てはいなかったが、皆が担任をけなした書き込みをしたのだろうと思った。

そして、許容範囲に修正されたはずの、担任像の1ページが、配られた卒業文集に載っていた。

かなりひどかった。

直されるまえはどれだけひどかったのか、想像できる。

慕われた先生にすることではない。皆は私と同じように、担任の先生が嫌いだったのだ。


士農工商を習うと、お店をしているうちの子に、

「商業は一番身分が低い。安く買ってきたものを高く売ってもうけている」

などと言ったり、

歯の矯正をしている女の子が、

「歯が痛いので、保健室で休ませてください」

と、申し出ると、

「あなた、そんなものしているから痛くなるのよ」

と、小学生同士でもそのようなことを投げかけたりしない言葉を浴びせた。

皆、クラスで先生のする児童への仕打ちをひとつひとつ見ている。

卒業文集を作成する学年の終わりに近づいて、皆の心に先生を慕えないことが積み重なっていったのだ。
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